« バリーキャッスル (4) | トップページ | アラン島 »

バレン高原






ドゥーラン Doolin から → アラン島
2009/12/11 release
【25】 2009/06/06 (土)  ドライブ旅行 (2) 7日目 次へ


 今日は アラン島 へ行く日である。 そのフェリーは ゴールウェイ Galway から出るが、ここ ドゥーラン Doolin からは、走行距離にして 70km 強はあるだろうか。 チェックアウトしたら直ぐに出発だ。

 ただ、バレン高原 The Burren にも寄りたいから、さらに、もう数十キロは延びるかもしれない。 今日中に島に渡ることが出来ればよいから、まぁ、午前中に着けばよい。




ハプニング happening
 7時起床、8時に朝食の段取りである。 食堂はがらんとして誰もいなかった。 昨晩、この宿の主人から聞いていたことだが、ここでは何ごともセルフなのだ。

 シリアル、オレンジジュース、トーストにジャムとバター、それに紅茶という質素なメニューだが、持参のメロンがあるから十分だろう。 ただ、広いがらんとした食堂兼、炊事場兼、洗濯場兼 といったところで食べるのであるから暖かみはない。



不審な女
 そうこうしているとドアーをノックする音が聞こえた。 席を立って玄関にいって見ると、太りぎみの中年の女性の姿がガラス越しに見えた。

 さっそく鍵を開けて中に招き入れるが、何やら携帯でしゃべりながら、いらいら、うろうろ、きょろきょろと、何かを探し回っている様子である。 私たちには声をかけようともしなかった。

 宿の主人を探している様子はわかるのだが、この態度では、失礼を通り越して、変なトラブルに巻き込まれるのではなかろうかと、少々気味が悪かった。

 本来なら、『食事中すみません』 とか何とか挨拶ぐらいするのが礼儀だろう。 それがなかったのである。





ドゥーランの朝市
 後で分かったことだが、彼女は朝市の準備のために公民館の鍵がどこにあるのか、この宿の主人に確認にきたのだった。


 チェックアウトのあと、いざ出発と走り出したところ、向かいの公民館のようなところで、朝市か何か、催し物の案内の垂れ幕が下がっていて、皆さんが開店準備のためだろう … 忙しそうに立ち働いている姿が見えた。

 その垂れ幕には、"Doolin Market & Craft Fair 10am to 4pm Open" と書かれてあった。



 こういったところを覗いてみるのは、私は好きであるし、また、旅の醍醐味でもあろう。 その土地の特産物や、珍しい食べ物などにめぐり合える可能性があるからだ。

 まだ、開店準備中だったが、顔を出すと 『中へどうぞ ・・・』 と声をかけてくれた。 すでに準備が終わったお店があり、まだ、テーブルを並べているところもある。

 ハンドクラフト、手作りケーキ、果物、写真の展示販売などのお店があった。 その写真はなかなか上手に撮れていたので、店番をしていた中年のおばさんに聞くと、『自分が撮った』 といっていた。

 それならばと、特に気に入った、昨日散歩して見覚えのあるドゥーランの海岸と、これから向かう バレン高原 The Burren の写真を買った。 また、記念にと、サインをお願いしたら、快く引き受けてくれた。



意外や意外!
 そんなお店を何気なく見回していると、ふと気がついたのだが、先ほどのお騒がせの女性がいた。 相手も気がついていたようで、目が合うと、にこやかな笑顔を返してくれた。

 最初に会ったときの印象とは違って、むしろ、感じのよい物腰である。 ここで謎が解けた。 彼女は、この公民館の鍵を探していたのだ。 その鍵を預かっているのが、宿の主人だったのだろう。

 その宿の主 あるじ と携帯で話しながら、『いま、日本人が食事している筈だから、ドアを開けてもらって、食堂の棚を見てくれ ・・・』 などと、指示を受けていたのだろう。

 そして、そうした試行錯誤を繰り返していると、何のことはない、鍵はあるべきところにあって、『見つかった ・・・』 との連絡が入ったのだろう。 彼女は、そうでなくても開店時間が迫っているというのに ・・・ と、この "鍵" 騒動でいらいらしていたのだ。



そして、もう一つのハプニング
 cf. 音楽好きのおじさん










バレン高原 The Burren へ
 そんなこんなのハプニングがあって、ドゥーランを出発したのは 10:30 am を回っていた。 やがて、峠の上り坂の道となり、バレン高原 The Burren は、その頂上に広がっていた。 ここは、車の往来は少なく、快適なドライブが楽しめた。

 目指す プールナブローン・ドルメン Poulnabrone dolmen は、知らなければ通り過ぎてしまうだろう。 道路脇にある駐車場の横に小さな案内板があるが、その遺跡は眼には入らないに違いない。



プールナブローン Poulnabrone 付近の風景
Poulnabrone, Inishmore 2009/06/06 Photo by Kohyuh



 私たちも一旦通り過ぎてしまったが、他の車がメイン道路から外れて、曲がって行ったのを思い出し、なるほど、あそこがそうかと気がついた。 さっそくUターンした次第であった。

 ここは、観光客の車が三々五々訪れて来る程度で、静かなものである。 案内板によれば、このバレン高原 The Burren 一帯には、見るべきものが多々あるようで、この プールナブローン・ドルメン の他にも、石の城砦 stone fort、くさび形墳墓 wedge tomb などが点在する。

 およそ、大小取り混ぜて、巨石墳墓が70ヵ所、石の城砦が500ヵ所もあるというから半端じゃない。 とても見て回れるものでも無い。 そして、辺りを見渡してして見たのだが、私の目には、ただ、荒野が広がっているだけであった。


 墳墓の形態としては、ほとんどが、くさび形墳墓 wedge tomb だという。 ちなみに、プールナブローン・ドルメン は、portal tomb と呼ばれるものである。






くさび形墳墓 wedge tomb
 くさび形墳墓と呼ばれるのは、その形状に由来する。 前の方がより高く、より幅広く、後にいくに従って、より低く、より狭くなっている。

 また、墓は南西を向いていることが多いのも一つの特長である。



 ただ、このような荒野にも、いや、荒野だからこそかもしれないが、意外に野鳥の気配がする。 近くの潅木に、シジュウカラノビタキ がいた。



 直ぐ近くに、大きくて真新しいレストランがあって、休憩しようか、どうしようかと、迷っているうちに通り過ぎてしまったのだが、それが、心残りだったので ・・・ 少し、引き帰して休んでいくことにした。

 駐車場には、米国旗、フランス国旗など、6本ほどがはためいていたが、日本の国旗はなかった。 入口に案内板があって、よくみると "Welcome to Stone Fort. Information Gateway to the Forts and Tombs of The Burren" と書いてある。

 ここは、普通のレストランではなく、いわゆる、ネイチャーセンター ないしは、ビジターセンター 的な機能を有していたのである。

 ドゥーラン Doolin を発って、小一時間ほど走りっぱなしで来たことになる。








ゴールウェイを目指して
スコットランド人の町 The town of the Scotsman
 しばらく走ると、"スコットランド人の町 The town of the Scotsman" という案内板があった。 かって、この辺り一帯に、スコットランド人の町があったのだろう。

 緑なすものがなく、一見、荒野そのものだが、よく見ると石畳をしいたような石灰岩の広大な空間が広がっていた。


 それは、ただの荒地ではなく、人の手によって、岩を砕き、並べ直したりして、平らにした様子がうかがえるのである。 舗道や住居跡なども、それとなくわかる。

 どうしてまた、この不毛の地であるだけでなく、結構な高さがある高原に入植したのだろうか。

 疑問のタネは尽きないが、案内板を読んでいる暇はない。 また、すぐに出発した。






 ここから先は、急に下りになって、"いろは坂" のような急カーブの連続であった。 いよいよ、人家も見え出したと思うと、やがて、民家が建ち並ぶ中に入り、また、道幅も狭くなり、名も知らぬ小さな町に紛れ込んだ。 そのまま、しばらく進むと、何やら人だかりがしている。









サタデーマーケット
これはカレー?
 近づくと、広場にテント張りの屋台が立ち並んでいた。

 垂れ幕には、
  "Farmers' Market
     every Saturday 10am - 2pm"
  と書いてあった。


 ドゥーラン でも、そうだったように、アイルランドでは土曜日に市が立つのであろう。 花や植木、お菓子やケーキ、パン、魚貝、ジャムや蜂蜜など、見て回るだけでも楽しいが、やはり買い食いが一番だ。

 カレーのようなものをナベでぐつぐつ煮ていたものを、お店の女性が紙コップに入れて食べ出した。 これに釣られて、ついつい注文してしまった。

 もう忘れてしまったが、それほど美味いとは思わなかったのだが、まぁ、そんなものだろう。 ここで食べておかなければ、いつまでも悔いが残るというものだ。














ゴールウェイ Galway 到着
 ゴールウェイの街が近づくにつれて、渋滞や、一方通行などもあって、思うようには、ツーリスト・インフォーメーションに辿りつけない。

 何度か市内をぐるぐる回って、やっと様子が分り、また、うまい具合にスペースが空いて、その目の前に駐車することができた。 ちょうど 13:00 の到着である。 小雨が降っていた。



 さっそく定番どおり、市街図やアラン島の情報の入手や、その島での今日の B&B の予約と、18:30発の高速船の予約をして貰った。

 ここからフェリー乗り場があるロッサヴィール港 Rossaveel まで、およそ一時間とのことであるから、まだまだ時間はある。 街を見学することにしたのだが、といっても、中心街を歩くだけで大したことは出来ない。
 



 インフォーメーションの人が、見るべきところとして市街地図に印をつけてくれた中で、 「リンチ家の城」 と、「聖ニコラス教会」 へ行くことにした。 近くというより、繁華街の中にあるのだが ・・・ がっかりというか、意外なものであった。






リンチ家の城 Lynch's Castle
 お城というから、すぐに見つかるだろうと繁華街を歩いていたのだが、まったく気づかなかった。 地図を見ると通り過ぎているのである。

 また、引き返して見たのだが、またまた、元に戻ってしまった。 仕方なく、通りすがりの人に地図を見せて聞いてみると、そこだよと指さした。

 現在は AIB銀行 (Allied Irish Banks) になっていることは、ガイドブックにも書いてあったので知っていたが ・・・ 見れば、なるほど、その看板が上がっていた。 お城は "大きなもの" という先入観があったので、気づかなかったのである。

 それは、石壁作りのがっしりとした建物ではあったが、喫茶店ほどの間口のもので、かって、お城だった ・・・ などとは、とても思えない。 『あっ、これですか ・・・』 という程度の感想だったが、それは歴史も何もしらない者のいうことであろう。



リンチ家
 かって、ゴールウェイを支配していた有力商人が、14家族 (Tribes of Galway ゴールウェイの部族・家族という意) いたようだが、その中でも、このリンチ家 Lynch family が一番だった。 県知事を多く輩出していていたようである。

 『1493年当時、知事だった、何とかリンチという人が、自分の息子を殺人罪で絞首刑に処し、毅然として正義を貫いた』 などと記された、リンチ記念碑が 聖ニコラス教会 の傍にあったようだが、見なかった。


 この事件から、『リンチ lynch = 私刑』 という言葉が生まれたという説がある。

 しかし、lynch (私刑) の語源は、『米国 Virginia 州の治安判事の名に由来する』 と、辞書 ※5 にはある。











聖ニコラス教会 St. Nicholas's Church
聖ニコラス教会 St. Nicholas's Church
 聖ニコラスは船乗りたちの守護聖人である。 そのこともあって、1477年、この教会でコロンブスが太平洋に船出する前に航海の安全を祈願した、と言い伝えられている。

 雨が降っていたため、フェンス越しに眺めただけで、正面玄関まで行くのが億劫になり、やめた。

 どうやら、正式名称は、"聖ニコラス大学教会 St. Nicholas' Collegiate Church" というようだ。

 何しろ、ここは大学の町、ゴールウェイ Galway である。









 ゴールウェイ Galway は、人口 約6万のうち、五分の一が学生だという大学都市である。 それもあってか、心斎橋ほどではないが、小雨がぱらついているというのに、街は大変な人出であった。 圧倒的に若い人が多かった。

 ここでもサタデーマーケットが開かれていて、その規模も大きかった。 それは、フリーマーケットのようなものであろうか、若い日本人女性が屋台で巻き寿司を売っていたりした。 ゴールウェイ大学の留学生かも知れない。

 そうかと思えば、本格的な魚屋さんがあったりして見飽きることが無い。










アラン島 Aran Islands へ
 映画 「アランの男」 の強烈な印象があって、是非にも訪れてみたいと思っていた。 それが、アランという名前の島は、スコットランドにも、アイルランドにもあって、さて、どちらが思いの場所か迷ってしまった。

 調べてみると、アイルランドの "アラン諸島" ということが分ったのだが、それが三つの島からなるということであれば、全てを巡ることは出来ない。 その中の最大の島、イニシュモア Inishmore へ渡ることにした。

という訳で、この中では、アラン島というのは、
『アラン島 Aran = アラン諸島 Aran Islands = イニシュモア島 Inishmore
を指す。




アラン諸島 Aran Islands
 ① イニシュモア Inishmore ・・・ 今回旅したアラン諸島最大の島
 ② イニシュマーン Inishmaan
 ③ イニシィア Inisheer

 ここで、名前はアイルランド語に由来して、それぞれ
  アラン Aran とは、"長い山々"
  イニシュ Inish とは "島"
  モア more とは、"大きな"
  マーン maan とは、"真ん中"
  イア eer とは、"東"
 という意味になるという。 by Wikipedia







イニシュモア島 Inishmore
  キルロナン港
高速フェリー イニシュモア島 のキルロナン港
Speed Boat Kilronan, Inishmore 2009/06/07 Photo by Kohyuh

 イニシュモア島へ渡るのには、ゴールウェイ Galway の郊外にある、ロッサヴィール Rossaveel のフェリー乗り場から高速船で 40分ほどかかる。

 それはいいのだが、ゴールウェイの町は 「ボルボ・オーシャン・レース Volvo Ocean Race」 とかでお祭り騒ぎになっていた。

 いたるところに "Volvo Ocean Race" の横断幕が掲げられ、その海岸線の道を行くのだが、大渋滞であった。








 雨模様の海では、ヨットが多々眼に入るのだが、特にレースをしているようでもなかったし、それほど大きなイベントとは知らずに通り過ぎたが、ちょっと立ち寄ればよかったと、今にして思う。 あちこちで、私たちが 『ゴールウェイを経由してきた』 というと、このヨットレースの話が出てきたからだ。




ボルボ・オーシャン・レース Volvo Ocean Race
 4年に一度開催される世界屈指の過酷な世界一周ヨットレースで、このゴールウェイに寄港する予定日が 2009年 5月23日~6月 6日 とのことだったらしい。 ということは、今日が最終日で、全艇が勢揃いしていたのであろう。

 移動遊園地があったり、観覧車、ジェットコースターなどの絶叫マシンがぐるぐる回っていた。 ここで、移動遊園地というと、子供向けの小さな乗り物などが並べられただけのものと思うかもしれないが、そうではない。


 かって、ハンブルグ (ドイツ) で実際に移動遊園地に行ったことがあるが、屋台が立ち並び、"はずれ" のくじ引き券が落ち葉のように積もった広場は、夜遅くまで若者たちであふれかえっていた。

 絶叫マシンも半端ではなかった。 きゃーきゃーとい声を楽しむように、オペレーターは、これでもかというほどに、まっ逆さまの状態でマシンを停めたりしていた。





宿は何処に?
 フェリー会社の駐車場に車を置いて、18:30発の高速船で渡った。 宿もゴールウェイの インフォーメーション で取って貰ってある。


 こうして、イニシュモア島の キルロナン Kilronan の港 に着いたのはいいのだが、今夜の宿が何処にあるのかさっぱり分からない。 歩いて 15分といっていたが、『地図は無い』 といわれた。 頼りは電話番号だけである。

 港には、ミニバスが何台もいたのだが、お客を乗せて次々に発車して行った。 どうやら、取り残されてしまったようだ。




ミニバス
ミニバス Mini Bus
 幸いにも、雨は上がっていたので、荷物を引いて、とにかく家並みが見える坂道を歩きだした。 道はこの一本しかないから何とかなるだろうと思ってのことである。

 そうして歩いていると、ふいに後からミニバスが来て横に停まった。 窓を開けて 『何処まで行くのか?』 と声をかけてくれたのである。

 すぐさま、予約した B&B の名前を告げると、『乗っていいよ』 といってドアを開けてくれた。 乗客は若者たちが多かったが、こころよく迎え入れてくれた。

 こうしたミニバスは、運ちゃんの他に、お客を呼び込むための男と二人組であることが多いし、どちらかというと、その男の方が格が上のようである。 なかなか愛想がよかった。




 ミニバスは、次々とホテルやら、ユースホステルに立ち寄っては乗客を降ろしていった。 私たちが最後になったが、宿の前まで連れて行ってくれた。 思えば、例え、道を知っていたとしても、この坂道の連続では、荷物を引いて上がるのは大変だったろう。




大丈夫かなぁ・・・
 降りるときになって、例の愛想のいい男から 『明日のツアーバスに乗らないか?』 と誘われた。 この島では、よほどの健脚で無い限り、ミニバスか、自転車で回るしかない。

 お願いするのはいいのだが、『どうしたらあなたの車と分かるのか?』 と聞くと、出発時間の 11:30am 前に、港のバス停に来さえすれば、私が覚えているから大丈夫という。

 実際には、予感したとおり、大丈夫でではなかったんだが ・・・









やはりパブがいい
 宿の女主人は愛想が無かったが、アラン島の人たちは、本当は優しい心の持ち主なのだが、一見、そういうものだと聞いていたから、『なるほど!』 と感心したものだった。


 もう、19:30 を過ぎていた。 夕食はやはり パブ pub がいい。 もう、道も分った。 それほど大きな村ではないが、パブ も数軒あるようだ。 帰りのことを考えて、一番近いところにしたが、それでも 10分ほど歩かねばならない。

 cf. Tí Joe Watty's - Bar Aran Islands





 ライブは 22:00 ~とのこと、入口のボードに書いてある。 すでに満席のようだったが、タイミングがよかったのか、うまい具合に、奥に席が取れた。 隣のテーブルは、十人ほどの女性のグループで、皆さんよく太っていた。


 その食べっぷりが素晴らしい。 スターター、メイン、デザートと、ボリュームたっぷりの料理を完食していた。 私は羨ましいのだが、スターターなし、デザートは "はんぶんこ" という、いつものパターンである。






ライブ Live
パブのライブ
 食事が終わる頃になって、いよいよ人が増えて超満員である。 ライブが始まったので、席を立って、カウンターの方へ移動した。

 ギターを抱えた三人組の、いわゆるポップス系の音楽であった。 こういった音楽が観光客受けするのだろう、フロアにいた若者が踊り出した。


 老若男女が、入れ替わり立ち代り、引っ張り出したり、出されたりしていた。 ついに、家内も引っ張り出される羽目になった。






 なぜか、私には声がかからなかったが、後で聞くと、スペインから来たという若者たちであった。

 スペインの人は、若者でも英語が通じないことが多い筈なのに、リーダー格の小柄な可愛いお嬢さんは上手かった。 その彼女が、ふと気がつくと姿が見えなくなっていたので、これを機に帰ることにしたが、折鶴をあげたいという。

 どうやら彼女は、タバコを吸うために外へ出ていただけのようで、しばらくすると、再び帰ってきて、仲間と楽しそうにおしゃべりしていた。 その彼女に、お別れの言葉と共に折鶴をプレゼントして、店を出た。 もう、23:00 を回っていた。








AN CRUGÁN Bed and Breakfast and Holiday Cottage ARAN ISLANDS  2009/06/06 (泊)
次へ







Copyright (C) 2004-2017 八幡次郎好酉





















« バリーキャッスル (4) | トップページ | アラン島 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。