ドゥーラン Doolin
2009年 6月 5日(金) アイルランドと言えば パブ pub だろう。 また、それは英国でも同じである。 どちらかといえば英国が発祥の地であるようだ。 かって、その パブ に行ってみたいと思って、ロンドンでのぞいてみたことがあった。 ランカスターゲイト駅前 にあった、そのパブは超満員で、庭にも、室内にも人があふれかえっていた。 それに東洋人の姿はまったく見えなかったから、どうも場違いのような気がして、とても入る勇気がなかったのである。 その後しばらく経って、田舎町の パブ に入ったことがある。 B&B の主人に 『夕食に行くのだが、どこかいいレストランはないか?』 と聞いて、教えて貰ったところである。 それは都会型ではないが、いかにも由緒ある風情の平屋建ての パブ だった。 § ドゥーラン Doolin へ このドゥーランの村は美しいが、特に見るべき歴史的遺産は何もない。 村も小さくて、メインの通り一本だけで、車では10分もかからないで端から端まで行ける。 興味を引いたのは、村に三軒しかない パブ で、夏場は毎晩ライブが行われているというところであった。
この日は、モハーの断崖 Clifs of Moher (写真右) を見たあと、本来、この近くで泊まることになっていたのだが、いっそのこと、ドゥーランまで行こうということになった。 というより、時間的に遅かったから、ホテルを探しながら先へ先へと車を進めていたら、ここまで来てしまったという次第である。 いい宿が見つからなかったのである。 この辺りは、一歩町を外れると、観光客は来ないのかホテルそのものが無いようである。 § パブ pub のおばちゃん ドゥーラン Doolin に着いたのは 17:00 を過ぎていた。 ホテルもあったが、好みはイン inn である。 パブもよく似たものだろうと、三軒あるというパブを見て回った。 すると、村はずれに泊まれそうなところがあった。 特に看板は上がってなかったが、駄目もとで、一応、カウンターに部屋があるか聞いて見た。 すると、カウンターには若い男がいたのだが ・・・ 横から、がっしりした体格の、いかにもパブの女主人といったおばちゃんが出てきて、大きな声で 『空いてるわよ。 見るなら、これが鍵!』 と、勝手に見に行かされる破目になった。 『料金は?』 と聞くと、朝食無しで、50 ユーロだという。 朝食が出ないのは、夜遅いパブという商売柄だから仕方がないのかもしれないが、私たちは困るのである。 部屋も気にいった訳でもないので、断る口実が出来たようなものであった。 『朝食つきで、50 ユーロぐらいのものを探している』 といってお断りした。 『それに、ここは夜遅くまでうるさいからねぇ』 といいながら、おばちゃんは、携帯電話を取り出して、どこかに電話をしだした。 しばらくして、『私の友人が経営しているところが空いているわ。 安くて朝食付きだから、いってみたら?』 という。 さらに、『気にいらなかったら断っていいのよ。 このまま真っ直ぐいったところよ ・・・』 という。 ここが、村はずれの筈だったから、よほどの村外れだろう。 まぁ、せっかくだし、もう日も暮れそうだし、行って見ることにしたが、『ところで、今晩はライブはあるの?』 と聞いてみた。 『もちろんあるわよ。 それに、きょうの歌手はいいよ!』 といっていた。 案内されたところに泊まるのなら、このパブにしか歩いてはこれないだろう。 また、アルコールが入っては車ではこれない。 § ユースホステル並み 日が暮れたら街灯も無く、淋しそうな村はずれに、広い庭のある、その宿は直ぐ見つかった。 呼び鈴を押すと、中年の男が出てきたので、かくかくしかじか、先ほどパブで教えて貰ったものです、と挨拶した。 すると、ここが食堂で、シリアル が7種類置いてるから自由に食べていいよ。 コーヒーとジュースは、ここにある、などといいながら案内してくれた。 中央に10人は座れるほどの大きなテーブルがあった。 窓際には、大きなシンクや調理台に冷蔵庫、各種の皿やらコップやらが置いてある。 面白いことにコインランドリーが三台も並んでいた。 がらんとした、大きな厨房の中に入ったような気分で、まったく殺風景である。 次に部屋を案内してくれたが、シングルベッドが二つに、二段式ベッドが置いてあったり、四五人は泊まれそうである。 バストイレは向かいの室にあり、共用できる構成であった。 今日は泊り客がなさそうで、専用で使えるという。 大勢の仲間で泊まるのならいいのだが ・・・ と思いはすれ、これからホテル探しをするのもしんどいという気持ちがあって、ここに泊めて貰うことにした。 これが部屋の鍵、これが玄関の鍵、使い方はと言いながら、玄関まででて説明してくれた。 そして、そのままどこかに消えた。 § パブで夕食 午後7時頃だったか、パブに向かった。 中は以外に広く、人も大勢いたのだが、食事をしたいというと席まで案内してくれた。 ライブはだいたい8時過ぎか、9時頃に始まるのが普通である。 それまで、食事をしながら待つのであるが、たいがい、いくらギネス (半パイント) をちびりちびり飲んでも、それまでに食べ終わってしまうのである。 それに、ライブがどの辺りで行われるか、馴れないと分からない。 壁越しに聞いても面白くない。 それが馴れてくるとだいたい分かるようになる。 部屋の隅にリザーブ席があったりする。 どうやら、この席は壁越しのようだった。 食事をしていると、例のおばちゃんが通りかかり、めざとく私たちを見つけて、『来てくれたの?』 と声をかけてくれたのである。 見れば、髪も化粧も衣装も、昼間の印象とは少し違って見えた。 『わたし、きょう歌う破目になっちゃった』 と照れたように笑みを浮かべた。 「今日はいい歌い手が来る」 といっていたから、その前座でも務めるのだろうと思っていた。 § ギネス Guinness アイルランドでは毎日のようにギネス(黒ビール)を飲んでいた。 ふつう、こちらの人は、1パイント(約500ml) のコップで注文するが、私のように半パイントでも出してくれる。 ギネスは、アーサー・ギネス Arthur Guinness という人が、1756年にダブリン (アイルランド) で創業したもので、社名もギネス Guinness & Co. という。 それが、これまでテーブルで注文していたから、運んでくれたものを飲んでいただけである。 それが、パブでは自分でカウンターまで出向いて注文するのが普通である。 このパブでは、食事の際の注文はウェイターが聞いてくれて、料理も運んでくれるが、「追加注文はカウンターで ・・・」 と、わざわざ張り紙までしてあった。 ライブはまだ始まらないようだし、テーブルの皿は片付けられてしまったし、ということで、ギネスを注文しにカウンターまででかけて行った。 注文はその場で現金払いである。 すると生ビールと同じように、レバーを引いてギネスをコップに注いだあと、カウンターの上に置いた。 そのボーイは、そのまま次の仕事に取りかかるためその場を外した。 私は、出来たものと思って、そのコップを持って帰っていたら、不意に横から呼び止められた。 見ると、先ほどのおばちゃんが友人らしき人とテーブルを囲んでいたのである。 気がつかなかった。 おばちゃんは、それはまだ駄目、カウンターへ持って行きなさいという。 私は何のことか分からなかったのであるが、ともかくカウンターに戻ってコップを置くと、先ほどのボーイがギネスを注ぎ足してくれたのである。 これで納得した。 最初に注いでから、泡が消えるのを待って、さらに規定の量まで注ぎ足すようである。 おばちゃんは、私のコップの量を見て、気がついたのだろう。 私がアルコールに弱いことや、ましてや、ギネスに詳しくないことなど、すべてお見通しであったのだろう。 § 感動のライブ
それが、どこのライブもそうであるが、マイクの調整やら何やらで、なかなか始まらないのが常である。 下手をすると一時間ほど待たされることがある。 そういうこともあって、たまたま、帰る人があって椅子が空いた。 目の前に、おばちゃんがバウロン (bodhrán) を持って座っている。 ギターをもった男がリーダーのようだったが、ときおりおばちゃんと言葉を交わしていた。 そこへフルートをもった綺麗なお嬢さんと、アコーデオンを肩にかけた男も加わった。 バウロン bodhrán このように、奏者が新しく加わったり、抜けたりすることがあるという。 まさに、アイリッシュ・ミュージックでいうセッションである。 しばらく、調音がつづいて、一瞬の間があったあと、おばちゃんが静に唄い出した。 私は、その歌声を耳にしたとき、涙がこぼれそうになった。 何も前座を務めるといったレベルのものではなかったのである。 これまで、毎日のようにライブを聞いてきたのだが、これを越えるものはなかった。 観光客では米国人が多いから、彼らが喜びそうなカントリーやジャズばかり目立っていたが、今日はメロディーにしても楽器にしても、アイリッシュ・ミュージックである。 それに、バウロン (bodhrán) を目にするのも聞くのも初めてであった。 左手で皮の張り具合を調整しながら、右手で鉛筆ほどの小さな棒で叩いて音を出すようである。 いま気がついたが、おばちゃんは左ぎっちょである。 大きくもなく、むしろ小さく、しかし、リズミカルな音に合わせて、透明感があり、よく響くフルートが乗るようにして旋律を奏でるのである。 第一ステージが終わったところで、もっと聞きたかったが、10時も過ぎたので引き上げることにしたが、別れ際に家内が折り鶴を手渡すと喜んでくれた。 § 音楽好きのおじさん 翌朝、食事を済ませたあと、チェックアウトしようと宿の主 あるじ を探した。 ちょうどそのとき、若いカップルが食事に現れた。 気がつかなかったが、どうやら、昨晩遅く、ここに来たようだった。 宿の主に、昨晩のライブは感動したというと、『それはそうだろう。 彼女は、かってアメリカでも有名になった人で、一時は旦那とバンドを組んで世界を回っていたが、今は一人でこの近くに暮らしている』 という。 やはり、ただ者ではないと思っていたのだが、『CDがあれば欲しいものだが ・・・』 というと、すかさず、『それなら、いま買ってきてやる』 というが早いか、車でどこかに消えた。 彼は直ぐに戻ってきた。 そして、包装をとき、CDプレーヤにかけながら、この曲が好きだとか、これはいいだろうとか、説明をしてくれた。 【参考】 Geraldine Mac Gowan "Through The Years" お前は何が好きか? ・・・ と聞くので、アイリッシュで思い出すのは、かって音舞台のライブにいったことがある 「シークレット・ガーデン Secret Garden」 のことを話したら、ますます意気投合するのであった。 「あなたはセッションに参加することがあるのか?」 と聞くと、冬場だけ、あのパブで参加しているという。 彼は電気やさんで、また、民宿をしているので、夏場は仕事が忙しいのである。 セッションとは、本来そんなものだろう。 音楽好きの仲間が集まって楽しんでいるのである。 お客が聞きに来るといったことは、付録みたいなものである。 ハーモニカが得意といっていたが、どこかに消えたと思ったら、バンジョーを持って現れた。 そして、何曲か演奏してくれたのである。 私はバンジョーは、カントリーやデキシーランド・ジャズでよく耳にしたものだから、アメリカのものとばかり思っていた。 ところが、アメリカはアイルランドからの移民が多い筈である。
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