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鳥紀行 東南アジア編

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八幡次郎好酉の鳥紀行 東南アジア編




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No 旅行日 概要
【01】 2007/01/16 出発
  <続く>  
     
 



 

 ハイライト
No 出逢い リリース日
ハイライト ①    サムカムペーン温泉 (1) 2008/08/07
ハイライト ②    サムカムペーン温泉 (2) 2008/08/09
ハイライト ③    サムカムペーン温泉 (3) 2008/08/10
     




(注1)  記事は、旅行の日付順であるが、掲載する鳥の写真は、日付が前後することがある。 写真は、撮り置きのものから、できる限りよいものを選んだためである。
(注2)  鳥の 同定 には自信がありません。 お気付きの点、ご連絡いただければ嬉しいです。
(注3)  好酉の鳥紀行 東南アジア編は、2007/01/16 - 2007/01/31 16日間の旅であった。
タイトル欄の【】内の数字は、旅行の第何日目であるかを示す。
 ex. 【08】は、8日目である。








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【01】 07/01/16 (火) 出発 戻る|次へ



はじめに
 今回は、マイレージを貯めていたおかげでシンガポールまでの往復航空券が入手できた。 ただし、いつでも良いというものではない、2007年5月までという利用期限があった。

 そして、これまでシンガポールやタイは何度か、春に訪れていたことから、次は真冬にしようと心に決めていた。 というのも、東南アジアは日本の 夏鳥 たちが避寒に向かう地であろうから、バードウォッチング には最適の季節と考えたからである。

 それに、日本が真冬なのにご当地は常夏の地という、想像しにくいものであり、また、その得がたい経験ができるというのも楽しいことに違いないと思ったからである。

 そして、いつものように旅行の間、娘宅に 私のチュン を預けようと気楽に考えていたのである。 ところがその娘に子供が生まれたことから、事情は一変した。 チュンの世話まで出来る訳がない。

 できれば旅行は一年先に伸ばしたいと思ったのであるが、それではせっかくのマイレージが消えてなくなるというから惜しい気がするのは人情だろう。

 それでも大事なのは孫娘の方であり、いつでも旅行はやめる決心だけは出来ていた。 その孫娘も順調に成長し、六ヶ月も過ぎた頃には育児の自信がついたのであろうか、娘の方から 「チュンを預かるよ」 といってくれた。





§ 出発
 今回は、航空券からホテルやバンコク発のアンコール・ワットのツアーの予約まで、全て家内がインターネットから手配した。 まあ、私は荷物持ちのようなものである。

 いつもなら格安航空券を買うのであるが、マイレージがあるから直接シンガポール航空へインターネットで手配する。 さすがに上手く出来ていて、出発日等の入力を進めていくと、最後に座席の配置図が現れてくるから、自分の好きな座席にチェックを入れるだけで手配が済む。 例によって後部座席の二列席を手に入れていた。

 それが出発の数日前だったか、シンガポール航空から電話があり、当の座席の周りは修学旅行生で占められているから騒がしかろうと、席替えしたらどうかと勧めてくれた。

 代替の席は、エコノミーの最前列であるという。 もしや、ビジネスクラスかと思ったが、そうではなかった。 それに、そこは三人がけで窓がないという。 ただ、足元は広いという。

 私は閉所恐怖症であるから窓がないのは嫌いである。 返事を渋っていると、なおも、お客様に不快な思いをさせたくないからと言う風に、引き下がる気配がない。

 まあ、修学旅行生であるから一まとまりが良かろうし、また、航空会社は、私たちのことを心配して言ってくれているのではなく、彼らの便宜を図ってやりたい気持ちでいることに間違いはなかろうし、このままでは大人気ないので聞き届けることにした。






§§ 旅は道連れ
 隣の座席に誰が座るかで旅の楽しさが変わることがあるものだ。 インドのムンバイまで行くという青年と同席することになった。 もう何度も出張でこの飛行機を使っているらしく、いつもこの座席を指定するという。

 私は、前に座席がないというのは、何か突っ張りがきかないような不安な気持ちになるのであるが、これは貧乏性というものであろう。 部屋でも大きいのは好きでない。

 独眼竜伊達政宗は決して人前で横になったりする姿は見せなかったという。 そのため、昼寝をする場合など、公務以外の時に過ごす一二畳ほどの小さな私室を持っていた。 NHKの歴史ドラマで見たが実に小さなものだった。

 確か、中から外が見える覗き窓と小さな出入り口があるだけであるから、守られているという安心感がある。 これが、私の理想とする部屋である。 閉所恐怖症というのは、小さい部屋だから怖いのではない。 出たくても外に出ることができない状態が怖いのである。

 また逆に、王宮で見かけるような大きな寝室では、背中がすーすーして、とても眠れたものではないだろう。 このような症状のことを 「開所恐怖症」 とでもいうのであろうか。 それとも、まとめて 「小胆症」 とでもいうのであろうか。 要するに、肝が小さいのである。




§§§ 使い方が分からない
 ディスプレイやらテーブルは前席の背に付いているものであろう。 それが前に席がないのであるから食事のときはどうするのか。 ディスプレイは無くとも大したことはないが、食事となると膝の上に置いて食べるしかない。

 どうしたものかとぶつぶつ言っていると、こうするのですよと、その青年が肘掛に仕掛けがあることを教えてくれた。 なるほどディスプレーもテーブルも、その肘掛の中にセットされていた。

 そして、いとも簡単に彼は、ディスプレーもテーブルも組み立てて見せた。 もし、この席に問題があるとすれば、フットレストの仕掛けが付いていなかったことであろうか。 これはまあ、前が広いから問題にするほどのことでもなかったけれど。

 それが自分のもので試してみると、いくら力任せにボタンを押そうが、テーブルとおぼしきものを引っ張ったり、また、考えられるそれらの組み合わせ操作を、いろいろ試してみようが、うんともすんとも言わないのである。

 すると彼が席を立ち、懇切丁寧に私の席のものを操作して見せてくれた。 なるほど、力の入れ具合が問題で、操作そのものは難しいものではなかった。 なるほど、なるほど巧く出来ているなと思いながら、反復練習して納得したものだった。

 それを見ていたのか、通路を隔てた隣の客が同じように悪戦苦闘を始めた。 私は、ここぞとばかり席を立ち、いとも簡単にセットして見せた、いや、かったのであるが、それがどうも上手くいかないのである。

 かといって、席を立ったからには簡単には引き下がれないだろう。 二人で悪戦苦闘していると、再び、例の青年が応援に駆けつけてきてくれた次第である。 この一件があってから、いっぺんに打ち解けて、あっという間にシンガポールに到着した次第である。

 関空 11:00 発 (SQ617便) - シンガポール 17:00 着 であったから、1時間の時差を考慮して、7時間の旅であった。





§ シンガポールに到着
 チャンギー国際空港 Changi International Airport に定刻どおり着いた。 雨が降っていた。



§§ やはり日本とは気候が違う
 飛行機を降りるまでは気が付かなかったが、やはり日本とは気候が違う、暑かった。 それに、機内の日本語アナウンスでは、にわか雨と言っていたが止みそうもなく、シトシトと降り続けていた。



旅行荷物一式  チャンギー国際空港にて
2007/01/16 Photo by Kohyuh
 ホテルへは地下鉄シティーホール City Hall 駅から10分ほど歩く必要がある。

 晴れておれば問題はないが傘を差しては荷物は持てない。

 だから、タクシーで行くことも考えたが、にわか雨であればそのうち晴れる。

 とにかく勝手知ったる地下鉄で最寄り駅まで行って、雨の様子を見ることにした次第である。















§§ 面白そうな街を見つけた
 空港から地下鉄 (MRT : Mass Rapid Transit) に乗ってシティーホール駅 (City Hall) まで30分ほどである。 地下鉄というのは適当ではないかも知れない。 地下にある駅から乗っただけである。

 MRTは、直ぐに地上に出て高架を走るようになるから非常に眺めが良い。 カラスやらサギやら ジャワハッカ を見つけては、大喜びをしていた。 それに見知らぬ鳥もいたから期待が膨らむ。

 また、生活感溢れる市場や食堂街があるのを見つけると 『明日はここで食事しよう』 とか言いながら、その駅の番号を記憶したものだった。 駅の名前は覚えられなくても、駅番号制が整っているから 「EW9」 とか、番号を覚えればよい。

 というのも、これまでは観光客向けのレストランばかりで食事をしてきたような気がする。 だから、普通の人が、普通に食べている食堂で、普通のものを食べたいと思うようになった。

 シンガポールにしろタイにしろ、朝食は外食が常識という外食文化社会という。 安いわ、美味いわ、メニューは多いわで、興味が尽きない。




§§§ 懐かしい食事風景
 このような食事の思いにこだわったのにも、懐かしい思い出があるからだ。 もう何十年も昔のことである。

 現役時代、出張でシンガポールにひと月ほど滞在したことがある。 現地の子会社に納入した製品のクレーム処理であったから楽なものではない。

 客先の受け入れ検査で、一部の性能が引っ掛かったのである。 客先に納入する前に全数手直しする必要があった。 しかし、原因究明と対策はこれからである。 何しろ日本に届く情報だけでは様子が分らなかった。

 その滞在中の昼食といえば、現地スタッフと近くの食堂に行って摂ることが多かった。 それらのことが忘れられない思い出となっている。

 口に合わないのではなく、どれも美味かったし、何よりも現地の人たちとの一体感と、彼らに受け入れられているという感覚が嬉しかった。

 仕事は一人では出来ない。 同じ釜の飯を食うということが、どれほど大事なことか、また、楽しいことか、そのとき知った。



同じ釜の飯
 いつも四五人で食べに行くが、中国系の人たちであったから、中華料理が主であった。 五品ほど注文して、みんなで食べる。

 面白いと思ったのは一つのスープを、それぞれがスプーンで直接口に運ぶことだった。 我々は 「同じ釜の飯を食う」 というが、こちらでは 「同じスープを飲む」 ということかも知れない。

 エビやカニの殻はテーブルの上にはき捨てる。 だから、食事が終わればテーブルの上は、それらの残骸で山となすが、それがマナーと言っていた。

 そして、そのテーブルはひと拭きされただけで、次のお客に使われることになる。 当然のことながら、我々が席に付き、腰巻つけた上半身裸の主人が箸やスプーンをバラバラとテーブルに直置きしたのも、そのようなテーブルである。



お弁当はほろ苦い?
 昼食事代はいつも会社払いだからといって、請求されたことがなかったが本当のことだったのであろうか。

 あるとき今日はお弁当にするといって、会計担当の女子社員の一人が呼びに来てくれた。 日本語も上手で、見かけも日本人のようで、また、何処に出しても間違いはない、可愛いかった。 あとで聞いたことであるが全日空に引っこ抜かれたという。

 いつもの仕事仲間と、数人の女子社員で、小さなテーブルを囲んでの昼食である。 茶色い油紙のようなものに包まれたもので、ご飯や肉や野菜などが混ぜてあった。

 丁度私が食べ始めようとしたとき、日本人社長が覗きに来て、昼食に行くので一緒に来ないかと誘いに来た。 私が現地スタッフと毎日、粗末な昼食を摂っていると勘違いしたのである。

 みんなには悪いと思ったが、社長のお誘いだから許してくれるだろうと思って中座してしまった。



 二三日後になって、あの可愛い子ちゃんが我々の仕事場に応援に借り出されてきた。 改造の目処(めど)が付き、開梱やら人手が欲しいと頼んでいたからだろう。

 会計の仕事といえば事務方でもエリートである。 それでも小さな会社であるから仲間意識は強いのであろうか、不満顔のかけらも見せないで協力してくれた。

 応援をねぎらうため声をかけたら、「あのときどうして一緒に食事しなかったの?」 と聞かれて返答に窮した。 私があの弁当を気に入らなかったとでも思っていたのであろうか。

 私は忘れていた。 というより、そのとき、皆に謝って出て行ったのであるから、済んだものとして気にも留めていなかった。 声をかけてくれた彼女に直接、謝る機会は何度もあった筈である。 そのことに気付かされたのである。

 社長のお誘いだからといって、仲間内の昼食会を中座をすることが許されると思った自分が情けなかった。

 そんな思いもあって、あのとき食べ損ねたお弁当を、是非とも食べてみたいのである。 きっと、ほろ苦い思い出が蘇ることだろう。



血の豆腐
 オーチャード通りの出来たばかりの新しいホテルに泊まり、朝食は当時の日本円で 1000円ほどした。 それを仲間に伝えるとびっくりしていた。 今でもそれ程変わらないと思うから、驚くのは無理もない。

 100円も出せば十分であるといって、その日の昼食は、いつもの歩いていくところではなく、車で連れて行ってくれた。 屋台とか小さな食堂が軒を連ねていた。

 そこで、どんぶりの中に肉やら何やらが一杯入ったスープのようなものがでた。 今まで見たことも食べたこともないもので、その中身の一つにレバーのようなものがあった。

 いろんな具の中で独り自己主張していた。 聞くと、豚だったか牛だったか忘れたが、その血から作ったものだという。 豆腐のような食感で、名前から想像するものとは思えなかった。



 以来、これらの思い出の食事体験をもう一度してみたい、食べてみたいと思うようになった。 まず、観光地では無理であろう。 自分で探さうと決めた。

 そして、例の食べ損ねたお弁当について言えば、それとおぼしきものに後日、出逢うことができたのは幸いであったと言えるだろう。





§§ 梅田の地下街か?
 シティーホール駅一帯は、言ってみれば、梅田の地下街のようなもの、いや、それ以上かも知れない。 何しろシンガポールの中心地であり、また、最も新しい繁華街であるマリーナ・ベイエリアまで繋がっている。 行き交う人も東洋人が多いから、異国にいるという感じがしない。

 そのマリーナ・ベイエリアに目指すホテルはあるが、何しろ地下街であるから方向感覚がつかめない。 それでも一度道を尋ねただけで、大体の目処(めど)が付いた。

 地下街やらショッピングセンタを通るから雨に濡れることもない。 また、エスカレータやエレベータも随所にある上に、床も滑らかでハードケースの走りも軽い。

 案内にあるとおり10分ほどでホテルの裏玄関に辿り着けた。 ところが、その前の通路だけが青天井であった。 それでもシトシト雨であったから、問題になるほどのものではないし、この頃には雨も既に上がっていた。



 あとで分かったことであるが、タイやカンボジアは乾季というのに、シンガポールは雨季のシーズンという。

 ただ、雨季といっても日本の梅雨のようなことはない。 ほとんどが夕方にザーッと来て、一時間ほどで上がるから、傘はいらないばかりか涼しくなる。

 





§§ 今宵はゆっくり休もう
 まだ外は明るいが出かけることはない。 「明日出来ることは 今日しない」 と言った人のことを羨ましく思ったことがあった。

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ホテルの窓からの眺め
2007/01/16 Photo by Kohyuh
(クリックで拡大する)
 私は、取り越し苦労やら、先々のことを思いやって、要らぬことまでしてしまう。 それが今は違う。

 「今日という日は二度と来ない」 と思うからである。 「今日出来ることは 今日する」 と心に決めた。

 とか何とか大げさなことを言うようだが、要するに 「ホテルで中華料理のセットメニューを食べる」 ことに当初から決めていたのであるが、私にとっては清水の舞台から飛び降りるようなものである。









 その大決心をするためには屁理屈を通す必要があり、即ち、大義名分が要るということだ。 そのために、暑いのに上着まで用意してきた筈である。

 というのも、これまでレストランに行っても、どんな料理かも解りもしないのに、メニューから適当に選んで食べていた。 だから、当りも外れもあった。


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ホテルのレストラン付近
2007/01/16 Photo by Kohyuh
(クリックで拡大する)
 そして、美味いか不味いかは、好みの問題であろう。 それを問題にしているのではない。 鑑識眼 が高かろうホテルが、どんなものを美味いと言っているのか知りたいのである。

 私が外れと思うものが、みんなも同じように思うのであれば、これは本当の外れであろう。 こんなものを選んでしまったら面白くないのは当然だ。






 ところがホテルのシェフが美味いと言うものを、例え私が不味いと思っても、これは外れでも何でもない。 食文化の違いであると思うからである。 それが屁理屈というものだ。

 長々と回り道をしてしまったが、アルコールも入り、さすがに美味かった。 ヘリクツもクソもない。









コンラッド・センテニアル・シンガポール
Conrad Centenial Singapore 2007/01/16 (泊1)
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