貝の塩ゆで
2009年 6月 8日(月) 今回のアイルランドの旅 (2009年) は、これまでとは少し違った。 わざわざ鳥観 とりみ のために船に乗り、いくつかの小さな島々に渡ったことである。 というのも、アイルランドのことを調べていくほどに、パフィン がいるとか、また、渡り鳥の聖域で愛鳥家には知られた島だ ・・・ といったキャッチコピーを多々目にしたのである。 また、実際に訪れてみると、当たりも外れもあったのだが、それは鳥観 とりみ に関することである。 鳥たちに限らず、出逢いとは本来そんなものだろう。 そういう意味では、大いなる自然もさることながら、そこに暮らす人たちとの心温まる出逢いが多々あったのである。 そして、イニシュボーフィン島 Inishbofin Island と言えば、鳥観 とりみ のことより、今では、「貝の塩ゆで」 の差し入れを受けたことが忘れ難い思い出となっている。 § クレガン Cleggan 今日 (2009/06/08) は、カイルモア修道院 Kylemore Abby を見て、コネマラ国立公園 Connemara National Park を トレッキング したあと、その近くで泊まる予定であった。 それが、道に迷うこともなく、事は全て順調に運んだ。 それぞれに、絵に描いたように美しいものではあったのだが、立ち去りがたい気分にさせるものではなかった。 言い換えれば、大きなサプライズがなかったということになるのだが、どうせこの近くに泊まるのならイニシュボーフィン島 Inishbofin Island まで行こうということになって、ここクレガン Cleggan まで来てしまった次第である。 § イニシュボーフィン・フェリー Inishbofin Ferry
だから、車は駐車場に置いて行くのだが、何しろレンタカーであるから路上駐車とはいかないのである。 もちろん盗難保険にも入っているが、駐車違反では、被害にあっても保険はおりないに違いない。 フェリーの乗船券の売り場は直ぐに見つかった。 確か、「インフォメーション」 という看板がでていたように思う。 そこで発券してくれた。 駐車場の形式もいろいろ § 宿探し ホテルなら問題ないのだが、安くていい民宿 (B&B) を探すとなると、これが以外に難しい。 車が使えるのなら、走り回って、見た目で確かめることができるだろう。 ところが、荷物があるわ、歩きだわ、では人に聞くしかない。 港に降り立つと、乗り合わせた乗客のみなさんは、迎えの車が来たりして、いつの間にかどこかに消えていった。 気を取り直して、正面の小高い丘に目をやると、公共施設らしい建物があった。 コミュニティー・センター community center だった。 玄関ホールには、催しもののチラシが貼ってあったり、コーヒーベンダーが置いてあり、自由に飲めるようになっていた。 § ちゃっかりおばさん 制服のような、そうでもないような服装のおばさんが数人いたから、誰とはなしに 『近くに B&B はありませんか?』 と声をかけた。 すると、どこを紹介したらいいのか困惑した顔つきで、お互い見詰め合ってたようだが、その中の一人が進み出てきて、『家 うち にきなさいよ』 という。 『ほら、あそこに見える青い家だよ』 と外へ出て指さした。 おばさんは終始大きな声で、他の誰よりも明るく、また、何ごとにも快活に応えてくれた。 それほど遠くはないが山道を登らなければならない。 ホテルならこのまま平坦な道を行けば良いし、たいした距離もない。 「料金は?」 と聞くと、『40 euro/person』 という。 どうも EU に加盟してから高くなったのだろう、どこも同じようなもので "35-40 euro/person" が相場のようだった。 ただ、おかしなことに料金はどの宿も相場どおりなのに、今回に限らず、これまでの経験でも、部屋や設備がピンからキリまでだった。 そんなこんなで、部屋は期待できそうになかったから、『あそこのホテルはいくらぐらいかな?』 と踏ん切りをつける意味で聞いてみた。 すると、嫌な顔一つせずに、さっそく携帯電話を取り出して聞いてくれた。 「65 euro/person」 ということだった。 こうなれば一も二もない。 おばさんの家 うち に泊めて貰うことにしたのである。 そのようにお願いすると、『荷物はここに置いといていいよ。 息子に運ばせるから ・・・ この道を上って行って、あそこに青い屋根が見えるでしょう? そこを左に曲がれば "Lapwing" の看板があるから ・・・ L・A・P・W・I・N・G』 "Lapwing" とは、「タゲリ」 のことであり、今回もアイルランドではよく見かけた。 しかし、鳥好きでなければ、普通、タゲリの存在など知らないのではなかろうか。 さらに言葉を続けて、『朝食は何時にする?』 『何が食べたい?』 などと、どこでも聞かれることであるが、この場で決めていった。 不足のものは買って帰るのかも知れない。
"Lapwing" は直ぐに見つかったが、小さな看板が無ければ普通の民家である。 海側に広い芝生の庭があり、玄関は車が通れる道路側にあった。 玄関の呼び鈴を押すと息子さんであろう若い兄ちゃんが出迎えてくれた。 荷物はまだ届いていなかったが、部屋に案内してくれた。 まず、食堂を教えてくれた。 次にそれに続く廊下を奥へ進むと、途中に扉が開いていた部屋があった。 それを、彼は慌てて閉めたが、そこが彼の部屋らしく、ちらっと、男の部屋らしい雰囲気のベッドが見えた。 案内された私たちの部屋は一番奥にあった。 部屋は広くはないが小奇麗にまとめられてあり、不足があるとすれば、トイレ (シャワー付) が狭かったというところである。 案内してくれた兄ちゃんは、それ以後、気配はするのだが、再び姿を見せることはなかった。 このぐらいの年頃の青年の気持ちは痛いほどよく分かる。 母親から、荷物を運べ、部屋を案内しろ、ステレオはがんがん鳴らすな、などと電話で命令されるのであるが、お客がいる以上逆らえないし、かといって、めずらしい日本人が来たからといって嬉しくもない。 できればやり過ごしたいところであろう。 鳥観 とりみ へ 荷物はいづれ届く筈である。 鳥観 とりみ をかねて散歩に出かけることにした。 とりあえず、東端のビーチの方へ行くことにした。 どうせ明日は、荷物を引いてコミュニティーセンターへ帰らねばならない。 近道はないかと思って探しもっていった。 ちょうど、四叉路の角で農機具の手入れをしていたおじさんがいたので 『この道はどこに行きますか?』 と指差して聞いてみた。 すると、その手をとめて、何やら返してくれるのだが、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
ホテルへ行けるのなら近道だ。 坂は多少きついが、港に近いし、ということは、コミュニティーセンターにも近いということだ。 夕食はホテルのパブ ホテルのレストランではなくて、いつものように パブ pub の方である。 これが私の好みである。 地元の人が利用したり、泊り客でない人でも気軽に利用できるからである。 また、無理してコース料理といったものを食べなくて済むからである。 cf. ホテルの食事はパブがお勧め チャウダースープ(パン付き)、サーモンソテー野菜添え(ニンジン、カブ、セロリなど)、ジャガイモのオーブン焼きを二人でシェアーして丁度よいボリュームである。 例によって、ギネスは欠かせない。 ビルとビール コーヒーを注文したのに ・・・ 宿のおばちゃんは気づかない 2009年 6月 9日(火) ・・・ 鳥紀行 2009/06/09 へ 働きもののおかあさん 約束の朝8時になって食堂へいくと良い匂いがしていた。 頼んでいたアイリッシュ・ブレックファスト Irish Breakfast を調理しているのであろう。 ホテルでも、B&B でも、アイリッシュ・ブレックファストに大きな差はない。 また、イングリッシュ・ブレックファスト English Breakfast と同じといってよい。 cf. コンチネンタルと呼ばれる訳
おばさんは、料理を出すと、『出勤の時間なの。 ゆっくり食べてね。 あとはそのままにしておいて』 と言って出かけようとしたので、支払いだけは先に済ませた。 ふと窓の外に目をやると、庭の芝生で小学生らしき男の子がサッカーボールで遊んでいた。 下の子供さんであろう。 彼は、私たちが見ていることに気づいているに違いない。 いろんな妙技を披露してくれた。 このくらいの年頃の子供の気持ちもよく分かる。 本当は話もしたいし、一緒に遊びたい。 好奇心が旺盛なんだ。 ただ、それを自分からは、なかなか言い出せないでいる。 その彼も、学校へ行ったのだろうか、いつの間にか姿が見えなくなった。 このようにして、私たちが出かけるときには、誰の見送りもなかったのである。 あとで、おばさんから、ゲストブックに署名したか? と聞かれたが、残念ながら忘れてしまった。 § 親切なタクシーの運ちゃん 朝食の後、荷物を引いておばちゃんの勤め先のコミュニティーセンターへ行った。 荷物を預かってくれると聞いていたからだ。 昨日も島の東端まで歩いて往復したが、今日は東端から北の断崖の方へ行ってみようと考えていた。 時間稼ぎに東端までタクシーで行くことにした。 その旨、おばさんに伝えると、携帯でタクシーを呼んでくれた。 タクシーといっても、バスにも早代わりする赤い小型バス仕様車である。
昨日も私たちはこの道を歩いていたから、どこかですれ違っていたかもしれない。 それもあって、なぜか、顔見知りのような気がする。 目的地に着くと、あそこのゲートを入って行けば北の断崖へいけると教えてくれた。 また、親切にも、その周辺を走り回って、ところどころに止っては、説明してくれた。 地図を見せて チャフ を見たいからと、話していたからだが、さすがに観光バスも兼ねる運ちゃんなので何でもよく知っていた。 小高い丘に止り、 水平線の向こうに見える特徴ある山を指差して ・・・ あそこがベネディクト派の教会があったところだとか、 また、少し移動しては、あれがビーチだ、綺麗だろうとか、 この道を行けばレストランがあるが、3時には閉まるから気をつけるようにとか、 数日前に、ここで ウズラクイナ corncrake が目撃されているとか、 ここで写真を撮ってあげようとか、 また、ぐるりと回って元のゲートに到る道に戻って、 "Enjoy the Paradise !" といって 手を振って送り出してくれた。 その小道は大きな金網の扉で閉ざされていたのだが、開けて入って行けるそうである。 教えて貰わなければ入ることはなかったであろう。
§ 貝の塩ゆで チャフ がいるという島の東端北側にある断崖にはいなかった。 あのビーチを回って帰ることにしたが、もう、そこを曲がればビーチというところまで下ってきたところで、またもや、扉が閉じられていた。 今度は、ご丁寧にロックが外れないように紐で縛ってあった。 なにか無断立ち入り禁止のサインかも知れないと思ったが、遠くに人影が見え、貝を獲っているようだったので入っていった。 その人のところまで行って、ここに入っていいのかどうか聞けばよいと思ったのである。 しばらく歩いていると、おばあさんが二人、あとから入ってきていたので問題ないと分かったのである。 要するにヒツジを放牧しているので、逃げ出さないようにしているだけである。 紐で結わえてあるのは、海岸沿いなので風が強いからだろう。 扉ががたがたと風でゆすられるとロックが外れるかも知れないというほどの簡単な構造だった。
注意でもされるのかと心配になってきたが、知らぬ顔で、こちらも相手に向かって進んでいった。 声をかけられるほどの距離になったので、こちらから挨拶した。 温厚そうな人であった。 バケツを見せてもらうと貝がいっぱい獲れていた。 それでも三分の一ほどしか入っていなかった。 私は、バケツがいっぱいになっても、獲れるだけとるという根性の持ち主であるが、彼にとっては、食べる分だけ獲れば十分なのである。 私はここに来て、こういうものを食べたかったのである。 そこで、『こんな貝を食べさしてくれるところはありますか?』 と聞いてみたのである。 そうしたら、どこどこのレストランへ行けばよい、という答えが返ってきた。 ダブリンから来たおばあさん そのおじさんが姿を消したので、いざ私たちも引き上げようとしたら、帰り道が分らなくなってしまった。 どれほど歩いてきたのか距離感がつかめなかったのである。 また、どこも似たような風景なので、まぎれて入口が分らなかった。 それでも、なんとか見つかったが、要らぬ労力を使ってしまった。 メインの道路に出た所で、杖を持ったおばあさんが独りで腰をかけていたので、『ビーチにいた人達とは、お仲間ですか?』 と話しかけた。 海岸に下りていた連れの人を待っているとのこと。 砂浜を杖をついて歩くのは難しいだろうと思う。 ただ、連れの人も、確か杖をついていたのだが ・・・ このおばあちゃんは疲れていたのかもしれない。 ダブリンから、毎年のように遊びに来ているという。 『ダブリンは人や車が多いですね』 というと、『そうなの。 ここは天国よ』 といって微笑んだ。 そういえば、タクシーの運ちゃんは パラダイス と言っていたが、そうかもしれない。 塩ゆでの貝の差し入れ
バイクに乗っていたのだが、全く音が聞こえなかった。 あとで分かったが電動バイクということであった。 そして、黙ってビニールの袋につつんだコップらしきものを差し出したのである。 なんだろうと思って、ビニール袋を開けながら中を見ると、透明プラスチックのコップに入った貝のむき身が目に入った。 そのとき彼は何も言わなかったが、直ぐに、全てを察することが出来た。 思わず私たちは、うわーっと喚声をあげた。 まったく思ってもいなかったことである。 あのとき私が羨ましそうにしていたので、急いで調理して、ここまでバイクで持って来てくれたのだ。 小さなコップとは言え、むき身だから、収穫の半分以上はあったろう。 このままつまんで食べてもいいかと訪ねると、にっこりと微笑んでうなずいた。 無口な人だったのか、また、どのような言葉を交わしたのか、思い出せないでいる。 実際に、そのとき、私たちはお互い、言葉を発することはなかったのではなかろうか。 確かなことは覚えていないのだが、あのとき、言葉は不要だったに違いない。 例え、日本人どうしであったとしても、言葉だけでは、気持ちの全ては伝えられないだろう。 オートバイが二人に近づいてくる。 cf. 身振り手振りは共通 一つつまんでみると、これが想像通りの美味さであった。 『塩でゆでただけですか?』 と聞くと、ワインなども使って調理しているといっていた。 美味いわけだ。 そして、彼も知っていたのである、美味しい食べ方を。 帰りかけようとするのを 『ちょっと待って』 と家内が声をかけた。 彼は、礼はいいよという風に手を振ったのを待ってもらって、バイクの後ろの座席に折り紙を置いて、いつものように鶴を折り出した ・・・ § アン・マリーの工芸店
家の白壁にも、入口のフェンスにかけてあるロゴマークにも、"Ann-Maries's Craftshop" と書かれてある。 "アン・マリー Ann-Marie" という人にも逢ってみたいし、せっかくだから立ち寄ってみることにした。 入口にTシャツが飾られてるところをみると、工芸店といっても木彫品などではなく、手芸品を扱っているのだろう。 店には、手工芸品の中にも漢字をあしらった小物があったりして、ここでも日本ブームなのかと思ったりしたものだった。 『あなたたちはどちらから?』 と聞かれて、「日本から ・・・」 と応えると、いっぺんに打ち解けムードになっていった。
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