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鳥紀行 フランス編 (9)




【09】 2004/04/23 オンフルール 戻る次へ


 cf. 《行程図 フランス編》 参照



§ 2004/04/23(金) ドライブ旅行 3日目
 今日はノルマンディー Normandie の海岸沿いをモン・サン・ミッシェル Mont St-Michel 方面(西に)向かって行くが、ファレーズ Falaise 辺りで泊まれればよいと考えている。 ある日本人の画家がその村の小さな教会と出会い、そこに10年も留まって、廃墟になっていた礼拝堂を壁画で飾った。 そのドキュメンタリーをTVで観たことがあって、訪ねてみたいと思っていた所である。


§§ エトルタ Etretat の朝
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ズアオアトリ Photo by Kohyuh 2004/04/23
 今日もいい天気である。 家内は、荷造りをしているので、私は手持ち無沙汰である。 鳥でもいないものかと窓から庭を眺めていたら、ズアオアトリ がいた。

 もちろん、名前を知ったのは帰国後である。 サン・ジェルマン・アン・レーで買った図鑑では 同定  できたが、学名とフランス名では、ズアオアトリという和名は出てこない。 他にも、少し大きな鳥で、じっと動かずにいたものも撮ったが、未だに同定できないでいる。














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《エトルタの民宿》 ズアオアトリのいた庭 Photo by Kohyuh 2004/04/23
 朝食の場所は階下、とのことで出向くと、応接室のような部屋であろうか、膝ほどの高さの長テーブルが置いてあった。 窓際のサイドテーブルの上には、色々な国の小さな旗を立てて入れてあるコップが飾られている。

 泊り客の国の旗を立てていたら、こんなに増えたそうである。 10本ほどあったが日本の国旗は無かった。







 
折り紙の効果
 我々のものがないというと、今度は用意しておくといってくれたが、日本の国旗の知名度はどんなものだろうか。 私は、フランス国旗が自由・平等・博愛を意味する三色旗であることは承知しているが、描けと言われても無理である。

 朝食は、昨日と同様、典型的な コンチネンタル で質素なものであるから、このような応接室で十分である。 食後に家内が折鶴を折って見せると、大いに喜んでくれて、早速、それを先ほどのコップの近くに飾ってくれた。 とにかく、日本人が珍しいというところに行くと、間違いなく喜ばれる。 ドライブ旅行には折り紙は必携である。








§§§ エトルタの断崖へ
 ドライブ旅行の良いところは、歩いては行く気になれない、例え公共交通機関のない山道であっても、気軽に行くことが出来ることだろう。 エトルタの海岸から断崖を見上げると教会の屋根が見えた。 ダモンの断崖と呼ばれているところである。 急坂ではあるが道も通じているようである。 狭いが舗装されており、途中に民家もあった。 果たしてこの道でよかったのか不安もあったが、行けるところまで行くというのが私の流儀である。



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ダモンの断崖 Falaise d'Amon Etretat, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh







 断崖の上は草原になっていた。 下から見上げた教会の前が広い駐車場になっており、屋根の上には ホシムクドリ がいた。 思えば行く先々で見かけた鳥である。 大きな群れになるらしいが、不思議にそういった光景は見ていない。

 遠くに戦没者の慰霊碑であろうか大きなモニュメントもあった。 映画 [史上最大の作戦 The Longest Day] で有名なノルマンディーの戦いとも関係しているであろう。

 実際のノルマンディー上陸作戦跡は、カン Caen であり、ファレーズ Falaise からモン・サン・ミッシェル Mont St-Michel へ向かう途中にある。 但し、今回、カンの町は時間の都合により高速道路で通過しただけである。







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ダモン断崖の上に建つ教会 Etretat, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh






 エトルタの町は、二つの断崖に挟まれるようにして在り、それぞれダヴァルの断崖 Falaise d'Aval 、及び、ダモン断崖 Falaise d'Amon という名前がつけられている。

 我々が登ってきたのは、海岸に向かって右側のダモン断崖の方であるが、どこまでもその断崖が続き、その側を細い自然舗道が延びているのが分かる。 しばらく道を辿るが、垣根も何もない、すぐ横が断崖であるから、気持ちがいいやら、悪いやらで、複雑である。






Falaise d'Aval 
ダモン断崖からダヴァルの断崖を望む (断崖に挟まれるようにしてエトルタの街並みが見える)
Etretat, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh




 遠くに、海にせり出した断崖の端に立つ人影を見つけて、行く気がしなくなった。 A5版(縦)程の大きさに見える断崖に米粒のような人影である。

 それも、断崖の端っこに立っているから、いかにも気持ちが悪い。 セグロカモメ が空を舞っていたり、崖っぷちで休んでいたりしているが、こちらは怖がる様子は微塵もない。



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果てしなく続く断崖
Etretat, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh





 断崖から望む海はイギリス海峡 La Manche である。 泳いで渡る人もいる、あの有名なドーバ海峡の四五倍の距離はあるだろう。

 天気は良かったが、ここからイングランドの地は望めるものではない。 それでも、むかし、ナイトコーチ night coach と呼ばれる夜行バスに乗って渡ったことを思い出したりして、感慨深いものがあつた。




ノルマンディー地方
 フランスの、このノルマンディー地方は、かって (911年)、ノルマン人 (ヴァイキング) の進入を受けたとき、これを撃退できる程の力がなかったフランス王は、ノルマンディー公国として臣下に置き、その占領を認めた。 位は臣下であるが実力は上である。 その後、ノルマン公国は、イングランドをも支配してノルマン王朝の時代を築いたという。 フランス王の臣下にして、イングランドの王にもなるのであるから、不思議な関係である。


 この地が再びフランス王のものとなるのは、昨日訪れた レザンドリー Les Andelys のガイヤール城 Chateau Gaillard 攻防戦に勝利 (1203年) してからのことだそうである。





余談: 笠置山
 ジェットコースターに乗ったり、高い塔に登ることなど、怖がる人がいるが、私は好きである。 これらは、技術の粋を尽くして造られたものであるから、信頼性が高い筈である。 だから、安心して身を任せていられるというものだ。

 ところが、この断崖には、柵とか垣根とか手すりといった人工的なものが一切ない。 頼れるものは、自分自身である。 これがいけない。 自分の信頼性が極めて低いことを承知しているから怖いのである。 いつ、ふらっとして倒れるかも知らん。 そのように思うからこそ怖いのである。



 未だに忘れられない想い出がある。 小学生の頃、学校から笠置山へ遠足に行ったことがある。 そこには大きな岩に仏像(磨崖仏)が刻まれているものがあるが、いつの間にやらその上にいた。

 私たち男子生徒は腹ばいになって、匍匐前進して、顔を僅かに突き出し、下を覗いたものだった。 勇気を示したかったからである。 それこそ垣根も何もない。 しかも、岩の縁は砂利で、いかにも滑りそうである。

 ところが、後から来た女子生徒が、つかつかと興味深げに近寄ってきて、立ち姿勢のまま、下を覗き込むから吃驚した。 私にはとても真似が出来ない。 今思っても股間がぞくぞくする。 自分の信頼性に余程の自信が無ければ出来ないことである。











§§ ノルマンディー橋
 昨日、ル・アーブル Le Havre がコンビナートが立ち並ぶ大きな港町と知り、そこでの宿泊をあきらめて、向かうべきファレーズ Falaise 方面とは逆の方向にあるエトルタに宿を求めた。 エトルタは、計画段階では訪問予定地であったが、このように反対方向であったから、実施段階になって、外そうと考えていた所である。


 それがルアーブルを外して、エトルタを選ぶ結果となった。 その選択が、心に残る民宿に出会えることにつながってくる。 まさに、ドライブ旅行の醍醐味と言うものである。

 それでも、次の目的地へ行くためには、もと来た道を引き返さなければならない。 そのことには変わりはない。 といっても、海岸沿いの同じ道を引き返すのも芸がないので、内陸の道を辿ることにした。 目指すはノルマンディー橋である。


 ノルマンディー橋はセーヌ川の河口にかかり、ル・アーブル Le Havre とオンフルール Honfleur の町を結ぶもので、斜張橋としては建設当時 (1995/01/20 完成)、世界一の長さ(支柱間の距離が856m)であったという。

 私は、セーヌが海にそそぐ所を見届けねばならない思いもあって、このノルマンディー橋を外すわけには行かない。




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ノルマンディー橋 Photo by Kohyuh 2004/04/23
 橋を渡るのは有料であった。 橋に向かって右がセーヌの河口で、イギリス海峡 la Manche にそそいでいる。

 ノルマンディー橋の手前、即ちル・アーブル側に、パーキングエリアがある。










 当時、難工事であった建設模様を、工事方法の設計資料や工事現場の写真や実際に使用されているワイヤー見本などが展示されている館がメインとなってる。 展示館は無料であったと思う。





 橋を渡るのが有料であるから、その料金に含まれているのであろう。 もちろんレストランやみやげ物店なども併設されている。 面白いのは、橋を色々な角度から展望できるように、各所に展望所が設けられており、それらを道路を横断したりする歩道橋で繋いでいたり、橋のたもとまで歩いていけるようである。

 ところが、風が強く、その上寒いし、とても橋のたもとまでは歩く気になれなかった。 そこまで歩かなくても、セーヌの河口の様子は良く分かるし、これから橋を車で越えて行くからと、根性のない決心をしたものであった。

 この橋の当たり一帯は湿地帯になっていて、いかにも シギチ が好みそうな環境に見えたが、それらしきものの姿はなかった。 わずかに、サギと思われる鳥の姿が確認されただけである。 この強い風が鳥たちの生息を拒んでいるのだろうか。 そして、スリムで美しい橋の姿は、実際に、この強風に耐えるよう設計上の工夫がなされたもので、その構想・設計に16年、建設に6年もかけられたという。









§§ オンフルール Honfleur
 このオンフルールからヴィルヴィル Villeville、ドーヴィル Deauville と海岸沿いに行くが、計画段階から楽しみにしていたところで、トレース 済みのルートも頭の中にある。 何しろ、国道を離れた海岸の道とか峠道とかが好きで、面白そうな道があると、わざわざ遠回りしていくこともある。

 起点とする オンフルール は、ノルマンディー橋を渡りきったところにある小さな魚港の町で、観光客で賑わっていた。 素通りしてきた対岸のル・アーブルの大工業地帯とは大違いであった。 昔からセザンヌなどの画家たちに愛されて描かれた町でもある。 それに海鮮料理が美味いことは言うまでもない。

 町の中心部にあるヨットハーバーの周りには、海鮮料理のお店が軒を連ねており、お昼どきだからか、どの見せも満員の様子である。 ひととおり見て回ったが、優劣のつけようがないというか、つけられない。 こういう場合は、どこを選んでもよいと言うことと同じであるから、適当に、通りの中ほどの店に入った。



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オンフルールのヨットハーバー
Honfleur, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh





 日本語のメニューはなかった。 あればあったで、いかにも日本人客狙いの魂胆が見えて嫌であるが、フランス語では、何が書いてあっても、白紙と同じで全く用を成さない。 また、英語のメニューだからといって分かるものではない。 シーフードのスープ、ムール貝の何とか、クラムのガーリックソースの何とかを注文した。

 ムール貝も色々な料理方法があるようで、ネギか何かの青物の薬味を入れて調理されているようであった。 シンプルなのもいいが、これはこれで美味かった。 ところが、二度と同じものは注文できないであろう。





クラム clam のこと
 特筆すべきは、クラム clam という貝である。 クラムチャウダースープ clam chowder soup のクラムであろう。 米国生れの世界に誇る値打ちのあるスープである。 ファーストフード(シーフード)店のものが絶品であった。 普通ハマグリやアサリのことを指す筈であるが、姿かたちも味も歯ごたえも違う。 見たことも、もちろん食べたこともないものであったが、これが美味かった。

 貝殻自体が円形に近くて、身はそれこそ円形で少し厚みがある。 それに歯ごたえがたまらない。 しわい感じがするのもよし、噛めばかむほど味がでるのもよい。





サント・カトリーヌ教会
サント・カトリーヌ教会 Honfleur, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh
サント・カトリーヌ教会
Honfleur, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh




 そのクラムの正体を知りたくて、その後、わざわざ色々な市場を見て回ったところ "amande" と記して売っていたのを発見した。

 家内のメモ帳に絵を添えて記録しているから間違いない。 ところが、今、フランス語辞典で調べたら、"amande" は、アーモンドのことらしく、貝とは一言も書いていない。 俗称であろうか。

 それにしても、ノルマンディー地方の市場には魚介類が豊富にあり、ムール貝などバケツ大の大きさのネットに入れてあるから半端じゃない。

 どれもこれも調理して食したいものであるが、そういう訳には行かないのが現状である。

















 近くにあったサント・カトリーヌ教会 Eglise Ste-Catherine は、木造建築であるが屋根を葺いている鱗状の木の瓦が緻密で美しい。

 戦争で一度破壊されたものを15世紀の頃、再建に取り掛かるが、そのときに木造建築にしたという。 早く完成させたかったからである。

 それでも、現在から考えると、決して手抜きをしたものではないことがよく分かる。 むしろ、技術の粋を尽くしたに違いない。

 この町の船大工が協力したそうである。 教会の中へは自由に入ることが出来たし、ステンドグラスも美しいものであった。 もちろん今も、町の教会として使われているようであった。 






§§ ファレーズ Falaise へ
 いよいよオンフルールにお別れして、今日の宿泊予定地であるファレーズに向かう。 オンフルールの町から海岸沿いの道を辿るが、メイン通りを走っていては、折角の景勝ルートには行き着けない。 一旦町から港にでて、海沿いの道を行く必要がある。 そして、難なく目的の道を辿ることが出来たから、方向音痴の私としては、これは快挙といっていい。 頭の中の地図どおりであった。 トレース していたお陰である。

 ここから、ヴィルヴィル Villeville に至る道は、海が見えるし景色もよいが、期待していた青い海ではなく、灰色の海であった。 しばらく走っていると、家並みが現れ小さな町中に入り、海も見えなくなってしまった。 前を行く車が右折して、それこそ町の中に入っていった。

 右折であるから海岸に出る筈である。 これ幸いと後をついていったら、道は狭くなり、下り坂の道になっていた。 しばらく行くと小さな広場が出てきたが、車はそれには目もくれず、更に狭い急坂を下りていって、姿が見えなくなってしまった。



 行けるところまで行くというのが私の流儀であるが、何度も痛い目に逢っているので、車での追尾はここで中止し、徒歩で行くことにした。 車が消えた道を辿ると、一挙に坂を下って、それと共に視界が広がり、延々と続く防波堤が見えてきた。 見るとその防波堤の道の要所要所に車が駐車してある。





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ヴィルヴィル Villeville, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh





セーヌ川の河口の風景
 それぞれに、海を眺めに来ている人たちの車である。 車は地元の人たちであろう。 それに、この町を宿にする観光客もいるであろう、人で溢れていた。 確かめると、ここはやはりヴィルヴィル Villeville の町であった。

 長く続く防波堤の先に霞むようにして見えるのは、ル・アーブル Le Havre に違いない。 まさしくこれは、セーヌ川の河口の風景であった。 パリから、セーヌを辿り、その色々な顔を見てきたが、その終着点である。



 このヴィルヴィルから ドーヴィル Deauville へ至る道も海岸沿いの道であるが、海は見えたり見えなかったりする。 ドーヴィルの町に入ると、いかにも高級リゾート地という風情で、大きくて広々とした綺麗な街並みであった。 高級商店街やカジノや競馬場まであるという。 1860年に保養地に指定されているというから普通ではない。

 このドーヴィルの町を車で一周した後、進路を南に取り、リジュー Lisieux という町まで高速道路 (国道) で一気に走り抜けた。 さらに、ファレーズ Falaise に向かって、県道、地方道と道路の位は下がるが、道路そのものは高速道路並の道を走り続けた。

 途中に民宿でもありそうな町はないかと注意深く進むが、一向にその気配がない、そのままファレーズの町に突入することになってしまった。 思っていたよりも大きな町で、こうなると自力で宿を探すのは難しい。 ツーリスト・インフォメーション・センタに頼ることにした。 これら公共施設は比較的見つけやすい市の中心部にある。 そして、"Centre Ville (City Center)" の標識に従って進めば、そこに辿り着けることはどの国も同じである。







§§§ インフォメーションの女性職員の機転
 インフォーメーションにたどり着いた時には、もう5時を回っていたから駄目かと思った。 すると丁度、事務所の戸締りをして家に帰えるのであろう、こちらの方へ向かってくる若い女性がいた。 私たちは、事務所の方へ向かっていたから、丁度、その中間当たりで出会うことになる。

素晴らしい気付き
 そのとき、私たちも気付いたが、その女性も私たちの何たるかを気付いてくれたのであろう、向こうから声を掛けてくれた。 そして、ホテルリストと市街地図が欲しくて訪れたことを説明すると、わざわざ事務所まで引き返してくれて、鍵を開け、中に招き入れてくれた。 私は、このように機転がきいて、しかも親切で、その上美人であるフランス女性がいることを世に知らしめたいと思う。

 向こうから声を掛けてくれなかったら、果たして、こちらから呼び止めただろうか。 私たちからすれば、彼女がインフォメーションの職員かどうかも判断に迷うところである。 何しろ、入り口がどこにあるかも知らないからである。 ただ、その方角から出てきたということしか分からない。 危惧はしているが、実際に閉店していることすら未だ知らない。

 普通の順序としては、声を掛ける前に、そのことを確かめに行くであろう。 しかし、もし、そうのようにしていたら、その女性の姿をきっと見失っていたことだろう。 顔など覚えている訳がない。 帰りを急ぐ人たちの中の一人であるに過ぎないからだ。

 一方、向こうから見れば、私たちが旅姿であるから、その目的を察することが出来たに違いない。 彼女の方から声を掛けなければ、私が想像したとおりに、事は進行するであろうことに気が付いた。 だから声を掛けてくれた。

 このような気付きというものは、何事もそうであるが、人柄や仕事に対する普段の姿勢から来るものである。 自分本位の気まぐれによるものでは決してない。 何という素晴らしい 《気付き》 ではないか。



§§§ ホテル探し
 普通、インフォーメーションではホテルの予約までしてくれるものである。 希望の料金や場所やエレベータの有無などを申し出て、見合ったものを探してもらうのである。 この場合、もちろん紹介料は取られるのが普通である。

 英国のどこだったか、今日のように、閉店ぎりぎりに入ったことがある。 係りの女性が帰り支度をしていたところに飛び込んだ。 それでも嫌な顔をせず、条件を聞いてくれたりしている頃に、また、次の一人旅らしい若い女性が入ってきた。 このように予約処理まで含めると、一人当たりの処理時間に10分や15分はかかる。 私たちを含めると小一時間の時間外労働になる。 英国人の帰り足の速さは有名であるが、それでも嫌な顔は微塵も出さなかった。

 私が閉店時間を過ぎているのに申し訳ないというと、さすがに、実はそうなんです、と本音を漏らしていた。 このときは6時頃だったと思う。 この時間で締め出しはできない。 もし、されたら、宿探しは大変だ。 若い女性の一人旅である。

 そして、私たちが終わったあと、その女性が出した条件は、随分と安い料金のものであったから、だいぶ時間がかかったであろうと想像する。 何しろ外国の人は条件に合致するまで、後に並んでいる人のことなど気にしないで、自己主張するから非常に迷惑することが多い。

 このファレーズのときは、インフォメーションが既に時間外対応であったから、ホテルの予約まではしてくれなかった。 そう思っていた。 ところがあとで気がつくことになるが、フランスではホテルの予約まではしてくれないようである。 ホテルリストだけをくれて、自分で行くか、電話しろという。 ただし、ホテルのある場所を聴けば、地図をだして道順まで教えてくれる。


 貰ったホテルリストを家内が見ていて、その中のイビス Ibis というホテルに眼が留まり、その看板が、ここに来る途中にあったことに気がついた。 これは、私にはない能力である。 私は、途中にある看板など、目には入っていたのだろうが、頭には入っていないからだ。 たとえ頭に入っていても、そこに辿り着くのに半日はかかるであろう。 それが、ものの10分程で着いたからえらいものだ。







§§§ イビス(ホテル) Ibis
 イビスは幹線道路から一本中に入った所にあった。 従って、非常にアクセスし易かった。 いわゆるモーテルといったレベルであろう、料金も安いし、駐車場も広いから都合が良い。 何しろ、レンタカーは路上駐車は厳禁である。 イビスを初めて利用したが、予想外に良かったという印象である。

 それに、私の 《宿選びの三原則》 にもかなっているものであった。 幹線道路に近いから騒音を心配したが、全く静かであった。 ホテルの立地条件として気を配るべき最大の要素であるから、当然と言えば当然のことである。





イビスの部屋からファーレーズの街を望む Falaise, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh
イビスの部屋からファーレーズの街を望む
Falaise, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh
 民宿並の料金で、設備は民宿以上のものである。 それに、フランス全国津々浦々にあるから、バカンス好きのフランス人の宿として大いに利用されていることが分かった。

 家族連れやサラり-マン風の人たちが多かった。 要するに、車でのアクセスは容易であるが、何しろ郊外にあることが多いから、近くには何もない。

 レストランが併設されているから、食べ損ねることはない。 そこが、家族連れには良いのかも知れない。 もちろん、アヌシーのような立地条件の良いところもあるから、それは色々だ。

 さらに、当たり外れがないところが良い。 大体、料金や設備など規格化されているからである。

 利用方法としては、まず、目的地にイビスがあるかどうか確認しておくのである。 有れば、俄然有利になる。 様子が分かっているから、お目当ての民宿が見つからなければ、イビスに泊まれば良い。









 ホテルには、"ibis Accor hotels 2004 700 hotels" という小冊子が置いてある。 無料であるから、貰っておいて損はない。

 これがあれば、事前に、目的地にイビスがあるかどうか確認できるし、場所も地図で示してあるから行きやすい。

 もちろん、2004年版が良いというものではない。 最新版が良いに決まっている。 フランスは、想像していたより民宿が見つからなくて困ったが、先々、このイビスに大いに助けられた。










§§§ 林檎の礼拝堂
 ホテル (イビス) に思ったより早く着いたので、チェックインを済ませたあと、その足で、"林檎の礼拝堂" を観に行くことにした。 TVのドキュメンタリー番組を観て、知っていたからである。



林檎の礼拝堂
 この林檎の礼拝堂は、"再生したサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂 Chapelle reviviscente de St-Vigor-de Mieux" というのが正式な名称である。

 そして、"再生した" と冠がついているのは、15世紀の終わりに建てられたものであるが、時が流れる内に崩れて 1983年に閉鎖されていたものを、日本人アーチスト 田窪恭治が林檎の樹の壁画を描いて再生させたからである。 林檎はノルマンディー地方の特産物という。

 1987年に田窪恭治が初めてこの地を訪れた時、強く心引かれ、礼拝堂を美術作品として再生させることに決めたという。 そして、1992年から工事がスタートしたが、この地で10年以上の歳月をかけて完成・再生させた。
パンフレット等から引用


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林檎の礼拝堂 Photo by Kohyuh 2004/04/24

 この礼拝堂がどこにあるかについては特別な地図がある訳ではない。

 "地球の歩き方" に、St-Martin-de-Mieux とういう村にあると書いてあった。

 それに、その村なら確かに ミシュランにも載っていた。










 その田舎道を辿ると、小さな村に到り、それこそ小さな教会があった。 ところが、写真で見る林檎の教会らしくない。 どう考えても違っているようなので、その村を一周するが他に教会はなかった。





 仕方なく、他を探そうと、遠くに見える鎮守の森のように見えるところを目指した。 Uターンもできない道を進んで行くが、結局、農家があるだけで行き止まりであったりした。 見渡すが、ただ耕作地が広がっているばかりで、村らしいものは見えなかった。

 途方に暮れていたら、自転車に乗った中学生くらいの男の子が通りかかったので道を聞いてみた。 その子はこちらの言うことは分かったようである。 ところが、一生懸命説明してくれるが、こちらが彼の言うことが分からない。 業を煮やしたのか、俺の後をついて来いと、自転車で走り出した。

 かなりのスピードで五六分以上は走ったろうか、ここなら間違うことはなかろうという交差点に来て、あの道を目指して行けと手で差し示してくれた。 何という親切であろうか。

 若いからといっても、かなりのエネルギーを消耗させてまで、私たちに好意を示してくれた。 このときほど、好意に報いる、ちょっとした日本の土産物があればと思ったことはなかった。 礼を言うと、彼は手を挙げて応えて、爽やかに去っていった。







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林檎の教会の屋根瓦 St-Vigor-de-Mieux, France 2004/04/23 Photo by Kohyuh


 林檎の教会は、直ぐに見つかった。 もはや誰もいない。 戸も閉まっていた。 確かに小さな礼拝堂ではあったが、屋根の瓦 の一部にステンドグラスのようなものを散りばめてある。

 外観も綺麗であるが、室内にもその光を導き、林檎の樹の壁画に神秘的な彩りの演出をしているであろうことが想像された。 窓から覗くと林檎の樹や枝葉や果実が壁一面に描かれていた。 まだ明るかったが、私たちが帰る頃には、もう礼拝堂の影も長く延び始めていた。











§§§ 道を間違った訳
 教会や礼拝堂は、その村や町の名を冠しているものが普通である。 林檎の礼拝堂は、Chapelle reviviscente de St-Vigor-de Mieux であるから、St-Vigor-de-Mieux という名の村にある筈である。

 それが、"地球の歩き方" には、St-Martin-de-Mieux とういう村にあると書いてあった。 これが間違っているのである。 だから間違って、St-Martin-de-Mieux という名の村に行ってしまった。 そこには其処の教会があるのである。

 一方、林檎の礼拝堂は、St-Vigor-de-Mieux という村のものだろう。 現に、St-Vigor-de-Mieux という村も、ミシュランの道路地図にちゃんと載っている。 又しても、はまった。 "地球の歩き方" は "地球の迷い方" とは良く言ったものである。









〔Ibis Falaise Coeur de Normandie  泊 2004/04/23〕
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