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鳥紀行 スペイン編 (7-8) 




【07】 05/04/19> (火) マドリッド(4) 戻る次へ


 今日は、公園巡りをするから、バードウォッチングが期待できる。 まず、プラド美術館の近くにあるレティーロ公園からスタートして、それから、前に閉館していて入れなかった王宮の再訪と、マドリッド最大の公園という、カサ・デ・カンポへ行く予定である。

 特に何を見たいという気持ちはないから、9:00に出発するとして、7:00起床で十分である。 朝食は8:00で良い。 だから、今日は、いつもより、ゆっくっり目だ。 家内は朝風呂に入っておる。 私は面倒臭いから入らないが、それでも、髭剃りだけは欠かしたことがない。 最近、無精ひげを生やしている輩も多いが不潔そうで見ていられない。








§§ レティーロ公園 Parque del Retiro
 マドリッドのオアシス的存在である レティーロ公園は南北に長い、長方形をしている。 交通の便も良く、森あり、池あり、広場あり、宮殿ありで、まさに、市民の憩いの場となっていた。 プラド美術館に近いから歩いても行けるし、その裏庭のようなものだ。 美術鑑賞のあと、ここを散策すれば良かったかも知れない。 ところが、バードウォッチングともなれば、散策では中途半端である。 端から端まで歩きたくなった。

 メトロでアトーチャ駅まで行けば、そこがレティーロ公園の南口である。 もちろん、公園の広さが 120ha というから、皆は回れないだろう。 それでも、南口から北口まで歩けば、公園を縦断することになるから、全体像が掴める筈だ。 それに、うまい具合に、北口にも、メトロのレティーロ駅がある。








§§§ アオガラ
アオガラ
アオガラ
レティーロ公園
マドリッド スペイン
2005/04/18
Photo by Kohyuh

 レティーロ公園の中に一歩入ると、分かれ道が出てきたりするものだから、地図を見ていても、いつの間にか、どこを歩いているのか分からなくなってしまう。 そして、何処でもそうだが、緑があるところ、先ず目につく鳥はと言えば、イエスズメクロウタドリ である。 また、モリバト もいたし、カササギ もいた。

 しかし、何といっても特筆すべきは、アオガラ であろう。 何しろ初見である。 それに、写りの悪い シジュウカラ と思って、捨てていたかも知れなかったから、感慨深いものがある。 写真を見直してよかった。






 もともと、私は近眼だから、鳥を見つけるのが遅い。 いつも家内に先を越されてしまう。 その家内が、シジュウカラ がいる、と言えば、例えそれが、スズメ であっても、シジュウカラ に見えるのが人情というものだ。 だから、余計に気が付かない。

 大体、私が鳥を見つけると、先ずカメラを向ける。 双眼鏡で観るのはその後である。 というのは、先に証拠写真を撮っておかないと、双眼鏡で覗き見している内に、逃げ出すかも知れないからだ。 実際、それで、ずいぶん泣かされたことがある。




どちらが早いか
 我々が鳥を見つける前に、鳥は我々を既に見つけている。 鳥にとっては、双眼鏡は、大きな目玉に見えるはずだ。 普通、そんな目玉で覗き見されては、嬉しいわけがない。 もし、私が、双眼鏡で覗かれているとしたら、とても外は歩けないだろう。 人間の視力の範囲であるからこそ、耐え得る訳だ。

 たまたまではあるが、アップに耐える、自信家の鳥も中にはおる。 我々が双眼鏡で覗き見出来るのは、そのような輩か、もともと鈍感な部類に属している輩に違いない。 結果、双眼鏡を出せば、殆どのものは、逃げ出すということになる。 以来、ピンボケでも何でも、証拠写真がないとカウントしないことにしている。

 今、残念に思うのは、このアオガラの色は、青は青でも、綺麗な空のような青色のようである。 それが、全く、思い出せないことだ。 双眼鏡で確認できる時間的余裕があったのか、なかったのか、それも思い出せない。


ガラスの宮殿前の池
ガラスの宮殿前の池
Photo by Kohyuh 2005/04/19









§§§ ガラスの宮殿 Palacio de Cristal
palacio_de_cristal2
ガラスの宮殿 レティーロ公園
Palacio de Cristal, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh
 ガラスの宮殿というから、どんなものかと期待していたが、何のことはない、温室のことであった。 それに、工事中で、中には入れなかった。 ただし、案内書には、温室とは書いていないし、植物も置いていないようである。 温室というのは、私の想像である。

 というのも、ガラスで出来た大きな温室は、今でこそ、京都府立植物園の温室の方が、よほど立派であるが、昔は王侯貴族の富の象徴であった。 英国のロイヤル・キュー・ガーデンの大温室が有名ですね。








 また、競い合うように世界各地で収集してきた珍しい植物も、自慢のものであったに違いない。 このレティーロ公園は、フェリペ二世の館があったところというから、それこそ、フィリピン辺りから収集してきた熱帯植物も多かったことであろう。

 このガラスの宮殿前の池には、大きな噴水があり、コクチョウやハクガン、それに雛を連れたハイイロガンの家族が、地元の人であろうか、その側に集まって餌を貰っていた。 野生ではないと思うが、ちゃんと、ここで繁殖している様子である。








§§§ ベラスケス宮殿 Palacio de Velazquez
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ベラスケス宮殿 レティーロ公園
Palacio de Velazquez, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh
 ガラスの宮殿を過ぎると、その北側に、ベラスケス宮殿があって、今は催し物の会場として利用されている。

  丁度、Jose Manuel Ballester という、マドリッド生まれのアーティストの Habitacion 523 展が催されていた。

 こんな立派な宮殿を借り切って催すのであるから、余程、高名な人かも知れない。 それでも、私は現代美術は苦手であるから、素通りした。









 アート好きな人が聞けば、何のためにわざわざ、ここまで来たのかと、思われるかも知れない。 私は、ベラスケス宮殿と言うから、どんなものかと観に来たわけで、現代アートを観に来たわけではない。

 それに、画家のベラスケスの絵でもあるのなら、見ないでもない。 確か、ダリが、天才と言えるのは、ワシとベラスケスと誰それだけだ、と言っていたから。









§§§ アルフォンソ12世像 Monumento a Alfonso ⅩⅡ
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アルフォンソ12世像 レティーロ公園
Monumento a Alfonso, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh
 ベラスケス宮殿を更に北へ進むと、長方形のいかにも人工の池らしいものが眼に入る。

 このレティーロ公園では一番大きな池である。 舟遊びする観光客もいる。 人通りも多い。

 その対岸に、かってのスペイン王、アルフォンソ12世像が、ギリシャ神殿を思わせる列柱を半円形に立ち並ばせ、それを屏風のように配置して、否が応でも、目立つように演出されて立っている。






 私は、アルフォンソ12世が、どのような人物であったのか知らない。 ちなみに、スペインは、議会君主制で、現在の国王は、ホァン・カルロス一世 Juan Carlos I (1975年11月22日即位)である。

 このレティーロ公園は、何も、このような銅像や宮殿があるから訪れるのではない。 散策の場、憩いの場、遊びの場が主であり、その他の構造物は脇役に過ぎない感がある。









§§§ 当てが外れた
 ここまで歩いてくれば、北出口は目の前である。 そこにはメトロのレティーロ駅があるはずである。 駅から公園までは徒歩1分と、案内書には書いてあった。 確かに道路の向こうにメトロの入り口が見えている。 それに、歩けば1分ほどの距離であることも、また、確かである。

 ところが、この道路が曲者で、道幅も広く、交通量が非常に多い。 横断歩道もない。 信号のある交差点は、はるか彼方である。 誰も横切るものもいない。 案内書のとおりにするのであれば、交通法規を無視しなければならないが、それより何より、危なくて渡れない気がする。 今思えば、地下通路があるのかも知れない。


 こんな所で怪我でもして、日本の恥を晒すわけにも行かず、交差点まで歩くことにしたが、2キロほどは歩いた。 そうでなくても、公園を嫌というほど歩いて、疲れているのに、何の面白みもない道路であるから、余計に気が滅入った。  交差点に着いたが、とてもレティーロ駅に戻る気になれない。 一駅先の駅の方が近かった。 えれー目にあった。








§§ 王宮 Palacio Real
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王宮 Palacio real
Madrid, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh






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アルメリア広場 Plaza de la Armeria
Palacio Real, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh
 レティーロ公園では疲れたが、これぐらいでへこたれはしない。 この前、閉館していて入れなかった王宮へ向かった。 歩いてはいけない。 メトロを利用した。

 この王宮の入り口が、また、良く分からない。 前に来たときに、もう時間外だから入れないと言われたところに行ったが、ここではないと言う。

 どこに入り口があるとも言わない。 それぐらい、聞かなくても教えるのが普通の感覚だろう。

 前と同じように四五人が制服姿で出入り口に立っていた。 後で分かったが、どうやら、職員及び関係者の出入り口の様である。

 入り口は、直ぐに分かったが、それにしても、ぶらぶらしている職員が多すぎる。 この前も、ぶらぶらしていたから、いつものことであろう。









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シャンデリア
Palacio Real, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh
 王宮の内部は、いくら贅を凝らしても、人間のすることで、大きなシャンデリアがあったりして、何処も良く似たものである。 不思議に、住んでみたいという気がしない。 だいいち、パジャマ姿で寝転べる場所がない。

 王宮には、アルメリア広場 Plaza de la Armeria と呼ばれる、広い石畳の広場と、その両翼をなすように、バルコニーがある。

 そして、その西側のバルコニーから カンポ・デル・モーロ Campo del Moro と呼ばれる庭を見下ろすことができるが、その眺めは素晴らしい。 このバルコニーを境に、王宮のある場所一帯が、高台になっているからである。









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王宮のバルコニーからの眺め
Madrid, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh








§§ カサ・デ・カンポ Casa de Campo
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カサ・デ・カンポ
Casa de Campo, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh
 今日のメインは、バードウォッチングであるから、カサ・デ・カンポは外せない。

 何しろ、マドリッド最大の公園である。 動物園や遊園地もあるらしいが、時間が足りない、ロープウェイで一気に頂上を目指した。

 といっても、それ程高度がある分けでもない。 それでも登るにつれ、マドリッドの市街の様子が良く分かる。







 というよりも、マドリッドが広大な荒涼とした原野の中にあって、それに比べれば、街並みという人工物も小さなものである、ということが分かるのである。

 ここは、360度、見渡せるといってもよい。 ロープウェイ側は、マドリッドの街並みが見える。 しかし、反対側は、それこそ、果てしない原野が見えるのである。








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カサ・デ・カンポから望むマドリッドの原野
Madrid, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh




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カサ・デ・カンポから望むマドリッド
Madrid, Spain 2005/04/19 Photo by Kohyuh


 ここには、期待したほどの鳥は観れなかった。 カササギゴシキヒワ だけである。 それに、人も少なかった。 特に、娯楽施設などがあるわけでもない。 我々、観光客にはロープウェイは嬉しいが、経営は苦しいかも知れない。


 午後5時頃のロープウェイで下山した。 ロープウェイからアトーチャ駅が間近に見えたので、歩くことにした。 疲れていたが公園沿いに歩いていくと、下り道で意外に近かった。 逆方向であれば、今の体力では歩けない。








§§ パエリヤには失望
 明日から、マドリッドを離れて、ポルトガルとの国境な町、バダホス Badajoz まで一週間のドライブ旅行である。 マドリッドには、最終日にもう一度戻ってくるが、ここで食べておかねばならないものがある。 パエリアで人気のお店があるという。 いづれにしても、今日も目いっぱい歩いたから、一旦、ホテルに戻って一休みすることにした。 どうせ、お店は、午後8時以降にしかオープンしない。


 8時前にお店に着いたが、8時半からという張り紙がしてあった。 お店の周りは閑散としている。 狭い道の両側がビル街という典型的な都会の街並みの中の一角にある。 飲食店街ではないから、薄暗いし、いかにも淋しげで、ここで長くは待てそうにない。 街の明かりがある方へ時間つぶしに歩いた。

 8時半になったので、お店に戻ってみると、もう、行列が出来ていた。 何処から人が湧いてきたのだろう。 お店に明かりが灯り、その一角が明るく浮き出されていた。 先ほどの、淋しげな様子は微塵もない。 あわてて行列に加わるが、悔しいことに、私たちのところで、ストップがかかった。 一番に来ていたのに。

 狭い待合室に通された。 私たちは椅子もあったが、入りきれないでいる人も多かった。 余程の人気のお店に違いない。 それでも、後から来た客の何組かをテーブルに着かせていたから、予約も出来たのかもしれない。

 程なくテーブルに案内されたから、二人席が見つかったのであろうか。 誰かの食事が終わって席が空いたのではない。 ウェイターは、日本人客が多いのか、知っている限りの、片言の日本語をしゃべり、機嫌が良い。

 スペインと言えばパエリアだから、楽しみにしていたし、こちらに来て、何度か食べて見たが、どれも、今一であった。 日本流で言えば、べちゃべちゃの出来損ないである。 私が美味いとする基準は、東京へ単身赴任したときに食べた、レッドロブスターというチェーン店のパエリアである。 待たされたが、おこげもあり、ぱりっとしていて、それでも、お米に海鮮の具の味が滲みていた。


 そして、日本では、パエリアはパエリアで、他に選択肢はない。 料理人が一番美味いというものを出す。 ところが、欧米では、何かと選択しなければならない。 選択肢が多ければ多いほど、良いお店ということになっているのだろう。 私に言わせれば、シェフの責任逃れである。 私なら、選択肢が少なければ少ないほど良いお店といいたいところである。

 私がバレンシア風、家内が野菜のパエリアを注文した。 もし、不味ければ、私の選択ミスということなるのか。 それに、モツの土鍋煮と野菜サラダを追加した。 モツ料理もスペインでは美味いと知っていたからだが、これが中々見つからなかったものだ。

 パエリアが出来上がると、上等のお店のすることであろうか、こんな出来具合であるがどうかと、テーブルまで見せに来た。 もちろん、問題はなさそうなのでオーケーすると、その鍋をテーブルに置いてくれればよいものを、やおら引き返し、お皿に取り分け出した。 私は、その鍋の縁や底に付いている、パリパリのおこげが大好きなのに、いい加減な取り方をしているから腹が立つ。

 パエリアは、どちらかと言えば漁師料理の筈だ。 お上品に食べるものではない。 鍋底に付いたおこげを、がりがり、こそげ落としながら食べるものだろう。


 確かに、盛り付けや味は、良いとして、やはり、べちゃべちゃ感は拭えない。 それとも、わざわざ出来具合を見せに来るということは、もう少し、火を通してくれとか、注文がつけられるほどの目利きが来るべきお店であろうか。 一元さんの観光客が、パエリアの何たるかも知らず、日本人は、こんな、べちゃべちゃが好みなのかと思われているかも知れない。

 そして、私も、それに加勢したことになる。 誰かが、勇気を出して、日本人の好みを伝えなければならない。 そうでないと、この悪循環から抜け出せないことは目に見えている。

 それもこれも、シェフの舌に任せている日本のシステムと、何もかも、客の選択に任せて、言うとおりのものを提供するシステムの違いがあるように思う。 欧米では、黙っていたら、美味いものは出てこない。 客も、それなりの知識を持つ必要があるし、それを伝える能力も必要ということだ。

 そう言えば、余談ではあるが、シカゴのホテルで朝食を摂ることになった時、ある程度、メニューを決めておかないと大変だよ、聞いた。 要するに、朝食の定番で、パンは?、卵は?、ジュースは? と必ず聞かれるから、その応答を覚えておいた方がよいということだった。 それはそうだ。 だいいち、そんな料理の言葉は知らないから、教えて貰うしかない。

 卵の料理でも沢山の選択肢がある。 先ず一つか二つか、料理する卵の数を伝えなければならない。 次は料理方法である。 サニーサイドアップ、サニーサイドダウン、スクランブル、オムレツなどがある。 ゆで卵は注文するなと言われた。 ソフトボイルド、ハードボイルドだけでは済まない。 何分茹でるかまで聞かれるらしい。

 確かに、ハードやソフトだけでは、頼まれた方が困るからだろう。 希望のものではないと、いちゃもんをつけられる余地が残っている。 お陰で、私は、サニーサイドアップばかりであった。 今にして思えば、色々と他のものを試してみれば良かった。


 隣席で先に食事していた日本の新婚さんがいた。 この後、フラメンコを観に行くという。 もう、連日のごとく観に行っているという。 聞くと、旦那さんの方が、フラメンコ・ダンスを習っているといっていた。 なるほど、そのような身体をしている。 物静かな話し振りの中に、情熱を秘めたような雰囲気があった。

 本場のフラメンコは、やはり素晴らしいといっていた。 奥さんの方は、初めてという。 それでも、回を重ねていると、上手い下手が分かるということだ。 私も観てみたいとそのとき思った。 マドリッド一番という所を教えてもらったが、そこには行けず、後日、2回、フラメンコショウを観るきっかけとなった。

 彼らが帰ったあと、五六人の日本人のオバサンたちが隣の席に来た。 かなり場慣れているようで、パエリアは二人に一つぐらいがいいかも知れないという家内の助言を聞き入れたり、上手に注文しているようである。


  マドリッドの風景2 (スライドショウ ) 




アローサ Arosa 2005/04/19 (泊4)
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【08】 05/04/20 (水) ドライブ旅行 (1) 1日目 戻る次へ


 今日から第1回目の一週間のドライブ旅行だ。 また、これを3回行う予定である。

予定のコースは、

マドリッド Madrid === アランフェス Aranjuez === コンスエグラ Consuegra ===
トレド Toredo === アビラ Avila === カセレス Caseres ===
メリダ Merida === バタホス Badajoz
 

である。

 朝 6:30 起床、7:30 朝食と、いつもより 30分ほど早めの行動開始である。 レンタカー (Avis) は、10時に out の予約をしてあるから、10時には出発したい。 これまでの経験で、何だかんだと、スムースに行った試しがないから、早めに行って手続きを済ませたい、という魂胆である。








§ アランフェス Aranjuez 方面へ
 最初の訪問地はアランフェスで、それから、トレドに向かう予定である。 アランフェス宮殿は、ギターの好きな方ならご存知であろう、「アランフェス協奏曲 Concerto de Aranjuez」 の作曲者 ホアキン・ロドリーゴ Joaquin Rodrigo が曲想を得たところである。 そして、これを越えるギター協奏曲を、私は知らない。


 盲目の故であろうか、それとスペインという風土もあるのだろう、明るく力強いが、どこか哀愁を帯びている。 特に、第二楽章 アダージョ は有名で、誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。



村治佳織とロドリーゴ
 最近、とくに人気の高い女性ギタリストの村治佳織が、もう随分昔のことであるが、ロドリーゴに会いに行くという、ドキュメンタリー番組をテレビで観たことがある。

 ロドリーゴは風邪で体調が悪かったにもかかわらず、世話をしている彼の娘さんの計らいで面会することが出来た。 そのころ、ずうっと、高齢のため面会謝絶の状態であったという。 彼女は、訪ねてきた村冶佳織を見て、将来性を感じたのであろうか、「あなたは今、ロドリーゴに会っておく必要があるわね」 と言ったのを覚えている。 ロドリーゴ (1901-1999 スペイン) が亡くなったのは、それから何年も経ってはいなかったのではなかろうか。 

 通された部屋には、ロドリーゴが車椅子に乗って待っていた。 ニ三人の、映画で良く見るような、白い袖に、ふりふりのついた上着、黒いスカートに白い小さなエプロン姿の、いかにもメイドさんという風の女性が付き添っていた。 村冶は、ロドリーゴの前で、彼の曲を演奏した。

 盲目で、高齢で、しかも、風邪で体調を崩している。 ただ、じっとしているだけであった。 果たして、彼女の演奏が、聞こえていたのかどうかも、外見からは分からない。 ただ、そこに、憧れのロドリーゴがいるという存在感だけで、また、その前で演奏できたことだけで、村冶は満足したに違いない。 ロドリーゴの娘さんの粋な計らいであった。 奇跡的な面会であった。








§§ レンタカーのチェックアウト
 エイビスの営業所はホテルから近い、グラン・ビア Gran Via 通りにある。 そして、車は営業所の近くの地下駐車場の一角にある筈である。 全て、事前に調査済みであることは、前に述べた。 手続きは、以外に早く、何のトラブルもなく終わった。


 アランフェスは、ここマドリッドの南方 47km のところにある。 そして、マドリッドのような大都会を抜けるのは、高速道路に乗るのが良い。 地道を走ってはろくなことがない。 係員に、アランフェス方面へ向かう道を聞くと市内地図を出して、それにルートを記入してくれた。 全国地図はくれなかったが、何もくれなかったフランスよりは、余程ましであった。

 高速道路 A4 へ入るルートは、当初、私が 《交差点の下調べ》をしていたものと異なり、アトーチャ駅の横を通って行くもので、なるほど、これは近いし、合点がいく。 それに、アトーチャ駅は、何度も訪れたことがあるから、土地勘も出来ていた。

 契約書を持って、指示通り地下駐車場へ向かった。 かねて、出入り口も調査済みであるから、足取りも軽い。 ところが、この駐車場の中が意外に広く、エイビスの場所が分からない。 ウロウロしていたら、同じよう状況であろう、エイビスは何処か、と声を掛けられた。 米国人の二人連れだった。 旦那は、日本にも来たことがあるらしい貿易商ということである。 旦那の方は何処にでもいる、どちらかというとラテン系の男であったが、奥さんは若くて青い眼をした美人であった。


 エイビスの出庫カウンタは、何のことはない、直ぐ傍にあった。 彼らの借りた車は、大きな黒いベンツである。 私たちの車は、コンパクトカーの オペル コルサ Opel Corsa であったから、えれー違いである。 係員が何やら棒のような付属品を後部屋根に取り付けた。 アンテナらしい。 ネジ式になっていて、取り外しが出来る。 どうやら、よく盗られるから外していたのであろう。 係員も、ニヤリと笑った。 もちろん、私も、後で取り外したことは言うまでもない。

 あとで、かの米国人夫妻と行く先々で出会うことになるが、この時は未だ知らない。








§§ 高速道路の乗りそこない
 今回はやけに順調に走り出した。 最初の分岐点であるアトーチャ駅の横を無事に通り過ぎて、高速道路への導入路に入る。 ここから道路標識どおりにアランフェス方面に進めばよいだけである。 右に左に指示通り車線を変えて進むと、アランフェス方面高速道路 A4 は右と指示があった。 普通、しばらく走ってから右に分かれていくものだろう。 それが、しばらく走っても分岐点が出てこない。 思い返せば、道路標識があった直ぐ後に、分岐点があったようである。

 何しろ、日本と車のスピード感が違うから、あっという間に通り過ぎていたようだ。 仕方がない、次のランプで降りたが、見知らぬ町の中に入ってしまった。 折角、順調にきたと思ったら、早速、いつものパターンである。 いま、何処にいるのかさっぱり分からない。 ぐるぐる回ったが、道を聞こうにも人も見かけない。

 とにかく町に入った、元の位置に戻るのが基本だ。 一度ぐるぐる周りをすると、私は方向音痴であるから元には戻れないが、家内はそれが出来る。 そこで、車を止め、地図を見直した。 そして、大体の見当がついたのであろう、もとの道を辿っていくと、高速道路の導入路を示す標識が現れ、無事に A4 に乗ることが出来た次第である。








§§ アランフェス宮殿 (王宮 Palacio Real)


世界遺産の名前 地区 種別 登録年
アランフェスの文化的景観 アランフェス スペイン 文化遺産 2001年
 
(注) 文化遺産は、普遍的な価値のある記念工作物、建造物、遺跡など。

cf. 《アランフェス》 by Wikipedia



 アランフェスの町に入ると、例によって駐車場探しである。 王宮は直ぐ見つかったが、駐車場が見つからない。 皆、路上に停めている。 レンタカーは基本的に路上駐車は避けるべきである。 イタリアで教えられた。 王宮の近くを回って見たがなかった。 王宮横の大きな広場に車が数台、停めてあったから、並べて停めた。 11時であったから、マドリッドから、丁度、一時間ほどで着いたことになる。


 見ると、電話ボックスを少し大きくしたような、インフォメーションがあり、近所のオジサンやオバサン風の人が立ち話していたから、あそこに駐車したがよろしいか、と尋ねると、OKという。 チキ・トレインの停車場も近くにあった。 どうやら、チキ・トレインの運ちゃんとか、インフォメーションの係員のようで、暇つぶしに立ち話をしていたようだ。


チキ・トレイン Chico Tren
 トロッコ列車のような形をした、観光用の電気自動車で、よく見かける。 ベルサイユで乗った、プチトラン と同じで、小さな電車という意味であろう。





王宮 Palacio Real
王宮 Palacio Real  Photo by Kohyuh 2005/04/20


 この駐車した場所には、一跨ぎできる小さな小川があり、ツバメのようで、ツバメでない鳥がいた。 ゴジュウカラかも知れない。 傍にある木には クロウタドリ もいた。 そして、この広場の向こうに、カフェらしきものが見えたから、何はともあれ、そこで、しばらくドライブ疲れを癒すことにした。




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アラブの間のシャンデリア
Aranjuez, Spain 2005/04/20 Photo by Kohyuh
 アランフェスの王宮も、マドリッドの王宮も、そうだが、いわゆる城塞があるわけではない。

 戦いに備えるものではないから、大きくはあるが、シンプルなデザインである。

 そして、その中は豪華絢爛ではあるが、私には、ああ、こんなものかといった程度で、心に響くものがない。


 いくら シャンデリアが大きくて立派でも、大きな部屋が金銀宝玉が飾られていても、最早、どちらが立派なのか、見当もつかないし、それを比べたくもない。

 見学は、ものの一時間とかからなかった。










 そして、私は、王宮だけが、ぽつんとあって、それが、いくら大きくて、立派なものであっても、その周辺に暮らす人達の匂いや気配がないものは、好きではない。

 小さなお城でも、それを取り囲むように普通の人達の家が取り囲み、迷路のような路地が続き、実際に今も、そこで生活している、そういう町が好きである。











§§§ チキ・トレインに乗る
 アランフェスは、古くから王家の保養地であったところというから、普通の街並みがないのは仕方がない。 その代わり、よく手入れされた広大な庭園がある。 私には、王宮よりその方が余程嬉しい。 ところが歩けるものではない。 早速、車を置いたところに戻って、チキ・トレイン に乗ることにした。


 チキ・トレインに乗って走り出すと、直ぐに美しい池や川が現れ、公園も見えるものだから、このまま通り過ぎてはもったいない、途中下車することにした。 この川は、タホ川 Rio Tajo であろう、次に向かうトレドの美しい景観をなしている川でもある。 それほど大きな川には見えないのに、さらにリスボンにまで流れ、そこで海にそそいでいるから、これから行く先々で出会うことになる大河である。

 丁度、紫色の藤の花が咲き乱れ、また赤や黄色の花をつけた木が、周りの緑の木々の中に点在して、それを一層目立つものにしていた。 何とも美しい景観である。 ポプラの種であろうか、吹き溜まりには、白い真綿のようなものが芝を覆っているところもある。 そういえば、フランスでも、雪が舞うように、空中を漂っているのをよく見かけたが、それだけポプラの木が多いということかも知れない。 日本では、あまり見かけない光景であった。








§§§ ズグロムシクイ
ズグロムシクイ (♀)
ズグロムシクイ
王宮の庭園
アランフェス
2005/04/20
Photo by Kohyuh

 チキ・トレインを何処で降りたのかは分からない。 ガイドブックを見直すと、乗ったのが王宮前の広場である。 市街地が見える広場は、サンティアゴ・ルシニョール公園 Plazu de Santiago Rusinol であろう。

 この辺りの市街地を、チキ・トレインに乗って走るのは恥ずかしいな、と思っていると、突然、緑の公園に入っていったから、王子の庭園 Jardin del Principe であろう。 目玉の一つである、農夫の家 Casa del Labrador と呼ばれる、もう一つの王宮を目指していたからである。




 ところが前述のとおり、途中で降りることにした。 私は王宮を観るよりも庭園を歩きたいし、そうすれば鳥観も出来るからだ。 小道を引き返すと、先ほど途中下車を決心させた、小さな橋が見えた。

 どうやら、この辺りが、水兵の家 Casa del Marinos があるところのようだ。 当時、そんなことは知らないし、興味もなかった。 ただ、公園の中を散歩するだけで気持ちが良かった。


 歩き疲れて、公園のベンチで休んでいると、芝生の向こうに見え隠れする小鳥がいた。 全く特徴がないように思えた。 スズメでないことは、様子で分かる。 写真判定により、ズグロムシクイ (♀) と思うが自信はない。

 また、何ともピンボケ写真で申し訳ないが、英名のとおり、Blackcap (黒い帽子) を被っているように見えるでしょう? と半ば強制的に認めてもらうしかない。 雌は栗色の帽子というから、この写真は、むしろ、雌かも知れない。 とても黒色には見えないから。 何の変哲もないような鳥ではあるが、その名も高き鳴鳥と聞く。 何本の指に入るかは知らん。

 他にも、クロウタドリゴシキヒワシジュウカラ に、それに鳥とは違うがウサギもいた。








§§§ 名物のイチゴ
 4月中旬というから今頃かも知れない、マドリッドからアランフェスまで、「イチゴ列車 Tren de Fresa」 が走るという。 SL(蒸気機関車)だそうで、それだけでも面白いかもかも知れない。 さらに、王宮観光とイチゴとアスパラガスのお土産つきらしい。 となれば、イチゴは食べねばなるまい。

 随分と歩いて疲れてきた。 ふと気がつくと、公園のゲートがすぐ近くに見える。 さらに、その横に、レストランらしきものも眼に入ったから、ゲートへは向かわず、目指すべきはレストラン、となるのは当然であろう。 疲れているから、イチゴが美味いと聞けば、誰でもそうするだろう。

 ところがレストランまで来ると、フェンスがあって中には入れない。 フェンスにしがみつくがどうしようもない。 何のことはない、レストランは公園の外にあったということだ。 目先の事を追うと、ろくなことがない。

 入園料も何もいらないのに、フェンスで囲うとは、アホとちゃうか、と思わず声が出るのも仕方がないだろう。 ガックリきたが、引き返さなくてはイチゴは食べれない。 また、こうなると何が何でも、イチゴを食べなくてはならない気がしてきた。

 やっとの思い出、公園の門まで戻ってみると、そこに、「王子の庭園 Jardin del Principe」 の立て看板があり、見取り図もあったから、写真に撮っておいた。 何でも撮っておくものだ。 こうして振り返るのに役に立つ。



<スナップ写真>
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《王子の庭園》 アランフェス Aranjuez, Spain
2005/04/20 Photo by Kohyuh




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《王子の庭園》 アランフェス Aranjuez, Spain
2005/04/20 Photo by Kohyuh




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《王子の庭園》 アランフェス Aranjuez, Spain 2005/04/20 Photo by Kohyuh




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《島の庭園》 アランフェス Aranjuez, Spain 2005/04/20 Photo by Kohyuh




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《島の庭園》 アランフェス Aranjuez, Spain 2005/04/20 Photo by Kohyuh





 レストランは、老舗のようである。 公園を借景にして建っているから、また、周りにはそれらしき休憩所もないから、繁盛しているようである。 どんどん中に入っていくと、白いテーブルクロスの席が見えた。 窓からの景色も良さそうである。 係りの人がきたから、ドリンクだけと告げると、その席には案内されず、その近くの、ビーチパラソルが似合いそうなテーブル席に案内された。 ここからだと公園は望めず、道路が見えるだけである。 まあ、ドリンクだけでは仕方がないか。

 それでも、係りの人なのだろうが制服姿の恰幅の良いおじさんが、丁寧に応対してくれた。 イチゴのデザートは、かき氷に使うようなガラスの器に、イチゴが丁度、器すれすれまで、その上に、山盛りに生クリームがのせられて出てきた。 赤と白のツートーンで、いかにもシンプルではあるが、伝統を思わせる一品であった。 もちろん、なかなか美味であったことは言うまでもない。


  アランフェスの風景 (スライドショウ ) 










§ 風車の町 コンスエグラ Consuegra 方面へ
 当初、アランフェスで宿泊するつもりであったが、まだ、4:30pm である。 風車の町、コンスエグラが、ここから南へ 80km の地にある。 スペインと言えば、ドン・キホーテではないが、風車に突撃したくなるのが人情だろう。 高速道路 A4 もあることだし、彼ほどムチャはしないつもりである。 とは言うものの、昼飯も食べていない。 イチゴとエスプレッソを口にしただけだ。

 アランフェスを抜けると何もない荒野が広がるだけである。 日本にはない光景で、何もないところがいい。 ドライブは快適である。 ひたすら真っ直ぐに走る。 道はよし、車も少ない。 普通、次の目的地に移動する場合、民宿でも探しながら行くものである。 そして、例え、目的地でなくとも、気に入ったところが見つかれば、その地に泊まればよい。

 ところが、高速道路だから仕方がないが、といって、これが地方道であっても同じことである。 民家などありそうにない。 だいいち、地方道もない。 もし、あったとしても、民宿を探しながら走るとしたら、快適どころか、不安になるに違いない。 民宿どころか、眼に入るのは、赤茶けた大地か、点々と続くオリーブかブドウの木が見えるだけであろう。 それがいつ果てるともなく続くとしたら、民宿の保証がないとしたら、車がガス欠やエンストでもしたら、と考えるだけで恐ろしくなるに違いない。








§§ ホテルが見つからない
 今は、心安らかである。 高速道路を走っていれば、安心していられる。 何しろ、あと30分もしたら、間違いなく町に着くと確信できるというものだ。 また、宿のない町はないだろう。 そして、コンスエグラの町に到着した。 ところが一向に風車が見えない。

 今は、風車探しより、宿探しに専念しなければならない。 町は小さいが風車があるような鄙びた田舎屋風の家並みではない。 普通の家並みである。 その町の中を一通り、巡ってみるが、ホテルが見つからない。 しかし、ガイドブックには、一軒ある、と書いてある。 小さいといっても、分かれ道もあるから、さらに、それらしき辺りの小道を分け入ったりして、2巡、3巡していたら小さなホテルが見つかった。

 ホテルと看板は出ているが、そういわれれば、そのように見える類のものであった。 ガイドブックに出ているホテルと名前が違ったが、一軒しかないのであれば仕方がない。 ホテルの前は、車を停めるところもなかったから、家内が降りて、泊まれるかどうか聞きに走った。 駐車場が別の場所にあることは、街中のホテルではよくあることだ。

 しばらくしたら、家内が宿の主人と一緒に出てきた。 部屋はあるが、駐車場がないという。 レンタカーは駐車場に停めるのが原則で、路上駐車はしたくない。 また、家内も、ここはやめて、他を探そうといった顔をして、私を見た。 ガイドブックにあるホテルではないと確信したのであろう。 やむなし。 それに賭ける事にした。 そのホテルが、どこか他にある筈であることに。

 また、探しに回るが、人に聞いても、ホテルの名を知っている人がいない。 普通、地元の人は、ホテルは使わないものだから、名前など知っている方が少ない筈である。 何回も、そこが町の境界であろう、広い道路にでて、そこで、Uターンをしていた。 そこには、ガソリンスタンドがあって、Uターンしやすかったからである。

 ところが、ふと、道路の向かい側を見ると、今まで、同じようなガソリンスタンドか何かと思っていたところが、そのホテルであった。 レストランでもある。 前にある広い駐車場が、そのように見えて、気がつかなかっただけだった。








§§ コンスエグラの宿
 そこは、正面がレストランになっていて、中に入ると、大きなカウンタがあって、店の若者が一人で、数人のお客の応対をしていた。 まだ、食事の時間帯ではない。 皆さん、カウンタで立ち話やら、ビールを飲んでいた。 色々と見回すが、他に、ホテルのカウンタと言ったものはない。 誰も、私たちに関心を示さないから、声を掛けた。

 今夜、ここに泊まれるか、と聞くとOKという。 例によって部屋を見たいというと、そのカウンタの兄ちゃんが出てきて、案内してくれた。 カウンタの横のドアを開けると広い庭になっていて、右手に、なるほど、ホテルらしき建物がある。 構造的にはレストランと一体化してはいるが、機能的には分離独立しているようである。

 そこには大きな木製のドアがあり、鍵がかかっていた。 まだ、シーズンではないのかも知れない。 普段は、ここを開けて置いて、泊り客がレストランへの出入りに使うのであろう。 中に入ると、廊下があって、部屋が並んでいたが、案内された部屋は、今は古びているが、当初は、まあ、それなりのものであったろう。 窓を開けると、気にしていた風車が遠くに見える山の上にあった。 客は私たちだけであった。

 初めから泊まるつもりであるから、一通り見回して、OKしたら、鍵を渡してくれた。 夕食もここで摂れるから便利でもある。 また、私たちが、荷物を運びいれることを見て取った、兄ちゃんは、先ほどのドアの反対側のドアを開けて、荷物はここを使えば良いと教えてくれた。 そして、終われば鍵を閉めておいてくれと言って、カウンタに戻っていった。 そのドアを開けると、直ぐ目の前が、駐車場である。 荷物の出し入れに都合が良い。 レストランを通らなくてもよい。


コンスエグラ近郊
コンスエグラ近郊
Photo by Kohyuh 2005/04/20 near by Consuegra Spain








§§§ 水漏れ発見
 荷物も運びいれ、一息ついたところで、スチーム暖房の温度調節弁を開閉するハンドル部から、わずかにポトリと水滴が落ちるのを見つけた。 わざわざ、暖房をいれてくれたのだ。 昼間は暑いが、まだ、夜は寒いから、助かる。 こちらは、スチーム暖房が主で、これがまた助かる。 とにかく、洗濯物を掛けておいても安全で、しかも、よく乾く。

 この水漏れは、私たちには支障を来たすものではなかったが、黙っておいては、ホテル側に悪いと思って、例の兄ちゃんに連絡したら、早速、調べに来た。 そして、隣の部屋に変えてくれた。 部屋を替わって気がついたが、この部屋からは、前の建物が邪魔をして、風車が見えない。 あの兄ちゃんが、わざわざ、眺めのよい部屋を用意してくれていたことに気がついた。








§§§ 夕食風景
 夕食時間を聞くと、9時からだという。 今7時過ぎであるが、外はまだ明るいから、時間潰しに鳥観でもと思って外に出てみると、遠くの赤茶けた禿山の天辺に、風車が豆粒のように見える。 私は、オランダのような風車を想像していたから、水路の傍にあって、水車でも回しているのかと思っていた。


 オランダには山はないし、風車は排水が主な目的であるが、スペインでは立地も、目的も違うから当然のことである。 確かに、山の上の方が風が強い。 それでも、ただ、粉引きのために、山を上り下りするのは大変であろう。 また、禿山も日本では珍しい、と時間潰しとは言え、下らぬことを考えながら眺めていたら、傍らの木に、イエスズメ、カワラヒワ、ゴシキヒワ がいた。 また、街灯の上には シラコバト もいた。 どれも、特に珍しいものではないが、シラコバトは初めて観た。 そして、また、後日、出逢うことになる。


 それでも、時間を持て余したから、一旦部屋に引き返した。 頃や良しと、レストランに向かうと、四人組の近所のおばさん達であろう、話に夢中である。 それが、食事をしている風でもない。 注文が済んで、料理を待っているのだろう。

 さすがに、夜になると、お客は少ないが、昼間の兄ちゃんだけではなく、カウンタの中には何人かの男が見え隠れする。 それでも、あの兄ちゃんだけが忙しく動き回っていた。 英語も解するようだった。 私の漏水の説明を解ってくれた。 そして、私たちの席に来て注文を聞いてくれた。

 メニューはスペイン語のものしかないから、いつものごとく、宝くじを引くようなものである。 当たり外れは運任せ。 ところが、これも面白いものである。 なまじメニューを知っていると、そればかりになって、美味いものの氷山の一角だけを突くことになりかねない。

 羊肉なのか、牛肉なのか、魚なのか、野菜なのかが解れば、あとは値段で決めればよい。 海外旅行で日本食にこだわる人も多いが気の毒に思う。 私は、普段はパンも避けて通る日本食派であるが、海外に出れば、当地の食にこだわる。 今回は、外れより当たりが多かった。

 コース料理にはしなかった。 子羊肉のグリル、オムレツのジャガイモ添えにトマトサラダつきを注文した。 これも、メニューで解ったのではなく、出てきた料理を見て記録したものである。 普段、家では飲まぬが、ワインがやはり美味い。 メインの皿を二人で分け合って食べるから、品数が増えたようなもので、しかも、丁度よいボリュームである。 どれも、当たりであった。


 ちびりちびりと食べ進めていた食事も、もう、終わろうかという段になっても、となりのおばちゃん達は談笑を続けていた。 料理も運ばれてきた様子がない。 お酒と手持ちのお菓子のようである。 それでも、そろそろ、終わりかなという雰囲気になってきた。 一人がトイレに立ち、帰ってこない。 家内が、お近づきに折鶴を折って手渡したら、皆さん大いに喜んでくれた。 トイレから帰ってきたおばちゃんにも折ってあげた。 何かの会合の帰りに立ち寄ったようである。 もう、11時を過ぎていた。

 ドライブ旅行で面白いのは、普段、日本人があまり立ち寄らないところへ行くと、この折り紙が好評で、直ぐに親しく慣れる。 日本の伝統文化も大したものである。 私の下手糞な領収書のサインでも、よくこんな複雑な文字が書けるものだと感心してくれる。


ラス・プロビンシアス Hotel Las Provincias
【H】 1★
【住】 Ctra. Toledo-Alcazar de San Juan, km61
【TEL】 925-480300/480600


ラス・プロビンシアス Hotel Las Provincias 2005/04/20 (泊)
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