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鳥紀行 フランス編 (7)




【07】 2004/04/21 ドライブ旅行 1日目 戻る次へ


 cf. 《行程図 フランス編》 参照



§ 2004/04/21 (水) ドライブ旅行 1日目
 家内は、昨晩は遅くまでかかって、荷物の整理をしていた。 私は、ハードケースとキャリーバックのベルト掛けと、施錠だけが担当であるから、早く寝た。 このホテルとも、今日でお別れである。


 薄情ものと思われるかも知れないが、そうではない。 家に居るときでも、収納は家内の担当である。 狭い部屋であるから、私の大雑把な収納方法では、収納しきれない。

 それなりのノウハウがあり、私の出る幕がないのである。 この荷物の整理も同じで、私では、収納できないほどのものが、ぎっしり詰まっていて、これはこれで、それなりのノウハウが必要である。 要するに、触らせて貰えないのである。


 だから、私が、明日、鮎釣りに出かけると言えば、一切の鮎釣り道具が揃えて出てくるし、太刀魚釣りに出かけると言えば、太刀魚釣りの道具が用意されて出てくる。 普通、世の旦那方は、道具類を他人に触らせることを嫌がるものだしょう、と愚痴をこぼしながらも、出てくるから、えらいものだ。

 釣りから帰れば、道具はそのままに、先に風呂に入る。 道具は、そのままにして置けば良いというものだから、そのままにしておくと、ちゃんと洗って、どこかにまた、収納されたのであろう、いつの間にか消えてしまっている。

 尚更、薄情ものと言われるかも知れないが、不便なところもある。 釣りに行きたくても、家内がいないと、何処に道具があるのか、さっぱり分からない。










§§
ホテルの朝食に異変あり
 今日は、いつもより少し早めに、朝食を摂るために地階に下りた。 それがパンにコーヒーしかない。 いつものジュースやハムがない。 まかないのオバサンの姿が見えないから、聞くに聞けない。 朝食の料金からすれば、納得がいかなかったが、誰も、知らぬ顔で食事を摂っていた。 私たちも、先を急ぐから、仕方なく、そのまま質素な朝食で済ませた。


 チェックアウトすべく、荷物を持ってフロントに出向いたが、誰もいない。 呼び鈴を鳴らしても、反応無しであった。 いつもなら、控えの部屋から直ぐに顔を見せるのに。

 しばらく待たされたが、いつものフロントのオジサンが地階から、息せき切って、上がってきて、一寸待っててくれといって、また、降りていく。


 どうやら、まかないのオバサンが出勤してこなかった様子である。 フロントのオジサンが一人で、駆けずり回っていた。 手抜きの朝食やら、待たされるわ、料金だけはしっかり取られるわ、その上に、お詫びの一言もない。 まかないのオバサンが休んで、朝食準備の混乱を招いたのは、自分の責任ではないという気持ちからであろうか。 日本では考えられない出来事であった。




一理あり!
 "Excuse me" とか "I'm sorry" とか、よく声がでて、日本人より余程礼儀正しいが、それは、肩が触れたといった、金に絡まない出来事に対してのことであるらしい。

 交通事故とかでは、絶対に、"I'm sorry" とは言わないそうである。 金や名誉がかかるだろうし、しかも、直ぐには、どちらが悪いとも言えないことだろうから、謝れないということだ。










§§ サン・ジェルマン・アン・レーのハーツ営業所にて
 サン・ジェルマン・アン・レー St Germain en Laye のハーツ Hertz の営業所は、思ったより小さい。 担当者は一人であった。 予約表を見せ、保険はフルで、ドライバーは家内と二人にしてくれと頼んだ。 分かった顔をして、コンピュータに向かい、契約書を打ち出して来たから、一つずつ項目を再確認していった。



例外的フランス人?
 チェックアウト日時、チェックイン日時、それに、追加ドライバーまでは、スムースに来たが、任意保険の項目がなかった。 フルで頼むといったのに通じていなかった。 その担当者は、英語が全く出来ないようだった。 大体、海外からの旅行者は、空港とか、中央駅の営業所を利用する。

 片田舎といっては失礼だが、この営業所を利用するのは、フランス人だけであろう。 私たちが特別なのかも知れないが、英語が喋れない担当者は初めてであった。

 私たちのやり取りを聞いて、あとから来た中年の女性客が、途中から、通訳に入ってくれた。 契約書も新しく作り直された。 それでも、契約書に予期せぬ料金が書いてあったから聞くと、また、喋り始めたが、フランス語だから、さっぱり分からない。

 私が分からない顔をしていたから、また、先ほどの女性客が説明してくれた。 免責額のことで、修理代が、この額を超えなければ自己負担になる、ということを説明していたらしい。

 
そして、そのご婦人いわく 『普通、フランス人は英語も喋れるが、この人だけは例外だ』 といって大笑いした。




道路地図サービスがないのは初めて
 そして、当たり前のことであるが、道路地図を要求したが、そんなものは無いと首を振る。 普通、全国地図は用意しているものだが、地図が要るような人は、この営業所には来ないということであろうか。 市内地図は、昨日、インフォメーションで貰っていたし、ミシュランの道路地図も買っていたから、問題はないのだが、ハーツでくれる道路地図は使いやすくて、重宝したものだったから、当たり前のように無いと言われると、少々腹立たしい。


 車の鍵を貰って、駐車場へ向かうと、別の係員がいて、出庫の確認となるが、ここで、傷などを見つければ、その旨、契約書に記入してくれる。





 この係員に、インフォーメーションで貰った市内地図に、オーヴェル・シュル・オワーズ Auvers sur Oise へ行く道を聞いた。 早くこの市外を抜けたいから、国道 N184 で行くことに決めている。 その入り方を聞いたが、予想していた道順であった。 このレベルの国道は、高速道路 Motorway ではないが、見かけや機能は高速道路である。

 こういう大きな道は、その降り方が難しい。 出口を間違えると、引き返すのに手間取ったり、道に迷ってしまうことも良くあることだ。

 停車して地図を確認することも出来ないから、通過する町の標識を確認して、現在地の把握に注意する必要がある。 それでも、通り過ぎたり、早すぎたりして、都市部での成功率は、それほど高くない。



 オーヴェル・シュル・オワーズは、パリ郊外ではあるが、ここに到るまでは市街地の様相で、まあ、言って見れば阪神高を走っているようなもので、降り口が分かり難くかった。 それでも、えいっやっと、降りたところがまさに、ぴったしで、思っていたところに出た。 ここからは、県道レベルの D928 に入り、あと数キロで目的地に着ける。











§§ オーヴェル・シュル・オワーズ Auvers sur Oise
 オーヴェル・シュル・オワーズは、オワーズ川沿いのオーヴェルという町のことである。 川にかかる橋の直ぐ側に、駐車場があり、この橋が町の入り口と言ってよい。 ここから、歩いて、ゴッホが描いたオーヴェルの教会や彼の墓地を訪ねることにした。


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駐車場近くのオワーズ川の風景 04/04/21 Photo by Kohyuh





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オーヴェルの教会
2004/04/21 Photo by Kohyuh
(クリックで拡大する)
 オーヴェルの教会は、橋からすぐ近いところにあった。 日本からスケッチ旅行に来ている方たちが、大勢で、この教会や川の風景の絵を描きに来ていた。

 彼等がスケッチしている場所は、なるほど、眼の付け所が違うのであろう、絵になる構図である。 こういうツアーも、絵が好きな人にはいいかも知れない。













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緩やかな上り道 (クリックで拡大する)
2004/04/21 Photo by Kohyuh
 この教会から、緩やかな上り道になって、辿っていくと広い高原のような風景が現れる。













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麦畑 (クリックで拡大する)
2004/04/21 Photo by Kohyuh
 麦畑であろうか、一面に緑が広がっていた。

 はるか彼方に、低い壁で囲まれた、広い、区画された様に見えるところがあるから、そこにゴッホの墓地があるようである。

 先を行く人もいたが、とても歩く気になれない。 引き返して、インフォメーションセンタへ行くことにした。 田舎町を散歩するようで気持ちが良い。








 モリバト が林の中にいた。 モリバトの証拠写真は、ヴァンセンヌの森 のものの方が良い。 川辺には、ハクセキレイがいた。 不思議なことに、ハクセキレイを見たのは、そう多くない。 写真の質も悪いし、影も薄いからだろう、この鳥紀行には挙げていなかったことに、今、気が付いた。 しかし、今となっては、そのままにして置くしかない。

 もちろん、《日本のハクセキレイ》 でも、見た目は変わらない。










§§ セーヌ川 Seine 沿いの道を辿る
 オーヴェル・シュル・オワーズを離れると、もう、ドライブにはもってこいである。 好きなように走れる。 気が向けば、いつ停車してもかまわない。 今日の目的地は、ジベルニー近くまで行ければ良い。 まだ、昼前であった。



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セーヌ川沿いの道 04/04/21 Photo by Kohyuh
 オワーズ川からセーヌ川沿いの道を目指す。 もう、町も村も、遠い世界である。

 もちろん、行き交う車も殆どない。 自分では、この辺りに来ていると思ってはいても、実際のところは分からない。

 このまま、眼くらめっぽう走っていても良いものだろうかと、不安になりだした頃に、小さな村に紛れ込んだ。









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レストラン
2004/04/21 Photo by Kohyuh
(クリックで拡大する)
 見ると、目の前にレストランがあるし、昼食時も過ぎていたから、何はともあれ、休憩がてら、入ることにした。 客は誰もいなかった。

 パブ のようであったが、おばさんが二人で世間話をしていたところへ顔を出して、食事が出来るかどうかたずねると、隣の部屋へ案内された。









 普通、パブ とレストランを併設する形式が多い。 レストランの方は、決まった時間にしか開けないから、確かに、この方が都合がよいかも知れない。


 メニューを見ながらどのような料理か聞くと、お店の人は、フランス語しか話せないようであったが、もう一人の女性は、英語が上手かった。

 近所のお友達のような関係であろうか、代わりに説明してくれた。 そして、お店のオーナーシェフであろう、白い帽子、白い上着の、いかにも料理人という姿で現れた。 とても太って、かっぷくが良い。 何より笑顔が良い。



 私たちが日本人と知って、「藤田嗣治を知っているだろう。 彼も、ここに食べに来たんだ。 その彼の絵がそれだ」 と壁に掛けられた絵を指差した。 見ると、ちゃんとした絵ではなく、サインやら落書き風のもので、それでも本物であろう。 当時、フランスで大成功を修めた画家であることは良く知っていたから、相槌を打つ。



藤田嗣治 ふじたつぐはる (1886-1968)
 洋画家。 エコール‐ド‐パリの代表者の一人。 東京生れ。 東京美術学校卒業後、渡仏。 日本画と油絵の様式を総合して新風を開いた。 第二次大戦後フランスに帰化。
 《広辞苑 第四版より引用》




 すると奥に引っ込んで、何やら持ってきた。 古めかしい、色あせた絵葉書だった。 藤田の絵だ。 それを私にくれると言う。 このお店を訪れた日本人は、藤田以外には、そう何人もいないかも知れない。

 だから余計に喜んでくれたようだった。 この主は、フランス語しか話せない。 それでも、こういう話題には、通訳も何も要らない。 全て、お互いに通じるものである。


 また、藤田が来た話しは別としても、ここの料理は美味かった。 フランスに来て、まだ、それ程間もないというのに、食事には幻滅していたから。

 『何がフランス料理だ。 何も知らないで、自分が一番だと思っているんだろう。 一度といわず、日本に勉強しに来きたらどうだ』 と言ってやりたかった。



 それが、このお店は違った。 実に美味かったが、それより何より、歓迎されているという雰囲気が伝わってくるのが嬉しい。 これは、何事でもそうであるが、料理以上のものである。


 残念なことに、いつも、量ばかり多いものだから、二人で一つ "one for two" と注文するようになっていたから、ここでも、そのようにしたことだ。 このお店では、もっと食べたかった。

昼食のコースメニュー
・フォアグラのテリーヌ
・ヒレ ステーキ
・アスパラ、ジャガイモと人参のサラダ
・シャーベット
・アイスクリームにリンゴのケーキ

Auberge Le Rendez Vous de Chasse
Specialites Campargnardes
Hameau de Sandrancourt 78520 St Martin La Garenne
Tel 01.34.77.51.50
Ferme le Mardi/



 私が半年もかけて作った道路地図は、ミシュランの道路地図には負けてしまったから、全く役に立たないし、見る気もしなかった。 何処が負けるかと言えば、ミシュランには景勝ルートが示されていることだ。 目的地と方向が合えば、その景勝ルートを辿るのがお勧めである。

 このレストランで得た情報で、現在地がどこであるか、地図上で明確になった。 貰った名刺や絵葉書に住所が書いてあった。 もちろん、地図を示して教えてくれた。




道に迷ったとき
 道に迷った時は、如何にして現在地を確かめるかが先決である。 ところが、これが難しい。 道路標識があれば良いが、そうゆう所では、迷いはしないものだ。 何もないから迷う。

 道を聞くのが一番であるが、道を歩いている人の姿など、殆ど見かけることはない。 特に、子供は、どこかに隠しているのではないかと思うほど、見かけない。

 お店か何か、人がいそうなところ探すが、店を見つけても、人の姿を見かけないことが多い。 それに地図を読めない人が結構いるものだから、安心は出来ない。 レストランや喫茶店が見つかれば、迷わず飛び込むことが一番だ。













§§ 今夜の宿探し
 宿探しは、出来たら午前中に、とか、午後3時頃までに、というようなことが言われているが、私は午後5時頃までにと思っている。 夏場は、7時過ぎまで明るいからだ。 ところが、その、5時を過ぎても宿が見つからないことがある。 そうなると、さすがに、焦りを感じるようになるから、本当は良くない。 今回がそれだった。 実際には難しいが、定説どおりがいいかも知れない。



 明日の訪問地は、ジベルニーであるから、その一歩手前で、いい宿が見つかれば良い。 4時を過ぎているが、もう後、数十キロだし、早く見つかったところにしようと安心していた。

 小さな町を何度か通り過ぎるが、宿らしきものがない。 それでも案内板を見つけて横道に入ると、それこそ、お誂えのような館があった。 早速、車を乗り入れ、玄関を覗くが誰もいない。

 鍵も掛かっているようだった。 仕方なく、また、引き返すということを何度か繰り返していると、本当に心配になってきた。



 宿は、あるにはあるが、どれも閉まっているということは、シーズンオフかも知れないからだ。 いよいよジベルニーに近付いてくるが、この分では、そこも大丈夫かどうか分からない。 何しろ小さな町だ。 ただ、「モネの家」 があるだけだろう。 もう、選り好みはしない、最初に見つかったところにすると、心に決めた。



 また、案内板があったから、そちらの道に進むが、行けどもいけども、見つからないし、方角も何も、何処を走っているかもわからなくなって来た。

 もう、引き返そうかという限界に来たところで、それらしき大きな案内板が出てきた。 その脇に駐車場があったから、そこに車を止めた。





忘れられない出逢い
 駐車場に車はない、空であった。 また、留守かも知れないと、家内だけが降りて、確かめに走った。 大きな立派な屋敷が見える。 帰ってきた家内の話によると、門のところにおじいさんがいて、泊まれるか尋ねると、にこやかに握手をしてきたという。 そして、主人に泊まれるように頼みに行って母屋に消えたという。



 母屋から出てきた宿の主は、四五十代の端正な顔の、どちらかというと英国人風の人で、それに英語が上手かった。 部屋へ案内してくれたが、あの立派な母屋ではなかった。

 ちょっとがっかりしたが、広大な庭の一角にある、五部屋並んだ別棟に案内された。 天井が高く小奇麗ではあるが、タイルの床で、庭から直接、土足で上がるところが、慣れないせいか、何となく落ち着かない。

 これまで、木の床か、カーペットの床を想像していたからだ。 ベッドと、テーブルに椅子と、洗面所と、シャワー室があった。 テレビは無かった。







おじいさんはイタリア人?
 朝食付きで、料金が思ったより安い。 初めから断るつもりはなかったが手順は守つて、ここで契約成立となった。 朝食は、先ほどのおじいさんが、部屋まで運んでくれるという。 おじいさんは、イタリア人の風貌で、実際にイタリアの人らしい。 門の側にある、離れに住んでいる様子であった。 この人がなかなか感じが良い。


 宿の主は、日本人が珍しかったのであろう、良く喋った。 庭先で、小学生ぐらいの女の子が一人で遊んでいたから、あなたの娘さんかと聞くとそうだという。 そして、声を掛けて側に呼んでくれた。 外国の子供はとても可愛いが、見かけないものだから、こうして傍に来てくれると嬉しい。




ミネラルウォータ
 ミネラルウォータを売っているところがないか尋ねると、近くの店は、もう閉まっている時間だといって、遠くの店まで、おじいさんに買いにやらせた。 すると、あのお嬢さんが一緒に車に乗って行った。 おじいさんと、とても仲が良さそうである。


 芝生に クロウタドリ がいたから、指差すと、朝方、綺麗な声で鳴くという。 それにミミズを捕るのが非常に上手いと話してくれた。 なるほど、見ている間に五六匹捉まえて、そのまま口にくわえていた。



 やがて、おじいさんたちが帰ってきたが、お店はもう、閉まっていて、買えなかったらしい。 主は、何故、ミネラルウォータなのかと不思議そうに聞いてくる。 飲み水なら、ここの水道を使えばよい。 全く問題ないといわれた。 なるほど、そうかも知れない。

 レストランでも、必ず注文するのが癖になっていたが、そういえば隣席に普通の水らしいピッチャーが置いてあったのを見て、水を頼んだことがある。 こちらは無料である。 そして、エビアンより、よほど美味かったことを思い出した。 要は、水の良し悪しも場所にもよるということである。



 余談だが、私はエビアンが好きでない。 何か、味がする、ような気がするからだ。 名前も聞いたことがない、もう思い出せないミネラルウォータが気に入っていた。 スーパーで、最も安い部類のものだった。





折り紙にチャレンジ
 家内が、お嬢さんに折鶴を折って見せた。 そして、彼女にも折るように勧めて、お嬢さんを部屋に招きいれた。 最初は、ためらっていたが、主も、やってみろと、娘の背中を押した。 宿の主も、おじいさんも見守る中、彼女は、上手にやり遂げた。 皆さん嬉しそうだった。



 みんなと別れたあと、着替えて庭の散策に出かけることにした。 十分すぎる昼食を摂っていたから、夕食は、スナック菓子や果物や有り合わせのもので済ませるつもりでいる。 ドライブ旅行には必携の品々である。 ただ、ミネラルウォータを切らしていただけである。


 大きな池の周りには、色々な野草の花が咲いていた。 日本で見かけるものもある。 写真を撮っていたら、母屋の窓から顔を出して、先ほどのお嬢さんが手を振ってくれた。 写真に撮っておけばよかった。 残念なことに、彼女の写真がない。


 庭の道は、原野の方に続いているようで、端が見えない。 しばらく進むが道は、やがてトラクタの轍 (わだち) が目立ち始め、歩き難くなってきたので引き返した。 もう、母屋に彼女の姿はなかった。 今、こうして、思い出していると、とても懐かしい思いがする、ドライブ旅行の第一夜であった。






〔Chambres D'Hotes des Aulnaies 泊 2004/04/21〕
 (注) 残念ながら、このホームページは、今は閉鎖になっている。
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