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アラン島






アラン島 から → アイナ湖 Lough Inagh
2009/12/17 release
【26】 2009/06/07 (日)  ドライブ旅行 (2) 8日目 戻る次へ


 ここは、アラン島 である。 あさ目覚めると、もう 7時半だった。 朝食前に散歩するつもりだったが、これではちょっと遅すぎる。 ツアーバスは 11:30 出発と聞いていたので、散歩は食事の後にまわすことにした。 朝食は 9時ということである。


 今日の予定としては、アラン島に別れを告げ、出来るだけ コネマラ国立公園 Connemara National Park を目指すが、途中で一泊する必要があるだろう。



 食事が終われば、すぐにチェックアウトできるように、あらかじめ荷物をまとめておいて、食堂へ向かった。 おばさんに挨拶して、すすめられたテーブルについた。 オレンジジュースのピッチャー、数種類の シリアル、ミルクのピッチャーなどを見れば アイリッシュ・ブレックファスト であることが分かる。






女主人は愛想なし
 シリアル やジュースを自分で用意して食べ始めていると、それが食べ終わった頃に、ベーコンやソーセージなどが盛られた温かい料理と一緒に、カリカリに焼かれたトーストが運ばれてくる段取りだ。

 食堂も、食事内容も過不足の無い、いわば標準的なものであり、それはそれで申し分ないのだが、何か物足りない気がするのは、あまりに事務的過ぎて、会話が少なかったことだろうか。 昨晩のチェックインのときからそうだった。



おもてなしの心遣い
 簡単な朝食でも、普通は、『どうだ、美味かったか?』 とか何とか、聞いてくるものだ。 それはそれで、『不味かったよ』 ともいえず、『美味しかった ・・・』 というしかないので、うっとうしく思うこともあるのだが、また、そういった会話がないというのも淋しいものである。


 どうでもいいようなことを、わざわざ言ったり、聞いたりするのも、少しでも和んでもらおうという、"おもてなしの心遣い" に違いないと、このとき思うようになった。



 私は、これまで、欧米の人は日本人と感覚が違うなぁ、手ずから料理したといっても朝食である、自分から 『どうだ、美味かったか?』 などとは言わないよなぁ、という感覚で接していたのである。


 しかしながら、"おもてなし" というのは、する方も、される方も、この "どうでもよい会話" と思うものでも、お互いに呼吸を合わせる必要があるのではなかろうか。

 いわば挨拶のようなもので、また、挨拶とは本来そういうものであろう。 それがまったく出来ないとなると、ちょっと危険な兆候といえよう。

 cf. 外語症と内語症について









朝の散歩
 朝食のあと、チェックアウトも済ませて、この辺りを散歩したいからと、荷物を預かって貰った。 部屋の窓から海が見えていたので、そこまで行って見ることにした。


 両側に背の低い石垣がある細い道がクネクネと続いていた。 その石垣は、土地を区画分けしているのだが、単純ではなく、上空から見なければ全貌はつかめない。 ただ、この道は、他に選択の余地がなく、海岸まで続いているようである。

 また、周囲のほとんどの土地は使用されていないように見えるが、ときおり、放牧されている牛が石垣越しにこちらを眺めていたりする。


 いよいよ海岸が見えてくるのだが、それと共に道も荒れてきて、先行きが怪しくなってきた。 絶壁というほどのものではないが、海岸に降り立つには、大きなごろた石が重なるところを乗り越えてゆかねばならない。

 魚釣りをするのなら、この程度の障害は何ともなかろうが、散歩を兼ねた鳥観 とりみ となれば、そこまですることはない。 引き返すことにした。


 この散歩道で ロビン(ヨーロッパコマドリ) を見た。 大きな木が見あたらないこのような荒地にも、彼らが身を隠す藪が石垣沿いにはある。





キルロナン村の散歩道の風景 ・・・ 地平線の向こうは小さな崖
Kilronan, Inishmore, Ireland 2009/06/07 Photo by Kohyuh














やはり、心配したとおり ・・・
 荷物を引いて、約束どおり 11時前には、港にあるインフォーメーション・センタ前の広場についた。 ここがツアーの集合場所になっているようで、ミニバスが何台も並び、観光客でごったがえしていた。


 さっそく、荷物をインフォーメーション・センタ内の奥にある一時預かり所に預けて外に出た。 その頃には、すでに観光客がミニバスに乗り込み、次々と発車して行ったのである。


 ミニバスは定員になり次第出発していくようである。 どのバスでもいいと思うのだが、私は、律儀に約束をまもり、例の男を探すのだが、どれも同じような顔に見えて、また、その顔の記憶も薄らいで、誰が誰やらさっぱり分からない。

 彼が私のことを覚えているというから、それらしき男の車に近寄るのだが、全て反応なしであった。 その内に、気がついたら、観光客が誰もいなくなってしまった。 みなさん、それぞれツアーに出かけたようである。




 ただ、空のミニバスが一台と待っていたから、乗せてもらったところ、いつまでたっても出発する気配がない。 それはそうだろう、客が二人では商売にならない。










ミニバス・ツアー
ツアーバス
2009/06/07 Photo by Kohyuh
 どうやら次のフェリーの到着を待つようだ。 11:00着の予定といっていたが遅れているのかも知れない。

 そういえば昨日、ツアーは 11:30出発と言っていたから、11:00出発のものには、初めから組み込まれていなかったのだろう。

 覚悟を決めて座って待つことにしたが、ふと気がつくと、運ちゃんもどこかに消えていた。








 そのまま、しばらく待っていると、運ちゃんが再び現れて、『この車から降りて、別の車に乗り換えるように』 と言われたのである。

 見ると、いつのまにか白いミニバスが停まっており、満員のお客さんを乗せて待っていた。 そのバスの運ちゃんだろうか、後部ドアを観音開きに開けて、転がっていた背もたれ無しの丸椅子を二つ、ほこりを払ったりして整えていた。


 『さぁ、乗ってくれ』 と言われて、慌てて乗り込むと、観音扉が閉められて、外からカギをかけた。 そうして、運転席に乗り込むと、直ぐに出発したのである。

 結局、出発したのは 11:30過ぎだったから、ずいぶん待たされたという思いと、また、約束の時間どおりだったと言えば、そうかも知れないという思いもあった。 ミニバスは、このようにお互いに協力しあって、運行しているのだろう。










一人二役の運ちゃん
 走り出すと、もう忘れたが ・・・ 運ちゃんは、『あそこに見えるのが、この島唯一のスーパーマーケットだ、郵便局だとか、こちらがこの島唯一の銀行で、週に一回、それも何時間だけ開く ・・・』 とかなんとか説明しながら運転している。

 アラン島の成り立ちから、住民の人口など、また、車窓から見える遺跡が何だと、右や左が何だと、ひっきりなしにしゃべり続けていた。

 そういった中で、小さな黒いボートが船底を上にして置いてあるところを通り過ぎながら、あれが映画 『アランの男』 にも出ていたボートで、この島の伝統的なものだと説明していた。 私は、写真に撮りたかったのであるが、ただ眺めているだけで、それも一瞬のことであった。


 あのボートのシーンはよく覚えている。 映画案内のポスターにも使用されている有名なものだ。 数人の男たちが、あらしのような高波の中を手漕ぎで繰り出していくのだが、波の谷間ではその姿が隠れて見えなくなったほどだ。

 後日、それによく似たボート (写真下) を、イニシュボーフィン島で出逢ったのである。 今だ現役として使われているのだろうか。




 これでは、海難事故も多々あったことだろう。 そもそも、アラン・セーター の独特の網目模様は、各家庭ごとに異なっているそうで、こうした事故のときの家族の身元判明に役立てる目的もあったという。







the boat of "Man of Aran"
映画 「アランの男」 と同型のボート? ・・・ イニシュボーフィン島にて
Inishbofin Island, Ireland 2009/06/09 Photo by Kohyuh














双眼鏡がないっ!
 これまでの運ちゃんによるガイドは、走りながらのもので、車外に降り立っての自由行動はなかったのだが、とある廃墟の村に立ち寄った。


 『さぁ ・・・』 といって立ち上がったところで、家内が 『双眼鏡がないっ!』 といって騒ぎ出した。 車を乗り換えたとき、前の車に置き忘れたとしか考えられないという。



 運ちゃんにそのことを話すと、『それなら心配ない。 連絡して持って来てもらうから、安心していいよ』 と頼もしいことを言ってくれた。 そのまま直ぐに、携帯を取り出して、連絡を入れてくれたのである。

 しばらくして、「見つかった」 という連絡があり、ホッとしたのであるが、このときほど、日本も観光立国を目指すためには、『かくあるべき ・・・』 という思いがしたものだった。



 あのとき、運ちゃんは、何の迷いもなく 『大丈夫!』 と言い放った。 そして、そのとおりになったのである。 彼らは 烏合の衆 ではなく、固い絆で結ばれているからこそ、あのように言えたのだろう。

 そしてそれが、気落ちしているものにとって、どれほど大きな慰めと、安堵感をもたらしたことであろうか。












ナ・ショフト・ジャンピル教会跡 Na Seacht dTeampall
 とある教会の遺跡らしいところで、30分 ほど自由散策となって、全員、車外に出た。 今は、廃墟になっていることは、見ればわかるのだが、かって、どのような教会だったのか、当然、説明があったのだろうが聞き取れなかったようで、まったく記憶にない。




 このツアーバスは、イニシュモア島 の東部にある キルロナン Kilronan の港 から出発して、ここは島の西部にある。 位置的には、次に行くメインの ダン・エンガス要塞 Dun Aengus を通り越していることになる。

 いろいろ説明をしながら、先ずは一番遠いところまできて、また、別のコースで引き替えすようだ。





 今、調べなおしてみると、どうやら ナ・ショフト・ジャンピル教会 Na Seacht dTeampall という名前の遺跡らしい。 ゲール語で 「七つの教会 The Seven Churches」 を意味するが、教会らしきものは二つで、あとは修道士たちの住居と考えられているという。

 教会といえばよいのか、修道院といえばよいのか、はっきりしないのだが、そのような呼称では話にならないので、一応、ナ・ショフト・ジャンピル教会と呼ぶことにした ・・・ という感じかな?  いづれにしても、9-15世紀に聖ブレコン St. Brecan のために建てられたものという。
 by 「デジタル大辞泉」 より引用






七つの教会 The Seven Churches について
 この遺跡が、どうして "七つの教会" という名前で呼ばれるようになったのか定かではないが、かって、ここは、数世紀にわたって、アイルランドの西海岸沿いで最大の修道院施設であり、同時に、巡礼の中心的な役割を担っていたようだ。

 また、創建になったころ、聖ブレコン St. Brecan が実際に、ここを訪れたと信じられている。 最初から、二つしかなかった教会なのに "七つ" にこだわったのは、当時のローマで "七つの大聖堂" を巡礼するための環状ルートの存在があったからではないかと考えられている。



ローマ七大聖堂巡礼の図
 ローマでは、巡礼の旅に訪れるキリスト教信者たちの利便性を考えて作られた、「ローマ七大聖堂巡礼の図」 というものがあった。

  ローマの玄関口であるポーポロ門 Porta del Popolo から入って、環状のルートに沿って歩けば、自然に、七つの大聖堂を巡るようになっていて、また、最後にポーポロ門にもどって、帰っていけるようになっていた。

 更に、その巡礼の環状ルートには、目印として、要所要所にオベリスクが建てられていた。

 by 「ローマ散策」 河島英昭著より引用








Na Seacht dTeampall
ナ・ショフト・ジャンピル Na Seacht dTeampall 教会跡
イニシュモア島 Inishmore
2009/06/07 Photo by Kohyuh

 かって、アランの男 たちが石を砕き海草を混ぜて耕した耕作地の多くは放置されたままで、村のシンボルだった教会も廃墟となっている。



 その教会の屋根は朽ちて今はなく、石壁も多くは崩れてはいるが、それらしい面影がある。

 その一角には、十字架の墓標が数多く立ち並んでいた。

 中にはケルト十字の墓標もあるところをみると、かなり古い教会だということが分かる。











石の文化
 西欧などの石の文化は、このように廃墟となって崩れたりはしていても、壁跡が残っており、私たち素人の外国人であっても、それとなく往時の外観が想像出来るものである。

 ところが日本のような木造家屋の遺跡では、穴ぼことしての柱の跡だけが確認できるだけである。 例えば、平城宮跡にしても、こうした遺跡を見ただけでは、往時の建造物を想像できるのは、よほどの専門家だけだろう。

 さらに、外国人ともなれば、日本の古代遺跡を観光に訪れても、往時を偲ぶことは難しかろう。













ダン・エンガス要塞跡 Dun Aengus へ
 このツアーで一番の呼びものは、古代ケルト人が築いたと言われているダン・エンガス要塞 Dun Aengus であろう。

 このように、一般的には "要塞" と呼ばれているが、それは、100m を越える断崖絶壁の上に立ち、堅牢な石壁で取り囲まれた外観などから、現代人が見ての感覚であろう。


何しろ 紀元前 数百年以上前の建造物であるため、
 ・ この場所で何をするために造られたのか?
 ・ いつ造られたのか?
 ・ 誰が造ったのか?
など、考古学者、歴史家、好古家たちも、今もよく分っていなくて、祭祀のためのものという説もあるようだ。


 特に、水をどのようにして手に入れたのか、井戸を掘った形跡もない。 要塞にしては、これでは長期の包囲戦には耐えられそうにない。

 このように謎に満ちたダン・エンガスは、"アランのアクロポリス Acropolis of Aran" などと呼ばれて、『ヨーロッパに現存する最も壮大な古代人の記念碑』 として知られているところである。




ここで、
 "ダン Dun" は、"砦" ないし "要塞"
 "エンガス Aengus" は、人名であるが、誰であったかは諸説あり、いまだに謎という。









 ツアーバスは、ダン・エンガス・ビジターセンターの前で停まった。 何台ものミニバスが止れるスペースはない。 観光客を降ろせば場所変えしてどこかで待機して、また、約束の時間に迎えに来るというシステムだ。

 ここで 2時間の自由時間となった。 また、ダン・エンガス要塞跡 Dun Aengus へ行くには、この ビジターセンター で入場料を払う必要がある。

 ところが、ここでも ヘリテージ・カード が使えることがわかった。 このカードは、何も世界遺産だけに限られたものではなかったのだ。




 この目の前に、ダン・エンガス要塞跡 Dun Aengus (写真左下) が在るわけではない。 ビジターセンター の奥の出口からでると、それらしき姿が見えた。 ここからは歩きだが、天気がよくてありがたい。






Dun Aengus
ダン・エンガス要塞跡 Dun Aengus
2009/06/07 Photo by Kohyuh

 目指す丘の上のダン・エンガス要塞まで、なだらかな坂道となっている。

 直ぐ近くに見えるのだが、意外に遠くて小一時間ほどかかった。

 一本道で迷うことはないが、足元が石畳といっても、とくに丁寧に細工をしたものではないので、歩き難い。

 また、杖をついたお年寄りも多くいて、途中で休み休み歩いていた。

















Cliff of Dun Aengus
ダン・エンガスの断崖 Cliff of Dun Aengus
2009/06/07 Photo by Kohyuh

 ダン・エンガスの要塞は、100m 以上もある断崖を背にして、前方を半円形状に強固な石の城壁で囲んでいる。

 それも二重に、場所によっては三重になっていたから、まさに鉄壁の守りといえよう。



 この要塞の中に入れば、背後からの攻撃は考えられないから、その分、後方は、すとんと落ちる断崖があるだけで、落下防止のための柵も何もない。

 また、その分だけ、見晴らしがよく、開放感があるのだが、その断崖に向かって歩むにつれ、恐怖感がつのるのは仕方がない。







 安全対策などは、必要最小限にとどめ、ほとんど手を加えることもなく、あるがままの姿がそこに在った。

 日本では考えられないような公開の仕方であるが、下手に柵などを造れば、それを乗り越える輩が必ず出てきて、かえって危険であろう。
















Cliff of Dun Aengus 2
断崖を見たいが怖い
2009/06/07 Photo by Kohyuh

 アイルランドには、怖いほどの断崖が多々あるが、このダン・エンガスの断崖は一二を競うだろう。

 腹ばいにならなければ下を見ることができない。


 勇気ある男が崖っぷちまですたすた歩いて来て、立ち姿のまま下を覗き込んだが、その高さに驚いて『あぁー 怖ゎー』 と言いながら後ずさりした。













 観光客が訪れることは、まず無いと思うが、フェア岬の断崖 も怖かった。 また、これまで、旅先の教会の塔だとか、上ることができると分れば、ほとんど全て上って来たものだった。


 思えば、これら全て、手すりや腰壁があるところばかりである。 要は、万が一、転落事故が起こったとしても、それは、手すりが壊れていたからなどと、人のせいにすることが出来るから、安心するのだろう。 ・・・ と自己分析する。


 ところが "断崖" は違う。 すべては自己責任で、つま先立ちしようが、逆立ちしようが自由となれば、とても近寄れないという怖がりである。





 観光客がバスを連ねてわんさか訪れる、有名な モハーの断崖 などは、怖くも何ともない。 遠望するだけで近寄れないようになっているからだ。

 cf. 笠置山

 






双眼鏡が届いた
 あっというまに、約束の2時間が過ぎた。 ビジターセンター まで戻ってみると、ミニバスが待っていた。 近寄ると、運ちゃんが私たちを目ざとく見つけて、置き忘れていた双眼鏡を手渡してくれた。


 仲間のバスと連携して、ここまで、届けてくれたのである。 それを手にしたとき、双眼鏡が意思あるものとして、バスを乗り継ぎ、乗り継ぎしたりして、私たちを追って、ここまで帰ってきてくれたような、再会の喜びがあったのである。



 そして、一言、『いい双眼鏡だね』 といってくれた。 実際に、かけがえのないもので、ずっと、私たちと一緒に旅をしてきたものである。

 こういった旅先での親切は、本当にありがたく、また、嬉しいものである。 いつまでも忘れることができない思い出となった。








さらば、アラン島
 バスツアーは、いよいよ港に戻るべく走り出した。 この辺りは、環状道路 The Ring of Aran になっていて、往路とは違う道を行くようである。

 ゴールウェイ Galway のロッサヴィール Rossaveel 行きのフェリーは 17:00発である。 昨日、バスツアーに誘われたとき、このことを念に押して、『フェリーの出発時間に間に合うか?』 と確認していたのである。

 そのとき 『大丈夫だ!』 といっていたとおり、今、15:30 をちょっと過ぎたところだから、ちょうどいい時間に着くだろう。





Bye-bye "Aran Islands"
さらば、アラン島よ Inishmore, Ireland 2009/06/07 Photo by Kohyuh











コネマラ国立公園 Connemara National Park 方面へ進路をとる
 ゴールウェイ Galway の郊外、ロッサヴィール Rossaveel の港に帰り着いたとき、小雨が降っていた。 幸い、駐車場はすぐ近くであるから走っていった。 ところが、そこは扉が閉まっていて、入るには入れないのである。 他の人たちも困惑顔であった。



 どうしたものかと近くで雨宿りしていたら、若い男が走ってきて、鍵を開け始めた。 私も経験があるが、昼休みに寝ぼけて、休み時間が過ぎてしまっことに気がつき、あわてて駆け込んだことがあった。

 彼はそのあと、雨具も何もなしに、交通整理をしていた。 気の毒にも、それを用意する暇も無かったのであろう。



 これから進路を北にとり、R336、N59、R344、再び N59 のルートで、コネマラ国立公園 Connemara National Park 方面へ向かう。 出発が 18;00 過ぎになったから、今日の宿は、その途中になるだろう。



 小一時間ばかり走ったが、この辺りはアイルランドの湖水地方というだけあって、小さな湖が現れては消えるといった風景が続き、人里からますます離れて行くようで、ホテルどころか行き交う車もめっきり減ってきた。








near by Connemara
車窓の風景 (アイルランドの湖水地方)
Near by Connemara, Ireland 2009/06/07 Photo by Kohyuh





 道路は立派なものだったが、ホテルは、次の村にはあるだろうと期待するのだが、辿り着けば、一目で何もありそうにない、小さな村だったりした。 その繰り返しで、ここまで来てしまった。



 車窓の風景もまた、天気が良くないこともあろうが、淋しげである。 そろそろ宿のことが心配になってきた。

 今、N59 沿いのリセス Recess の町を通り過ぎたので、そろそろ右折して、R344 のルートに入るので道路標識に注意して走らなければならない。

 すると都合の良いことに、その分岐点に、B&B の立て看板があった。 そこがまた、私たちが向かおうとしている方向である。




 間もなく大きそうな湖が現れたのだが、山並みも迫り、空もどんよりとして、いかにも淋しげに見えるのは、何故だろうか。 絶景の風景としての条件は、全て揃っていると思うのだが ・・・

 それが、いくら走っても、目指す宿らしきものが現れなかった。 道を間違えたのかと思って、引き返そうとしたとき、前方にホテルらしき建物が見えた。

 その手前に、B&B の小さな立て看板があった。 山の方へ上がる道が見えるだけで、その建物は見えなかった。



 まずは、ホテルがどんなものか先に見てみることにしたが、それは大きくて、いかにも高級そうであった。 ここは、目指す 、B&B が気に入らない場合の、いわば、滑り止めと考えればよい。








Lough Inagh Ranch という名前の宿
Lough Inagh Ranch という名前の宿
2009/06/07 Photo by Kohyuh
 "空き室有り Vacancies" と表示がある案内板の示すとおりに坂道を登っていくと、すぐに、それらしき宿が見えた。

 入口の キャトル・グリッド Cattle Grid を越えて庭先の広場に停めて車を降りた。 すでに、数台の車が停めてあった。












 ここはアイナ湖 Lough Inagh の湖畔であるから、"Lough Inagh Ranch" は、"アイナ湖牧場" という意味の名前なんだろう。


 実は、キャトル・グリッド Cattle Grid という呼び名と、それがまた、何たるものかなど、この宿の主 あるじ に教えて貰った。 それに、その効果を実際に体験したのも、ここであった。

 cf. ロバのご挨拶
 cf. 馬のご挨拶






Lough Inagh Ranch (B&B) の庭からの眺め
2009/06/07 Photo by Kohyuh
 玄関脇で登山靴を手入れしている男がいた。

 『今晩泊めてもらえますか?』 と切り出したが、思ったとおり、どうやら泊り客のようである。

 それでも、私たちを中に招き入れて宿の主 あるじ を呼んでくれた。


 2部屋空いていたようだが、庭越しに山並みが見える部屋にした。











同じ景色なのに ・・・
 今は、雨も上がり、晴れ間も見えて、先ほどの淋しげに見えた様子とは異なり、『なかなか美しい景色だ』 と思うようになった。

それは、
  一つには、宿が見つかったこと
  二つには、身近に人の気配がすること
  三つには、晴れ間が見えたこと
だろうか。


 cf. 人恋しい?
 cf. あまりにも場違い











"やぶ蚊" で鳥観 とりみ にならない?
 一息ついて、まだ午後 7時ごろだし、まだまだ夕方という感じがしなくて、外は明るかった。 なにげなく、部屋の窓から眺めていると、鳥が飛び交う気配がある。

 それではと、近くで鳥観 とりみ でもしようと、外に出たとたんに、どのような形のものかさえ分からないような小さな虫が、まるでブトのように顔にまとわりついてきたのである。 チェックインするときには、何ともなかったのに ・・・


 それが、手で払いのけても、払いのけても、まとわりつくから、うっとうしいことこの上ない。 そのうちに、顔や手がチクチクしてきたのであるが、何故そうなるのか、訳がわからなかった。 これが "やぶ蚊" というものだろうか?


 だいたい、ブトもうっとしいが、刺すことはしない。 だから、それより小さな、この虫が刺すとは、そのとき思えなかったのである。 ただ、しばらくすれば、この虫が刺すか、噛み付くかしているに違いないと確信するが ・・・ 蚊が刺すような痒みではなく、また、ハチが刺すような痛みでもない。


 ただ、イガイガするような、それは、中途半端なもので、しばらくなら我慢できないこともない。 それが、双眼鏡で見ていると両手が塞がるから、手にしても顔にしても、払いのけようがなくなるので厄介だ。

 とても、鳥観 とりみ などしている気になれなかった。 『やってられないから、飯 めし にしようっと!』 となった次第である。










夕食はホテルまで ・・・
 夕食は、例のホテルに行くしかないので、車で出かけることにした。 チェックインのときに親切にしてくれた人は仲間と二人で歩いて行くようである。

 私たちが虫に悩まされているの見て、『五月蝿いだろう』 といって、何とかいう虫だと教えてくれたのだが、忘れてしまった。

 しかし、彼らはフードをかぶっているが、手はポケットに突っ込んだままだった。 顔は無防備なのだが動じる様子がない。 よほど面の皮が厚いのかも知れない。



 彼らは、ダブリンの人で、ここに 5泊して、トレッキング などしているというが、もう疲れたと言っていた。 もはや、髪も白くなって、若くはない年恰好である。

 それでも、明日は、どこそこを歩くと言っていたから、元気なものだ。 今日は雨模様だったから、山歩きも大変だったろう。 そういうこともあって、ここにはスキー宿のように、乾燥室もあるようだ。





ロバのご挨拶
ロバのご挨拶
2009/06/07 Photo by Kohyuh


 宿の門にある キャトル・グリッド Cattle Grid を越えて、いざ、道路に出ようとすると、左手、山の方からロバと馬が下りて来るのが見えた。

 日が暮れかかる前に、牧舎に帰ってきたのであろう。

 驚かせてもいけないし、また、見ていても可愛いし、彼らに道を譲ろうと、通り過ぎるのを待っていた。

 ところが、こちらの思惑通りにはいかず、どんどん近づいてくる。








 それでも、まぁ、可愛いものだから、写真でも撮ろうと窓を開けたのがいけなかった。 これが相手の興味を誘ったのか、更に近づいてきたのである。 もう、十分近いというのに ・・・

 ロバは、意外に大きな顔で、カメラを構える家内はのけぞった。 あろうことか、窓から覗き込んできたのである。 こうなると、もう、窓を閉めることも出来ない。 ロバの顔を挟むことになるからだ。


 手で押し返すのも、もし、噛まれると痛いし、また、よだれでもついたら嫌だし、ただ、わぁわぁ騒いでいただけで、有効な手立ては思いつかなかった。

 すると、ロバの方から、ご挨拶が済んだのか、すたすたと、また、帰っていったのである。









馬のご挨拶
馬のご挨拶
2009/06/07 Photo by Kohyuh


 一方、馬は、ロバの挨拶が終わるまで、じっとしたまま、待っていたようだ。

 何も、そこまで律儀にしなくてもいいのにと思うが、『次は俺が挨拶する番だ』 といわんばかりに、近づいてきたのである。

 ここで、とっさに窓を閉めたのがよかった。 馬は窓ガラス越しに覗き込んだだけで、何も言わずに、また、すたすたと、どこかに消えていった。








 彼らの牧舎は見えなかったが、この宿の裏側に下って行ける小道があるようだった。 なるほど、キャトル・グリッド Cattle Grid の必要性がよく分った。 ロバや馬が家の中に入ってきては困る。 可愛いなどとは言ってられないのだ。



 ロバが首を入れたから、ドアの窓枠やら肘掛、家内の膝の上などなど、あちこちに抜け毛が散らばって、散々である。 長くはないが、ごわごわの剛毛であった。









ホテルの食事はパブがお勧め ・・・ 感じのいいウエーター
 こうした大きなホテルには、いわゆるレストラン restaurant と、パブ pub があるものだ。 迷うことなく、パブ に向かった。 すると、同宿の人たちも多くいて、先ほどの二人組みも席について、お酒を飲んでいた。

 ホテルの パブ は、主には、そういったお酒を飲むところではあるが、一品料理も気軽に注文できる。 テーブルクロスを敷いて、ナプキンなどが綺麗にセッティングされた席ではないが、それでも街中のレストランよりは、よほど雰囲気が良い。
 cf. 夕食はホテルのパブ


 スープ、チキンのマシュルーム・ソース、付け合せの野菜のオーブン焼きにポテトチップスなど、どれもボリュームたっぷりで、これが一人前とはとても思えない。



 『パンのおかわりは?』 と聞かれて、『十分です』 といっているのに、おかわりを持って来てくれたりした。 とにかく、何かと声をかけてくれたし、また、冗談をいったりしていたから ・・・ これは、どう理解したらいいのだろう。 まぁ、私の発音が悪かった ・・・ というところが妥当かもしれない。







アイリッシュ・コーヒー
ラウンジにて
2009/06/07 Photo by Kohyuh
 食事も終わり、『飲物は?』 ときかれて、私はアイリッシュ・コーヒー Irish Coffee を頼んだ。

 すると、『これは美味しいよ』 と言ってにっこりする。 そして、ラウンジでどうぞと、案内してくれた。

 本来ここは、ホテルの泊り客用だが、男性が一人、本か何かをテーブルの上に広げていただけだった。 その彼も、いつの間にか姿を消していた。






 もちろん、アイリッシュ・コーヒーは、ウイスキーがベースだから、帰りの車は家内に代わって貰うことが前提である。


 私は、アイリッシュ・コーヒー Irish Coffee は、初めてであったが、ワイングラスは見た目にもおしゃれで、ウイスキーもまろやかに、コーヒーと馴染んでいた。 それは、パブ pub ではなく、ラウンジでこそお似合いである。 なかなか、いいおもてなしだった。

 cf. おもてなしの心遣い
 cf. コーヒーのこと
 cf. コーヒーを注文したのに ・・・
 cf. フラッペ
 cf. ベトナムコーヒー




 
 今晩は、ゆっくり休めそうである。 外に出ると、黒い山陰の上に、半円形のお月様が浮かんでいた。








Lough Inagh Ranch  2009/06/07 (泊)
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