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バリーキャッスル (3)




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 2009/09/22
ケンマラ・ハウス Kenmara House (3) 戻る次へ

2009年 6月 13日(土)

若いカップルと同席の朝食
 今日の活動開始は11時ごろになってしまった。 というのも、朝食のとき、若いフランス人のカップルといっしょだったから、いろいろ話が弾み、長引いたのである。 家内はパンも満足に食べることができなかったといっていた。

 というのも、彼氏はカルカッソンヌの人で、そこは、私たちも、かって、旅をしたことがあるところだった。 また、彼女の方もフランス人だが、今回の旅のスタート地点であった、ダブリンに住んでいるというから、話題を共有できたのである。




コーヒーのこと
 面白かったのは、『ダブリンのフードコートでコーヒーを注文したら、大きな紙コップにコーヒーを入れたのはよかったが、そのあと、お湯で埋め戻したのである。 とても飲めるシロモノではなかった』 というと、彼は 『確かに薄いし、だいたい量が多すぎる』 といって、大笑いになった。

 cf. アイリッシュ・コーヒー
 cf. コーヒーを注文したのに ・・・
 cf. ベトナムコーヒー
 cf. フラッペ
 cf. ラデュレ Laduree にて
 cf. ビルとビール






 アメリカンが薄めのコーヒーであることは周知されており、また、それはそれでファンも多い。 しかし、私の好みといえば、イタリアやフランスのコーヒーで、濃いものだ。 特に、エスプレッソが好きである。 また、お茶は紅葉 がいい。 紅茶の文化圏で、コーヒーは要注意である。

 何はともあれ、コーヒー文化圏とか紅茶文化圏などいろいろあるが、その地のものが一番だ。 美味い不味いは好みの問題であり、良い悪いの話しではない。 ましてや、軽蔑するなど、もっての他だ。



映画 「バクダッド・カフェ」
 こういった文化の違いによる微妙なトラブルは、映画 「バクダッド・カフェ」 を観た人なら、よくご存知のことだろう。

 ドイツ人のおばちゃんが、ひょんなことからアメリカで、黒人女性が経営するカフェで働くことになった。

 そして、コーヒーの好みといった、何でもない、ちょっとした文化や習慣の違いが引き起こす騒動を、コメディータッチで上手に描写している。

 最初はぶつかり合ったり、とまどったりしているのだが、いつしか両者とも、お互いの良いところに感化されつつ、変わっていくのである。








マルコニー
 彼らは、当然のことかも知れないが、マルコニーがこの家で、世界で初めてラジオ放送の実験に成功した場所だということを知らなかった。 アーニーさんも彼らに、そのことは説明していないのだろう。 何しろ、あのバスルームは私たち専用の部屋だったからだ。

 彼女は、美人で、知的な面持ちであったが、微笑を浮かべたまま、常に控え目であった。 彼氏の方に向かって、一言二言口にしては、質問でも何でも、彼にしゃべらせている。 フランス人だから、英語が苦手なのかも知れないと思ったが、そうでもないらしい。


 私がマルコニーの話をしたとき、彼氏の方は、きょとんとした顔をしていた。 アーニーさんが説明してくれたとき、私もこのような反応ぶりだったに違いないと思った。 これは、まぁ、私の英語力にも関係していることだから、改めて 『マルコニーを知っていますか?』 と聞いてみたのである。


 彼氏は、マルコニーのことはまったく知らなかった。 一方、彼女は知っているといってうなづいてくれたのであるが、特に、感慨深げでもない様子である。 残念ながら、マルコニーの知名度は、ご当地でも、この程度かもしれない。

 cf. 今あなたがいる部屋











§ 活動開始
 朝食後、部屋へ戻り、いつもより遅くなったが、出かける用意をして階段を下りた。 アーニーさんにM子さんの家の場所を聞いたり、電話してもらおうと思っていたら、幸いにも食堂に彼の姿があった。






領主の館 やかた
 私たちのお出かけ姿を見て 『今日は、M子さんのところへ行くのか?』 といって、グラビア雑誌 を持って来て見せてくれた。 そして、「ここに彼女の家がでているよ」 といって、ページを開いて見せてくれたのである。 M子さんの家の特集記事と写真があった。


 その豪華さに、びっくりである。 私たちは、驚きの声をあげた。 門を入ってから家まで 1マイルもあるといっていたから、普通ではないと思っていたが、牧場か農場でも経営しているのだろうと考えていた。 しかし、写真を見るかぎり、これは、その地方の領主の館 (マンション mansion) だろう。



 『大きな門と、とにかく大きな木があるから分かるだろう』 といって、また、例の地図を広げて場所を教えてくれた。 海岸沿いの道であるから、ほとんど一本道で、それほど難しくはない。

 『午後 3時ごろの到着予定でいきます。 その旨、M子さんに電話していただけませんか?』 というと、早速、携帯電話で連絡を入れてくれた。 家内が代わって話したら、「いつでもOKよ」 ということだった。










§ フェア岬 Fair Head へ
 『午後 3時だったら、それまでフェア岬 Fair Head へ行ったらいい。 ちょうど、この港の向こうに見える岬で、いい眺めだよ』 と、アーニーさんが勧めてくれた。







Fair Head
Ballycastle_fairhead_20090613
ケンマラ・ハウス Kenmara House の庭から、フェア岬 Fair Head を望む
Ballycastle, Northern Irelamd 2009/06/13 Photo ny Kohyuh

手前に見えるのはラスリン島に向かうフェリーの港










牧場の中の道
Gate
Ballycastle_gate_20090613
放牧場のゲート
Fair Head, Northern Irelamd
2009/06/13 Photo by Kohyuh

 この辺りでは渋滞とは無縁であるから、どこでも意外に近く感じる。

 案内標識もあって、指示通りにどんつきまで行くと、農家があり、その裏の空き地が駐車場のようである。

 近くには、古びた大きな " トレッキング のルート図" があったので、場所は間違ってはいないだろう。










 トレッキング・ルートは、コースの種類によって、赤とか青とか黄とかで、色分けされていることが多い。 そして、その色のペンキで塗った杭などが、要所に打ち込んであるから、それを頼りに歩けば迷うことはない。

 ここは黄色のコースしか無いようだったが、それが、どこにもその目印が見当たらなかったのである。





 目の前にはトラクターが走る広い農道があるのだが、ゲートは開いていたが、無断立ち入り禁止と書いてある。

 ウロウロしていると農作業姿のおばちゃんが、『あっち あっち』 と手を振っている。 なるほど、見れば細い踏みあとのある登り道があった。

 この辺りは放牧場の囲いが張り巡らされていて、それらのゲートを何度も跨 また いで越して行かなければなたなかった。 (写真右上)










どれが正しい道なのか?
 教えられた道を辿って登っていくが、途中で分かれ道もあり、ぬかるみや、割れ目など、先に行きたくても進めない場所もあって、もう、コースを外れてしまっていることが明らかになった。 というより、コースなど無いのと同じである。







Ranch
Ballycastle_fairhead_ranch_20090613
フェア岬の放牧場の風景
Fair Head, Northern Irelamd
2009/06/13 Photo by Kohyuh
 目的の断崖らしきところは見えているし、とにかく行けそうな道を選んで進んでいった。

 振り返ると、出発した農家が小さく見えた。 (写真左)

 青々と見えるところは牧草地であろうが、我々のいるところから先は、岩がゴロゴロ見える荒地のようである。










Rock
Ballycastle_fairhead_rock1_20090613
岩下りのロープ
Fair Head, Northern Irelamd
2009/06/13 Photo by Kohyuh
岩下り
 日本では山登りとか、岩登りなどという言葉がある。

 ところが、南米のアンデス地方では、もともと国自体が高地であるから、山や岸壁は登るものではなく、下るものである、ということを聞いたことがある。







 そういう意味では、このフェア岬も同じだろう。 岸壁の下には歩いては行けないのである。 下るしかなかろう。

 どの道を来たのか分らないまま、とにかく岸壁に辿り着いた。 人の姿が見えたから、ただ、その方向の道を選んできただけだ。






 彼は、一人でザイルの整備をしていたが、見るとリュックが四つほどあった。 きっと、四人組で来ているのであろう。 しかし、あとの人たちの姿が見えない。


 岩下りという言葉があるのかどうか分からなかったから、『岩登りですか?』 と聞いてみた。 彼は、『そうだ』 といってうなづいたが、特に手を止めるでもなく、作業を続けていた。

 そうかもしれない。 命を託すザイルの整備であるから、気を抜く訳には行かないだろう。 邪魔をしてはいけないと思って、早々に通り過ぎた。




 前を見ると、小さな岩にザイルがピンと張った状態で、岸壁の下に消えていた。 小さいといっても一メートル四方はあるから、重さは一トン近くあろう。 それでも、命を託すにはいかにも心もとないではないか。

 私は、岩登りする彼らの姿は見たくない。 ザイルが切れたりする目撃者にはなりたくないし、高所恐怖症であるから、近寄ることさえ出来なかった。 (写真右上










Cliff
Ballycastle_fairhead_rock2_20090613
フェア岬の断崖
Fair Head, Northern Irelamd
2009/06/13 Photo by Kohyuh


 さらに進むと、彼らが岸壁に取り付いているだろう断崖の割れ目が見えた。




 このフェア岬は、岩登りの名所としても有名だそうである。 100m を越える巨岩が多々あるという。

 別に岩下りをしなくても、見ているだけで十分、スリルがあった。

















Rock
Ballycastle_fairhead_rock3_20090613
断崖の巨岩
Fair Head, Northern Irelamd
2009/06/13 Photo by Kohyuh

 私たちが目指す所は、アーニーさんの家が見える岸壁だ。

 そこに立って、向こうから見たのと反対の景色を見たいのである。 そこは、もうすぐそこだろうと見当がついた。

 大きな岩が一つ、断崖の突端にぽつんとあるところだ。 (写真右)








 私は、先頭を切って先へ進んだ。 踏み跡が続いていたから、さして危険な感じはしなかった。

 それでも、断崖絶壁を背にして、巨岩の前に立つと震えるほどである。 何しろ、余裕は 1m もないのだから ・・・ 手を離すわけにはいかない。

 cf. ダン・エンガスの断崖
 cf. ダン・エンガスの断崖2
 cf. 笠置山




 それだけに、素晴らしく眺めがよい。 ラスリン島も、また、確かにアーニーさんの白い家も見えた。 家内が手を振って見せた。 それがわかるのではないかと思うほど、近かくに見えた。











Rathlin Island
フェア岬 Fair Head から、ラスリン島 Rathlin Island を望む
Fair Head, Northern Irelamd 2009/06/13 Photo by Kohyuh

ラスリン島は、"くの字形" をしている。
手前の突端が、灯台のあるオルタキャリー岬 Altacarry Head である。










§ M子さんを訪ねて
 アーニーさんから借りた グラビア雑誌 に目を通し、彼女の概歴を知った。 同時に、かって吉永小百合が演じたテレビ・ドキュメンタリー・ドラマ 「クーデンホーフ・カレルギー・光子」 を思い出したのである。

 このドラマは、吉永小百合ファンでなくとも、見られた方も多かろう。 M子さんが、その光子と重なって見えたのである。



 夫の早逝後、伯爵夫人として生涯、日本に帰ることも無く、激動の時代だったヨーロッパで余生を全うした。 当時のヨーロッパ社交界の花形的存在となり、息子の一人に、現在のEUの基礎となるパン・ヨーロッパ運動で有名になったリヒャルトがいる。


 M子さんは、光子のことをご存じなかったが、それは日本にいなかったから仕方がなかろう。 調べてみると、「NHK 国境のない伝記」 という題で、吉永小百合がクーデンホーフ・光子の足跡を辿るというドキュメンタリーで、1973年に放映されたことが分った ・・・ そして、M子さんが、この地に来たのは、1972年のことだった。 放映前のことである。








グラビア雑誌
 M子さんの家が紹介されている グラビア雑誌 には、『忘れがたいほどにロマンティックな外観に加えて、愛情を込めて維持されてきた家 ・・・』 との書き出しで始まり、M子さんの簡単な紹介と、この館の外観や重厚で大きな客間の様子や装飾品などの写真が載っていた。 (写真下)




magazine
Ballycastle_fairhead_magazine
グラビア雑誌

 その雑誌によれば、この館は、1819年に建てられたが、完成したのは1840年のことだそうである。

 M子さんは、現在、二人の息子さんとこの館で暮らしているが、彼女が学生の頃、当時、NHKに勤めていたご主人と出逢った。 その後、二人がこちらに帰って来たのは、1972年のことだという。

 その当時、彼女は強いカルチャーショックを受けたそうである。 日本人であることが、この地の気候、特に冬の寒さと、食事の問題が主な要因だったという。






 不幸なことに、ご主人が早逝されたこともあって、この館を処分して、本気で日本に帰ることを考えたという。  しかし、最後の最後になって、二人の子供のために、この地にとどまることを決意したという。










インフォメーションで ・・・
 "大きな門と大きな木がある" というのを手掛かりに車を走らせた。 海岸沿いの道は迷うようなところはなかった。 海と山に挟まれた道は、広い庭を持つ家など、無理である。 一向に現れることはなかった。

 それが、いよいよ目的の町に近づいて来たところで、大きな鉄の門が二つあったのだが、確信が持てずに通り過ぎてしまった。 さらに進むと、いよいよお店やスーパーなどが所狭しと立ち並ぶ、大きな町が現れた。 明らかに、これは来過ぎである。


 何しろ海沿いの町であるから、そういった関連のレジャー施設もあるのだろう。 見ると、運良くツーリスト・インフォメーションが目に入った。

 ここで、個人の家のことなど聞いても無駄とは思うが、とにかく、今どこにいるのか知ることだけでも、また、立て直しが出来る筈である。 そう思って、M子さんの家のことを聞いて見たのである。

 それが、驚いたことに、名前をいっただけで、すぐに通じたのである。 やはり、通り過ぎていたらしい。 『この道を戻ると、左手に大きな門があり、そこから上がっていく道が見えるから、それを行けばよい』 とのことである。







どちらの門へ入るべきか
 やはり、あの門がそうだったのかと、引き替えしてきたのだが、二つある内のどちらか分からない。 一つは、大きな門の横に石造りの門番の家があり、立派過ぎていかにも入りにくい。

 それに、大きな門は閉じられてあり、横の小さな門が開いていたが、この車が通れるかどうか分からないほどである。 前もって訪問のことは伝えてあるのだから、門は開けてくれている筈だ。




 そう思って、もう一つの門を入っていった。 このように、人の家に黙って入って行くのは、気持ち悪いが仕方がない。 教えられたように坂道になっているが、大きな木は見当たらなかった。

 すると、すぐに農家らしき建物が現れたから、これは間違いだということがすぐに分った。 門から一マイルと聞いていたから ・・・ 早々に、その庭先でUターンしたが、冷や汗ものだった。



 
 こうなると、残る選択肢は一つしかない。 引き返して、立派な方の門を入ることにした。 車をこすりはしないかと心配したが、最小クラスのレンタカーでよかった。 何とか通ることが出来た。 そこは、キャトル・グリッド になっていた。

cf. 管理人の家





キャトル・グリッド Cattle Grid
Cattle_grid_inishbofin_20090609
キャトル・グリッド Cattle Grid
 深く溝を掘った上に鉄パイプのような棒を格子のように並べてある。

 格子のパイプの材料は様々であり、鉄製であったり、コンクリート製であったりする。








 車で入ると、ごとごとごと ・・・ という音と、パンクでもしたのかと思うほどの振動を感じた。

 はじめは、車のタイヤについた泥を落とす装置かと考えていた。 スカイ島の B&B で見たのが最初であった。

 cf. Lough Inagh Ranch という名前の宿




 その後、各所で見られたのである。 未舗装の砂利道ならともかく、舗装道路の横の宿にもあったから、何の目的か知りたくなった。 少なくとも、泥落しではないだろう。


 そんなこともあって、どこだったか忘れたが、『これは何ですか?』 と聞いて見たのである。 すると、キャトル・グリッド Cattle Grid という名前のもので、家畜が家に入ってくるのを防ぐものだと教えてくれた。 ちなみに、cattle は家畜、grid は格子という意味である。



 なるほど、牛や馬や羊や山羊といった家畜は、"ひずめ足" である。 こうした、丸っこくて、しかも、隙間があると歩き難いどころか、足を滑らせて溝に挟まって動けなくなるだろう。 かくいう人間様の私でも、注意しながらでないと渡れない。 溝がかなり深いのである。














やかた への道
Mansion_gateway1_20090613
巨木の森
 門をくぐって敷地内に入ると、それこそ巨木が立ち並ぶ森の中を道が延びているのが目に入る。

 (写真右)の右端に写っているような巨木が立ち並んでいた。









 アーニーさんから聞いていた巨木とはこのことかと分ったが、これは門を入らなければ見えないのではなかろうか。


これは、単に大きいだけではなく、いわゆる造園技術によって設計されたものに違いない。

 車の往来する道路などの "公" の部分と、居住地という "私" の部分を分ける緩衝地帯とするものである。











Mansion_gateway2_20090613
芝生の広場

 その、巨木の森を抜けると、明るく視野が広がり、よく手入れされた芝生の広場が現れた。

 ここに到るのに、もう一つ、キャトル・グリッドを通り抜けた。

 あちこちに羊の姿が見られるようになった。 放牧されているようだ。











Mansion_gateway3_20090613
お屋敷は近い
 そして、いよいよ目指す館へと道に誘導されていった。

 グラビア雑誌 にあった見覚えのある石造りの館 やかた が目に入った。

 その前に砂利を敷きつめた広場があったから車で乗り入れた。











駐車場はどこ?
 どこに車を停めたものかと思ったが、要するに場所を考えて停めなければ、後から来た人が困るかも知れない、といった心配は無用であろう。

 これも、慣れない者にとっては困ったものである。 ちゃんと線引きしてあればいいのだが、どこでもいいとなると ・・・ 日頃の貧乏性が見られるようで落ち着かない。

 適当なところにおいて、車から降りると、正面の窓越しに手を振っているM子さんの姿が目に入った。 マスクをかけて、何か作業中のようである。


 やがてドアが開いて、中に招き入れられたが、『足元に気をつけて! 今、ペンキ塗りをしていたところなの』 というので見ると、ドアーらしきものが外されて床に並べてあった。









見覚えのある部屋
 案内された部屋は、どこか見覚えがある。 というか、これまで、いろいろお城や宮殿を見てきたが、その雰囲気があるからだろう。 腰をかけたこの部屋は、居間になっているのだろう、テーブルや食器棚が見える。



 それに、隣に見える大きな部屋は、グラビア雑誌 にもあったから、それこそ見覚えがあるのは当然だろう。 大きな暖炉があり、壁にはいくつもの鹿の角 つの などで飾られたその部屋は、そうでなくても、天井が高いのに、中央部が円形の吹き抜けになっている。


 下から見上げれば、2階部分の丸く空いた床を囲む手すりが見え、さらに、その上の天井まで見える。 だから、その部屋に一歩踏み入ると、それは、ちょうど教会で見るドームがあるような感じに見えるのである。


 お屋敷全体は三階建てのようだが、英国式であろうか、一階部分の半分ほどは地面より下にあるが、埋まっている訳ではない。










ウェディングケーキでおもてなし
 『昨秋、次男が結婚したときのケーキがあるから食べない?』 と聞いてくれた。 『なかなか食べる機会がなかったの。 ゆかりのある日本の方とめぐり合えて、ちょうど良かったわ』 と付け加えられた。

 昨秋といえば、もう、半年以上も前のものだが、どこかで聞いたことがあった。
 英国では、
  一番下のケーキは結婚式で、
  二番目のケーキは結婚式に来られなかった方々へ送り、
   そして一番上のケーキは二人の赤ちゃんの洗礼式に ・・・
 という具合に、それぞれに合わせて、日持ちするように作られているそうである。


 今は、半分ほどしか残っていなかったが ・・・ 30センチほどのドーナツ型だから、一番上のケーキだろう。 そして、近々、M子さんも、おばあちゃんになると言っていた。

 そういった、ウェディングケーキの詳しい事情を知らないで、遠慮なくいただいたのだが ・・・ 残り少なくなってしまって良かったのであろうか。 白くコーティングするように砂糖菓子で包まれているので、甘かったが、出来立てのように美味しかった。


 聞けば、その次男の方は、結婚したから家を出て、ダブリンに住んでいるという。 そういえば、挙式はダブリンのパワーズ・コート Powers Court といったあと、『彼方たち、行ったことがある?』 と言葉をつないだ。

 『行ってません』 いうと、『行ったらいいわ、綺麗なところよ』 と勧められた。 あとでガイドブックで調べたら、「アイルランドはもとより、イギリスを含めてもこれほど美しい庭園はない」 と記されていた。 ならばと、後日、立ち寄った次第である。


 長男の方は、まだ、未婚で、BBCでシナリオライターの仕事もしているそうだ。 今、何か日本関係のものに取り組んでいるそうだから、『日本でも放映されるかもしれないわね』 といっていたから楽しみである。

 そういうことで、現在はここで、長男と一緒に暮らしているといっていた。







馴れ初め
 私は グラビア雑誌 を読んでいたので、ご夫妻の出逢いのいきさつは知っていた。 それが、『私の英語の先生だったの』 という話は知らなかった。 続けて、『それに、オッ オー と、すぐいうから、嫌だったの』 と意外なことをいう。

 確かに、とんちんかんな回答をしたときなど 『オッ オー』 といったりして、驚いたように首をふったりするものだ。 こうした英国流のやり方を好きになれなかったのか、もう、やめるからといって授業料の返還を申し入れに行ったそうである。

 もちろん、彼女が授業料を払っていたわけではない。 母親が払っていたらしいが、やめる話は黙っていたそうである。

 その二人が結ばれたのだから、縁とは不思議なものである。 そして、『あとから授業料の返還を要求して来たのはお前だけだ』 といって、よくからかわれたそうである。

 なるほどね。 M子さんの剛毅な一面がよくでた話であった。 だからこそ、今があるのだろう。








羊の肉
 今回の旅で楽しみにしていたラムチョップがなかなか見当たらないのだが、どうしてだろうかと思っていた。 ラムの料理はいろいろあるのだが、骨付きラムの焼いたものが食べたいのである。 また、モンゴル料理のように、ただ塩茹でしただけの料理でもいい。

 それが、いろいろ試して見たが、シチュウばかりがでてきた。 しかも、モンゴル料理と書いてあるのに ・・・ 同じようなものだったりする。 これは、何か注文の仕方があるのかと思って聞いてみた。

 それに応えていろいろ教えてくれるのだが、あーでもない、こーでもないと、ぐたぐたいっていたら、『それなら、そこらにウロウロしているから、羊を一匹もって帰んなさいよ』 と言われてしまった。




 それが、旅も終わりになった頃、注文の仕方が分かった。 "カツレツ cutlet" である。 それは、メニューで見ても、これまで拒否していたものであった。

 というのも、オーストリアのカツレツは、日本のカツレツの原型をなすと聞いたことがあったし、実際にそっくりなものだった。 それを私が好きでないのは、かって食糧難の時代を思い出すからである。 衣ばかりが立派で、肝心の肉が紙切れほどだったから。

 薄くスライスしたものをパン粉をつけて揚げたものをイメージするのである。 だから、メニューにカツレツとあっても、それは避けてきた。

 それが、試しに、今回、注文してみたら、骨付きラムの焼いたものがでてきた。 これが食べたかったのであるが、英国最後の日だったので、果たして、他の店でも同じように行くかどうかは分からない。










庭園
Mansion_garden1_20090613
庭園 (1)
 写真右の左隅に私の車が小さく写っている。 確か、その近くに玄関があったのだが ・・・










 この写真を見て分かるように、一階の半分ほどは、地面より下になっているが、埋まっている訳ではなく採光できて、かつ、建物の高さを低く抑えるという英国式の建築様式だ。

 私が好きな建築様式であり、出きることなら、一部屋オーディオルームにしたいところである。












Mansion_garden2_20090613
 これだけ広いと手入れも大変だと思うけれど、よく手入れされていて、植物園にいるような気分である。


















Mansion_garden3_20090613
庭園 (3)
 何もかもが桁外れで、奥の方には滝もあるというが、それも、もう、驚かなかったのである。 フクロウやワシタカもいるらしい。












マンションには違いないが ・・・
 庭にも案内してくれたあと、おいとますることになった。 一時間半ほどお邪魔したことになる。 私たちもマンションに住んでいるので、京都に来られたら、是非、お立ち寄りくださいと、お別れの挨拶をした。 この冗談は通じただろうか ・・・









続く
ケンマラ・ハウス Kenmara House (3)
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