鳥紀行 フランス編 (5)
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cf. 《行程図 フランス編》 参照 今日は、ヴェルサイユへ行った。 ニシコクマルガラス や ハシボソガラス 他、多くの鳥を観た。 もちろん、ホシムクドリ は、ここヴェルサイユにもいた。 ところが、翌日行った、ヴァンセンヌの森 Bois de Vincennes で、何故かせつなく心に残る ホシムクドリ と出逢であった。 § 2004/04/19 (月) パリ 4日目 今日は、ヴェルサイユに行く予定である。 パリ郊外西南に位置するから歩いてはいけない。 それでも鉄道があり、交通には便利なところである。 地域的には、イル・ド・フランス Ile de France (「フランスの島」 という意味) と呼ばれるところであるが、パリ近郊といった方が分かりやすい。 一歩街を出ると、セーヌ川、オワーズ川などに出逢うことから、「フランスの島」 というのなら、パリも含まれるからだ。 § ヴェルサイユ Versailles ホテルのメトロ最寄り駅である ボワシエール Boissiere から、シャルル・ド・ゴール・エトワール Charies de Gaulle-Etiole まで乗る。 二駅目だ。 さらに、ここでメトロを乗り換える。 ここから シャンゼリゼ・クレマンソー Champs Elysees Clemenceau まで乗る。 三駅目だ。 ヴェルサイユの最寄り駅は、ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ Versailles-Rive Gauche という名の駅で、終着駅である。 それでも、違う方面行きの列車も発着するから、乗り間違えないように気を付けなければならない。 ところが、改札口の発着案内にある列車を待っていると、来るには着たが、ホームにあるモニタでは行き先が違うように見えた。 用心して、これは見逃して、次の列車を待つことにした。 ところが、また、同じ現象が起きて訳が分からなくなった。 改札口と、ホームを行ったり来たりしていると、見かねたのか 『ヴェルサイユに行くのか?』 と何処からか若者が現れて声をかけてくれた。 §§ ヴェルサイユ 見てある記 ヴェルサイユ宮殿へは、少し歩かねばならない。 スペインの新婚さんの邪魔はできないので駅で別れて、それぞれに歩き出したが、いつの間にか姿が見えなくなって、それ以後、出逢うことはなかった。 §§§ ヴェルサイユ宮殿に警報がなる
普通なら行列ができていて、嫌でも眼に入るものである。 その行列がない。 とにかく近くの建物の出入り口で聞くが、警備の人のようで、フランス語しか解せぬので要領を得ない。 フランス語を解せぬ私が悪いのに、ついつい、人のせいにする。 それらしきところに小さな張り紙があり、ここからは入れない、と書いてある様子であるから、どこか他に、入り口があると思うだろう。 見ると、奥まったところに、ドアがあった。 窓の外から、中を覗くが人影もない。 確認のために、ドアのノブをガチャガチャさせたら、突然けたたましく、リリリリ ・・・ と警報が鳴り出した。 §§§ プチトランに乗る
観光地で良く見かけるトロッコ列車みたいな、良く似た乗り物が庭園内を巡るというから乗ることにした。 "プチトラン Petit Train" という。 "小さな電車" という意味であろう。 普段は、『あんな子供だましみたいなものに、いい大人がよう乗るわ。 格好悪い』 と思っていたが、格好は言ってられない。 乗り降り自由であるから、なるほど便利がよい。 もちろん、乗り降り自由といっても、何処でもという訳にはにはいかない。 プラットホームがあるわけではないが、然るべき場所があるのだろう、最初の停車場で下りた。 §§§ プチ・トリアノン Petit Trianon
プチトラン が最初に停車したところが、プチ・トリアノンの近くだった。 ここから見る限り、フランスの王宮庭園という感じではない。 どこかの、というか、お伽噺にでてくる小さな村という感じである。 そこから散策路が続いて、そのお伽噺の村に入っていく。 小さな家畜小屋だとか、池や農家があり、実際に、人の営みも感じられる。
宮廷生活の疲れを癒すため、直接、馬で乗り入れたというポーチも見える。 小さくはないが、それでも離宮風ではない田舎屋風の建物で、なるほど、くつろげる雰囲気のものであった。 私たちも、歩きまわって疲れたし、くつろぎたいし、トイレもしたくなった。 ところがまるで休憩できるようなところが見当たらない。 農家に駆け込みたいが人の姿が見えなかった。 丁度、観光客らしからぬ、乳母車を押して散歩している様子のご婦人に出会ったので ・・・ トイレはないかとを聞くが ・・・ 知らないという。 地元の人が知らないようでは仕方がない。 プチトラン の停車場まで戻って、案内所で聞くが、ここにはトイレはないというから驚いた。 次のグラン・トリアノンにあるという。 ここから歩いていけるものではない。 次の プチトラン が来るまで我慢しなければならない。 昔、ベルサイユ宮殿には確かにトイレが無かったらしい。 それは、昔の話だろうと思っていた。 ところが、フランス人のトイレの考え方は昔と変わっていないのではないか。 §§§ グラン・トリアノン Grand Trianon
ルーヴル美術館のガラスのピラミッドの例を出すまでも無く、フランスはデザイン感覚に優れたところがある。 それなのに、『シャンゼリゼの犬の糞とか、このトイレは何だ』 といいたくなる。 もう少しで漏らすところだったので、お門違いかも知れないが、嫌みの一つもでるというものだ。 グラン・トリアノンは、いかにも離宮風である。 高価だというピンクの大理石 (実際には茶色っぽく見える) で出来た大きな回廊からは、広大な庭園が見渡せる。
プチトラン を使って、私たちは、このアポロンの泉と大運河に向かって、右側の一部を観たに過ぎない。 それに、左側を観るには、歩きしかない。 この停車場の近くにはレストランもあったが、私たちは弁当を用意してきたので外で食べた。 RER のアンヴァリッド駅の構内で買ってきたものである。 運河沿いの芝生にには、大きなカラスが沢山いた。 ハシブトガラス はいない筈だから ハシボソガラス だろう。 アヌシーにもいたが、こんなに大きかったかなと思うほどであった。 コクマルガラス も大きな鈴掛けの木 (プラタナス) にいた。 私は、プラタナスの街路樹は嫌いであった。 というのも、漆の木を想像させる、つるりとした木肌で、しかも不恰好な姿に見えたからである。 だから、昔あった 『鈴掛けの道』 という歌も、私には違和感があった。 日本の街路樹はやたらと刈り込まれて、本来の姿とは似ても似つかぬものになっていたのだ。
盆栽はともかく、日本人は木を虐めている、と言われても仕方がない。 役人が公費を使って海外視察によく行くが、何を見てきたのか。 日本が一番元気な頃に、景観のことに投資をしておかないと、これからは、益々、投資できなくなることは目に見えている。 くもの巣状の電線と電信柱の林立が、子孫に残してよい遺産である筈がない。 昼食後、喫茶店で一息入れ、未だ見ぬ庭園の左側の迷路に突入した。 まさに迷路である。 鳥を観て、草花を観て、勘を頼りに歩き回ったが、それは庭園のほんの一部に過ぎなかったであろう。 それでも、パリに帰り着いたときには日が暮れていた。
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