鳥紀行 スペイン編 (4-6)
スペイン (Spain) へ
バンコク (タイ) からマドリッドに向かうが、これもダイレクトには飛ばないところがいい。 嬉しいことにローマに一旦立ち寄るではないか。 ここで、飛行機を乗り継ぐことになる。 ローマにも、もう一度寄りたいが、ものには順番がある。 先ずは、スペインへ行こう。
§ ローマでの乗継へ
バンコク Bangkok をタイ航空 (TG942 2005/04/16 00:05) で発って、スペインの首都、マドリッド Madrid (2005/04/16
10:10) に定刻に到着した。
日本とスペインの時差は7時間(サマータイム時季)、それに、日本とタイの時差は、マイナス2時間であるから、タイとスペインの時差は5時間となる。 従って、15時間05分の空の旅であった。 この中には、ローマでの乗継時間(約40分)が含まれている。
サマータイム
スペインのサマータイムは、3月の最終日曜から10月の最終土曜日までで、この期間、1時間時計を進める。 明るい時間が、1時間長くなる感じかな。 その分、電灯もつけなくてよいから、省エネにもなる。
私が子供の頃、日本でもサマータイム制が導入されたことがあったが、定着しなかった。 |
日によって、ダイレクト便もあるようだが、この、TG942便は、ローマでワンストップ one stop するものだった。 ローマ空港に到着すると、全員降ろされる。 ここで降りる人 (ローマ入国する人) も、もちろんいる。 そうでない人も、手荷物は機内に残して、一旦機外にでる。
みんなについて歩いていくと、女性係員の人が、一人立っていて、何やら案内している様子である。 乗継客か、入国客か聞いているようであった。
そして乗継客に対して、乗継客と書いたものを手渡していた。 これは、申し出ないとくれないから、貰い損ねた人もいるに違いない。
その場合、どういう運命が待っているのか知りたいものであるが、私は貰えるものは貰う、という性質だから、知る由もない。
乗継客は、通路を、「トランジット transit」 の標識に従って、歩いていく。 それが、えらく歩き回された挙句、結局、先ほどの飛行機の登場口に誘導される仕組みだ。 飛行機は動かないで、ただ、そこで待っているだけだから、当然そうなる。 ここには、新しく搭乗する客も、待っている筈だ。
この歩き回されている間に、乗務員は総入れ替えしたり、機内の清掃をするのだろう。 結局、元いた場所の近くに来るのであれば、何も、大げさに歩き回さなくても、と思うかも知れないが、色々事情があるようだ。
ローマに入国する人もいるのであるから、飛行機は到着ターミナル側に着いている筈である。 荷物の受け渡しや入国検査も必要だから、それらの設備があるのが到着ターミナルだからである。
また、ローマから乗ってくる人もいるだろうから、出発ターミナルとも繋がっていなければならない。 主な設備としては、出国審査とセキュリティー検査であろう。
そして、乗継客に対しては、本来、何もすることはないはずであるが、近年、セキュリティ検査が実施されるようになった。 一昔、ヨーロッパ便は、アンカレッジ経由で、必ずここで、乗り継ぐが、簡単なものだった。
お陰さまで、乗継客は、到着ターミナルから、一旦、出発ターミナルまで行って、セキュリティ検査をして、また、到着ターミナルまで戻ってくるという、大移動が課せられることになる。
この、大移動ができるのも、連絡路等の設備があるからできることである。 というのも、インドのボンベイ (現ムンバイ 1995年改称) で経験したが、機外へ出させて貰えなかった。 ここで降りる人や乗ってくる人だけが出入りを許される。
超満員の、その混雑の中で、更にまた、清掃する人たちが乗り込んできて作業を始めるから、日本人なら怒り出す人も出るだろう。 歩くことは無かったが、これは、これで大変であった。
降りる客、新しく乗ってくる客、乗り継ぐ客、搭乗乗務員の交代、清掃作業者の出入り等、これらをセキュリティを考慮に入れて、短時間に処理しなければならない。 小さな空港では出来ない。 各通路の分離、侵入防止策など、それなりの施設が必要であろうから、そう簡単な事ではない。 まだまだ、完璧な空港はないとも言えるだろう。
§ マドリッド (Madrid) 到着
マドリッドに近付くと、眼下にいろんな色の土の耕作地が現れた。 土の色だから、もちろん、青や緑ではない。 それが日本で見る、黒や赤土のようでもない。 赤土をもう少し濃くした色や紫に近いものまで、それが市松模様のように広がって、それはそれで、美しいともいえるものであった。
そして、この大きな飛行機が、ことりとも、音を立てないで、氷の上を滑るように着陸した。 これまでに経験したことがない、見事な着地振りであった。 最近は、自動化が進んだのであろうか、昔は、どすん、と落ちるような着地が結構あったものであるが、それが、少なくなってきたとは感じていた。 それにしても、バンコクに着陸した時も、うまいと感じたが、総じて、タイ航空のパイロットの操縦技術は立派なものであると、ここに、紹介して置きたい。
スペインの首都 マドリッド Madrid
マドリッドは、ヨーロッパで一番高いところにある首都だそうである。 海抜 657m で、スイスの首都 ベルンより高いところにある。 それに内陸の高原地帯であるから、夏は
45℃ 以上はざらで、猛烈に暑い。 ただ、湿度が低いから、日本のように不快ではなく、木陰に入れば、むしろ気持ちがよい。
マドリッドは水に恵まれた土地で、水道の水もそのまま飲める。 水の湧くところ、水源地という意のラテン語 マトリス Madriz がその語源という。 |
文春文庫 中丸明著 「スペイン五つの旅」 から引用
ここ、マドリッド・バラハス空港 (Aeropuerto de Barajas) は、嬉しいことに、タラップで、地上に降り立つものであった。 これは、本来、喜ぶべきものではないのかも知れない。 関空でもそうであったが、タイ航空のような、弱小航空会社は、一番遠い、隅っこに、その席を置かれている。 このマドリッド空港でも、連絡通路を持たないような場所にしか、席が与えられていないのかも知れない。
それでも、私は、このタラップを降りる気分が好きである。 大きなエンジンが、まだ回転している。 その傍に降り立つのである。 それこそ飛行機好きにはたまらない。 送迎バスが来るまで、今、苦楽を共にしてきた、美しい巨体の傍らに立っていられるから、思えば感慨深いものがある。
確かに、雨風があれば、口で言うほど楽ではないだろう。 だからこそ、連絡通路に接岸する方式が考え出されたのであろう。 それでも、もし、選べるものなら、私は、タラップで地上に降り立ちたい。 まさに、降り立つという感覚である。 また、迎えのバスが来れば、我先に飛び乗っていく人が多い。 何をそんなに急ぐ必要があるのだろうか。 昔の私も、そうだったのだろうか。 今の私は、もっともっと、傍に居たいのに。
cf. 《マドリッド》 スペイン政府観光局
§§ 送迎バスが来ない
空港 には、ホテルの送迎バスが待っている筈である。 わざわざ、送迎バスのあるホテルを選んで予約していたからだ。
それらしきバスが並んでいたから、ホテルの予約表を見せて、聞いて回るが、どれも違うという。 三々五々、旅行客が来ては、皆、それぞれの送迎バスに乗り込んでは、消えていった。
そんな中に運ちゃんがいないバスがあった。 空港のカートを、バスの利用客が放置していくのを片付けていた、おじさんがいたから聞いてみた。 スペイン語しか話さない人だったが、私たちの格好を見て、送迎バスを待っていることが直ぐ分かったらしい。
コーヒーカップであろう、ぐいと飲み干す格好をして、空港内を指差した。 まさか、酒ではないだろう、休憩にいったらしい。 まあ、それぐらいは、何処の国でも同じだ。 ところが、30分たっても戻ってこない。
たまらず、また、先ほどのおじさんを捉まえて、このバスかな? と聞くと、そうだという。 また、30分ほど待っていると、運ちゃんが帰ってきた。 私がここに来たときも、運ちゃんも何も、乗ってはいなかったから、ずいぶん長い休憩もあるものだ。 それに、飛行機の発着時間ぐらいは、知っているだろうに。
早速、予約表を見せて、乗ろうとしたら、何と、このバスではないといって、また、空の車と共に姿を消した。 途方にくれて、タクシーで行こうと場所を離れかけると、先ほどのおじさんが、私たちを制止して、もったいないから、もう少しここで待てという。
送迎バスの発着場所は、ここに間違いないからという。 お前たちも、喫茶店にでも行って、待っていろという。 何故か、この日は、寒かったし、出来れば、そうしたいが、それでは、バスが来ても分からないではないか。
確かに、色々な、送迎バスが、何台か来た。 それでも、目指すホテルのものはない。 それらのバスの運ちゃんに聞いても要領を得ない。 もう、やめたと、移動し始めたら、先ほどのおじさんが、目敏く、私たちを見つけて、また、タクシーは高いから、ここで待っていなさいという。
いくらご親切とは言え、何時に来るかも分からないバスを、いつまでも待ち続ける分けにはいかない、と思っているところへ、見たことのあるバスが帰って来た。
運ちゃんが降りてきて、何やら張り紙をバスの横に張り出した。 先ほど、私の問いかけに、このバスには乗せられない、と答えた運ちゃんだった。 張り紙には、私たちのホテルの名前も書いてあった。 既に、バスには、若い男性の旅行客が数人乗っていた。
訳が分からないまま乗り込んだ。 運ちゃんも悪ぶった様子もない。 要するに、ホテルの送迎バスといっても、日本のように、旅館専属のバスではないようだ。 私が、ホテルに電話連絡して、到着したことを告げて初めて、バスが決まるのであろうことが想像できた。 私は電話することなど、そのとき、考えてもいなかった。
この運ちゃんが、ホテルから連絡を受けて、お客を拾いに行ったら、たまたま、私のホテルと同じ客であったことを思い出してくれたのであろうか。 そして、気を利かして、ここに立ち寄ってくれたのであろうか。 また、ホテルに確認してくれたのかも知れない。 運ちゃんが、休憩しているというのも、連絡待ちをしていたのであろう。
【イエスズメ Spain】
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イエスズメ ♀
マドリッド スペイン
Photo by Kohyuh 2005/04/16 |
この顛末の間、写真のイエスズメが、ずっと、お付き合いしてくれた。 もちろん、雄もいた。 日本の スズメ とは、姿かたちが違うが、普通の人は気がつかないだろう。 また、逢えて嬉しい。 スペインであろうが、フランスであろうが、イエスズメは、イエスズメであり、同じ種である。
私には、スペイン人もフランス人も、違いが良く分からないが、彼等からすれば、直ぐ分かるという。 反対に、日本人と中国人や韓国人との違いが分からないらしい。 それと同じように、イエスズメから見れば、フランスとスペインでは、イエスズメといっても、違いがあっても不思議ではない。
空港周辺は緑が少ない、コンクリートの広場ではあるが、食べものには困らないかも知れない。 家内も、機内食の食べ残しをどっさり持ってきていた。 あいにく、荷造りをし直して、今は取り出せないところにある。 考えてみれば、いつも、肝心なときに、肝心なものがない。 チャンスとは、そんなものだ。 カメラを忘れた時に、思わぬ鳥が現れる。
それでも、もし、このイエスズメがいなかったら、この "送迎バス付き" という宣伝文句のからくりのことも、知ることなく、タクシーでホテルに向かっていたであろう。 お前達がいてくれたから、新しい発見が出来た。 スムースにことが運ぶだけが、良い旅とは言えないだろう。
親切にも、何かと気遣いしてくれた、あのおじさんに、別れ際、家内がランのコサージュを手渡したら、たいそう喜んでくれた。 タイ航空で貰ったものだった。 タイ航空では、目的地に到着する時には、必ず、女性客に、このコサージュを配っているようである。
そして、バスが走り出すと、あの、おじさんが、私たちに手を振ってくれていた。 ひょっとしたら、運ちゃんとも顔見知りかも知れない。 私たちに一役買ってくれたのかも知れない。 もし、帰りに、このおじさんと、再び、出逢えることができたら、何かプレゼントしたいと、本当にそう思った。
§§ 運ちゃんの奮闘ぶり
マドリッド市内までは問題なく来たが、ホテルに横付けしたいのであろう、路地を曲がったところが工事中で、前に進めない。 後にも、車の列が出来てきた。 交通巡査もいたが、工事中ではどうしようもない。
しばらく待ったが、運ちゃんは、警官に細い路地を指差して、この道の先はどのようになっているのか、窓から頸を出して尋ねていた。 どうやら行けそうだということで、細い路地をさらに曲がって入っていった。 後続の車もついてくるから、このまま、前に進むしかない。
道路には、物が置いてあったり、車も置いてある。 大声を上げて、移動させたり、車から降りて、確認したり、それこそ、手のひら一枚の、すれすれのところが何箇所もあった。 運ちゃんの緊張感が我々にも伝わってくる。 それでも、道行く人の応援も得たりして、何とかすり抜けた。 応援の人も偉かった。 すり抜けるまで、何かと世話を焼いていた。
やっとの思いでホテルに着くと、みんなの荷物を玄関まで運んでくれた。 空港で待っていたときに受けた印象とはまるで異なり、健気な奮闘振りであった。 それに送迎バスらしく無料であった。 若者たちは、そのまま入っていったが、私は、荷物分のチップを払わずにはいられなかった。
私は、帰りにも送迎バスを利用したが、来るときが無料だったから、当然、タダと思っていた。 ところが、有料であった。 バスも、運ちゃんも、違っていた。 有料とは、想定外のことであった。
夕食時、このホテルを良く利用しているという日本人に出会い、話を聞くと明日、帰国するという。 既に、バスの切符も購入済みで、明日の朝、バスがこのホテルに迎えに来るという。
家内が、『それは残念ね。 このホテルには送迎バスがあるのに』 というと、怪訝な顔をしていた。
なるほど、翌朝、ホテルの玄関で、皆さん、バス待ちをしていた。 これが、ここでいうところの、送迎バスであることに、そのときは、まだ、気がついていなかった。
思えば、こういう方式は、珍しいものではない。 上客には、無料のチケットを渡してくれるところもあるが、まあ、普通の人には、有料であろう。 私の経験では、これらのバスは、たいてい、大型のリムジンバスである。 ホテルを巡回して、客を拾い集め、空港を往復している。
今回の送迎バスは、そんな立派なものではない。 日本の旅館で使うものと変わらない。 それに、日本で予約する際に、送迎バスがあると言われれば、黙っていてもバスが待っていてくれると思うだろう。 また、無料であるとも思うだろう。
それにしても、来るときが無料というのは、どういうことだろうか。 このことについて、聞いておけば良かった。
アロサ Arosa
【H】 4★
【住】 Salud 21, Madrid
【TEL】 91-5321600
【FAX】 91-5313127
E-mail : arosa@hotelarosa.com |
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§§ マドリッド 見てある記 (1)
この日は、午後3時頃までホテルで休憩した後、早速、街に出かけた。 ゆっくり休んでられない。 ホテルを出ると、直ぐ目の前が、グラン・ビア Gran
Via、 スペイン語で、大通り、という意味である。 その名のとおり、マドリッドの目抜き通りである。 メトロ (Metro 地下鉄)の Gran
Via 駅も近いから、ホテルの立地条件は申し分ない。
そして、今日は、グラン・ビア散策、AVIS営業所の場所確認、スペイン広場、王宮、市役所、マヨ-ル広場、プエルタ・デル・ソルを回るつもりでいる。
§§§ レンタカー営業所直ぐ見つかる
レンタカーを利用する場合の鉄則は、事前に営業所を下見しておくことである。 住所が分かっていても、以外なところに営業所がある場合があり、当日に行けばよいと思っていると、きっと、後で慌てることになる。 地下街にあったこともある。 ある筈の番地が、地元の人に聞いても分からない、その番地が抜けていたのである。 同じ住所であるのに、表通りには看板がなくて、裏通りにあったことある。
近所の人は、意外に、レンタカー会社のことは知らないものだ。 普段、利用しないものを知っている方が、少ないだろう。 住所を頼りに、聞けば何とかなると思っていると、当てが外れる。
今回は、初めて エイビス AVIS を利用することにした。 スペインでは、一週間ずつ、3回に分けて借りることにしたから、一週間の利用料金が安い方、という選択の仕方である。 大した金額差がある訳でもないので、また、違った会社のものも使ってみようということもあった。 これまでは、ハーツ
Hertz ばかり、利用していたからである。 それと、最低ランクの車にも、エアコンがついているとの明示があった。 スペインの暑さは、世に響いている。
申し込みは、日本で済ませてきた。 その方が割安になる。 マドリッド営業所の住所は、グラン・ビアとなっていたから、ホテルの近くにある筈である。 もちろん、AVIS ともなれば、マドリッドといえども、営業所は、何ヶ所もあるから、ホテルに近いところを選んでおいたことは、いうまでもない。
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グランビア通り Madrid, Spain 2005/04/16 Photo by Kohyuh |
グランビア通りは、ニューヨークのブロードウエイを真似て作ったらしく、例のソニーの広告塔がある三叉路、とそっくりのところがあるらしい。
というので、それに向かって歩いていると AVIS の看板が見つかった。 これまで、こんなに簡単に見つかった例はない。
車庫はどうやら地下にあるらしい。 車庫が地下にある場合、出口と入口が異なる場合があるから、確かめておく必要がある。
借り出した後、どの道を通って、目的地に向かうか、その第一歩が肝心であるからである。 出口が想定外のところであれば、たちまち途方にくれることになるであろう。
また、地図だけで確認していると、一方通行になっていて、車庫を出たとたん、思うところに行けなくなった、ということもあった。
出口の交差点や信号機の具合や車の流れ・通行量を確認しておくと、ずいぶん気持ちが楽になる。 事前の現地調査が肝要である。
もちろん、チェックアウト(車庫出し)のときに、係員に聞くのは当然であるが、いい加減なことをいう人もいるから気を付けなければならない。 一方通行で、指示通りに進めないことがあった。
§§§ スペイン広場 Plazade Espana から王宮 Palacio Real へ
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スペイン広場 Madrid, Spain 2005/04/16 Photo by Kohyuh |
グラン・ビアを西に進路をとり、例のブロードウェイを通り越して北西に進んでいくと、スペイン広場に辿り着く。
ドン・キホーテの作者、セルバンテスの石像の前に、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像があり、観光客が記念写真を撮っていた。
スペイン広場から、南西に進路をとると、この辺りから王宮にかけて、視野が、ぐっと開けてくる。
また、巨大なスペイン国旗を掲げた立派な建物があり、見ると上院 Senado と書いてあった。
ここから、広い道路は、更に、南に曲がっていて、王宮のそれらしき建物が見えてくる。
スペインの国旗
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スペインの国旗
上院 マドリッド
2005/04/17
Photo by Kohyuh
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【スペインの国旗】 : 「血と金の旗」と呼ばれている
《赤》 勇気の象徴
《黄》 豊かな国土の象徴
写真のように、紋章を配したものは、公用のもので、
民間では紋章のないものを使用する |
王宮 Palacio Real は、丁度、閉門時間ということで入れなかった。 フェンス越しに、広い石畳の庭と、その向こうに、広大な庭園が、丁度、王宮から見下ろせるような形で、拡がっているのが分かる。 バードウォッチングにいいかも知れない。
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王宮 Palacio Real Madrid, Spain 2005/04/16 Photo by Kohyuh
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この王宮は後日 (4/19) 、また、訪れることにして、丁度、庭を挟んで王宮と対面するような形で、また、王宮の付属の建物の様に、アルムデーナ大聖堂 Catedral de Ntra. Sra. de la Almudena がある。
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アルムデーナ大聖堂 Catedral de Ntra. Sra. de la Almudena
Madrid, Spain 2005/04/16 Photo by Kohyuh
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どこの教会でも、普通、立ち入りが自由のようである。 来るものを拒まない姿勢が窺える。 この格式が高そうな大聖堂でも、自由に中に入ることができた。
印象深いのは、特に、天井の細工が、モザイクであろうか、明るい暖色系の刺繍を施したような、織物のような柄で覆われていた。 珍しいと思うが、ガイドブックには、そのことに触れていないから、何ともいえない。
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アルムデーナ大聖堂の天井の細工 Madrid, Spain 2005/04/16 Photo by Kohyuh
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古き良き時代からの町並みがあるという、マイヨール通り Calle Mayor を探して、適当に、東に進路をとり、先に進むが、少々くたびれてきた。 それでも、この道で良かったのであろう、人通りが多い方へと歩いていくと、自然に市役所 Ayuntamiento に出た。
この市役所の前の広場が、ビリヤ広場 Plaza de la Villa であるらしく、市庁舎には、2012年のオリンピックをマドリッドに招致する赤い垂れ幕が提げられていた。 (その後、最終的には、ロンドンに決まった)
マドリッドの市役所にしては、小じんまりとしている。 日本の区役所の方が大きいかも知れない。 マドリッド自治政府庁というのも近くにあるので、こちらの方が格上になるのだろうか。
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マドリッドの市役所 Madrid, Spain 2005/04/16 Photo by Kohyuh
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マヨール広場は、大きな建物で囲まれ、大勢の人が繰り出し、大道芸を取り囲み、カフェ・テラスで休むといった、いかにもヨーロッパの広場らしい風情であった。 丁度、フラメンコの衣装を着けた可愛い少女が、踊っていた。 黒山の人だかりであった。
マヨール広場 Plaza Mayor を経て、プエルタ・デル・ソル Puerta der Sol (太陽の門) に着いたときには、もう、へとへと状態であった。 それでも、ホテルは、ここから近いというから、メトロがあるのに、歩いて帰った。 誰にでもできるという根生ではなかろう。
そして、プエルタ・デル・ソルは、その後、何度も訪れることになるが、それこそ銀座並の混雑振りである。 マヨール広場のようなものではなく、渋谷を、もっと広くした感じであろうか、10本の道路がここから放射状に広がるという、交差点でもあるから、ゆっくり落ち着くところではない。
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熊とヤマモモの木
プエルタ・デル・ソル
2005/04/16
Photo by Kohyuh |
《熊とヤマモモの木》
マドリッドのシンボルといわれる、「熊とヤマモモの木」 のブロンズ像も、写真に撮れたものか。 忠犬ハチ公なみの待ち合わせ場所となっていた。 ここから一歩中に入れば、マドリッド一番の繁華街だ、黙って通り過ぎるには、相当の根性が要るに違いない。
《参考》
マドリード市の紋章は、ヤマモモの実を食べようと、木に攀じ登ろうとする熊ですが、どうゆう謂れがあるのか、私は知らない。 熊などはいそうにないが、ヤマモモの木は、この近くのホテルにもあるとのこと。
マドリッドの風景 (スライドショウ )
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§§ マドリッド 見てある記 (2)
今日は、美術館巡りである。 スペインの美術館といえば、プラド美術館であろう。 日曜日でもあるし、混雑を避けて朝一を狙った。 8時には、ホテルを出た。 もちろん、歩いていく。
§§§ 交差点の下調べ
メトロもあるのに、そこまで節約しなくても、と思うかも知れないが、そうではない。 いづれ、この道を車で走らなければならない。 近々 (4/20)、マドリッドから、アランフェス方面へドライブ旅行に出発するからである。
とにかく、大都会を、いかにスムースに、安全に、抜け出すかが問題になる。 できるだけ、交差点などの交通状況を事前確認して置くことが、海外ドライブ旅行で重要である。 一旦郊外に出れば、車の運転は、日本よりずっと楽になるからだ。
グラン・ビアを東に進むと、アルカラ通りと合流する。 そして、グラン・ビアは、ここで、終わる。 アランフェス方面は、この交差点から、アルカラ通り Calle de Alcala を直進するが、特に問題になるような所は、なさそうであった。 ただ、この道は広くて、片側4車線になり、スペイン銀行の前を通り過ぎて、シーベレス広場 Plaza de Cibeles の交差点に出る。 どの車線を走るかが重要なポイントになりそうだった。
この道は、大回りになるが、まず、幹線道路である環状道路に出るのが、安全で、紛れがない、と計画段階から考えていたからである。 後日、AVIS で教えて貰った道を行くことになるが、当然、未だ知らない。
それに、信号機のある変則的なロータリーになっている。 本来なら、ここに、しばらく留まり、車の流れ、信号機の具合、車線の確認をするところであるが、今日は、プラド美術館が優先だ。 また、後日、確認に来よう。 進路を南にとる。
§§§ カササギ
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カササギ
レティーロ公園
マドリッド スペイン
Photo by Kohyuh 2005/04/19 |
広い緑地のある綺麗な舗道が、プラド美術館の方へ続いていた。 10名ほどの東洋人の若者が、我々と同じ道を行くのに出逢う。
楽しそうだ。 また、先生らしき女性が、10名ほどの生徒を連れて、建物の前に、立ち止まっては、説明しながら先を行くし、私たちは、鳥を見ながら行くものだから、追いつ追われつになるが、しかし、ゆっくりとしたペースで歩く。
カササギがいた。 もう、昨年のフランス旅行以来の顔なじみである。 もちろん、個体識別をしている分けではない、そんな気がするだけである。 だから、驚きはないが、顔なじみの鳥に出逢えるのも、また、嬉しいものである。 人でも、鳥でも、顔なじみとは、そんなものだ。
cf. 《フランスのカササギ》
ここいたカササギは、木の中にいて、映りが悪い。 翌々日に撮った、レティーロ公園のものを紹介する。
§§§ プラド美術館 Museo del Prado
プラド美術館に辿り着いた時は、まだ、開館前のようで、長い行列ができていた。 行列していると、列の前の方で係員の人が何やら配っていた。 その順番が来て、貰ってみると、どうやら入場券らしきものであった。 そういえば 『日曜日は入場が無料になるとか何とか聞いたことがある』 と家内が言う。 日本では考えられない。
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プラド美術館
マドリッド スペイン
Photo by Kohyuh 2005/04/17
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ここのセキュリティー検査も厳格なものであった。 飛行場のそれと何ら変わらない。 荷物のレントゲン検査と、人間用の金属探知ゲートをくぐらなければならない。 それを無事、通過して、やっと入り口ゲートに進むことができるというものだ。
そして、今日は、入場無料の筈であるから、入り口ゲートを黙って通ろうとすると、係員がチケットを見せろというから訳が分からない。 直ぐ気がついたが、要するに、事前に、無料チケットを配る人が、追加されただけで、その後の、入場管理のシステムは、普段どおりであるようだ。
私の発想なら、無料の日は、要らぬものを削減していくだろう。 だいたい、チケットは要らないだろう。 そうすれば、無料チケットを配る人も、わざわざ雇いれることもない。 ところが、それでは、入場者数の把握ができないことになる。
また、日によって、運用方法を変えるというのは、係員のミスを誘発する可能性もある。 大事な世界的な宝物である。 何のために金属探知機まで使っているのか考えると、私の案は、猿の浅知恵というものであろう、脱帽であった。
美術館は、全て観るのは無理がある、私のお目当ては、ベラスケスの 「ラス・メニーナス」 と、「王女マルガリータ」、フラ・アンジェリコの 「受胎告知」、 ゴヤの 「裸のマハ」 と 「着衣のマハ」 ぐらいである。 あとは、おまけと言うもの。
それにしても、見覚えのあるものが沢山あった。 混雑はしていたが、日本のように、腹立たしくなるほどのものではない。 私たちがプラド美術館を出たときは、更に沢山の人たちが、行列していた。
§§§ ソフィア王妃芸術センタ Centro de Arte Reina Sofia
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ソフィア王妃芸術センタ
マドリッド
スペイン
Photo by Kohyuh
2005/04/17 |
ソフィア王妃芸術センタは、プラド美術館からも近い。 テロによる通勤電車爆破事件があった、アトーチャ駅のすぐ近くにある、現代美術を集めた美術館で有名である。
何れにしても、このアトーチャ駅 Estacion de Atocha は見ておきたかったから都合が良い。
事件があったからではない。 旅の最後に、スペインの新幹線AVE で、マドリッドに戻る予定である。
それと、ガイドブックに載っていた、植物園なみの温室になっているというアトーチャ駅の待合室がどんなものか、見たかったからである。
新幹線は、見えるところまで行けなかった。 切符が無ければ近寄れない。
仕方なく、待合室の方へ行ったが、これは前代未聞のものであった。 あの、フランスの オルセー美術館 ほどの大きさの駅舎が温室代わりに作られていて、熱帯植物が植え込まれ、散策路が設けられている。 何しろ、天井が高いから、大きな椰子の木様のものでも、余裕がある。
しかし、丁度、散水の時間だったのであろう、あちこちから、霧が噴出しており、歩けたものではなかった。 暑いし、湿っぽい。 冬場なら、きっと、気持ちの良い空間に違いない。
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アトーチャ駅の待合室
Madrid, Spain 2005/04/17 Photo by Kohyuh |
私は、現代美術は、苦手ではあるが、ピカソとダリやミロは別格だ。 ミロは、まあ、子供の絵や彫像と思えば、腹は立たないし、無邪気なもので、羨ましいほどである。 一方、ピカソとダリは天才と思う。 無邪気なだけの子供では、絶対に描けない世界のものである。
《ゲルニカ》
ここに、ピカソの 「ゲルニカ」 があると聞いていたから来た。 ピカソの製作意図や思いは、テレビでも、本でも見て、よく知っている。 訳の分からないようなものに思うが、それでも、習作を繰り返しているところを見れば、苦心の跡がうかがえるし、解説を聞けば、なるほどとも、うなずける。
その外に、観るものがあるとすれば、おまけであるが、印象に残っていないから、無かったのであろう。 これは、あくまで、私の印象であって、もちろん、参考にはならないし、むしろ、しない方が賢明であろう。
§§§ ティッセン・ボルネミッサ美術館 Museo de Thyssen Bornemisza
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ティッセン・ボルネミッサ美術館
Madrid, Spain 2005/04/17 Photo by Kohyuh |
この美術館が、プラド美術館の対面にあるということで、引き返してきた。 例によって、何が見たいからという前知識は持っていない。
この美術館を観て、感動したという人も沢山いるというのに、私は、残念ながら、観た絵の記憶は皆無である。
ところが、この前庭にいた、クロウタドリ と カササギ のことは、良く覚えているし、写真もある。
美術を鑑賞した後の人たちが、小さな前庭のベンチに腰掛けたりして、その余韻に浸っている前を、カメラを提げて、鳥を追い回していたものだから、馬鹿にされたかも知れない。
それも、珍しくもない、絵にもならない、クロウタドリやカササギであるから、尚更である。
私は常々、海外に出たら、日本を代表して来ているんだ、という気持ちで、向こうの人たちと接触するように心がけているつもりである。 日本人の品位を汚したくはない、と思っている。 ところが、鳥を見つけるとなると、ついついボロが出てしまう。
§§§ プリンシペ・ピオ駅 Estacion de Principe Pio
明日 (4/18) は、セゴビアへ日帰り旅行をする予定であるから、そのバスターミナルの下見に行くことにした。 下見は、私の流儀である。 パック旅行であれば、このような手間は要らないであろう。
セゴビア行きの La Sepulvedana 社のバスターミナルは、プリンシペ・ピオ駅の近くにある。 ガイドブックの地図を見れば、なんでもない、直ぐ見つかると思った。 駅の裏側の通りにあるはずなので歩くが見つからない。 見渡しても、だいたい、大型バスが出入りできるようなところがない。
地図を見ると、もう一本並行に道があるが、その道に出るには長い階段を下りていかなければならない。 ここは、高台になっているようだ。 下町の人通りも少ない道であるから、不安がよぎる。 それでも、背に腹は変えられない。 下の道を、地図にあるバスターミナルの場所を目指すが、見つからない。 道幅は広いから、先が見通せるが、建物が連なるばかりで、バスが出入りしそうに見えないし、人通りがないし、家内も不安げな顔をするし、仕方なく、もと来た道を引き返した。
後で考えれば、もう、十メートルほど、先に進んでいれば気がついたであろう。 そこに、バスの出入り口があった。 それは、バスの発着場の出入り口であって、正式な入り口ではない。 切符売り場とか待合室は、やはり高台の方から入るものであった。
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プリンシペ・ピオ駅構内のショッピングセンタ
マドリッド スペイン
Photo by Kohyuh 2005/04/17 |
私は、何しろ、バスターミナルというから、男山車庫ぐらいはあると思っていたから、見つからなかったのだろう。 地下駐車場の出入り口と思っていたところが、バスターミナルの入り口であった。
この階からも、バスが発着するのかも知れないが、狭い階段を下に降りると、切符売り場があった。 待合室は、更に、この階下にある。 更に、その下がバスの出入り口というように、三層か四層の構造になっていた。 最下層の、バスの発着場に下りてみると、大きくはないが、それでも、大型バスが、2列縦列駐車で、6台位は駐車できるかも知れない。
バスの時刻表をくれというと、探し回って、直ぐには出てこない。 それでも、まあ、出てくるだけましである。 時刻表を見て計画を立てるようなスペイン人は、滅多にいないということだろう。
《トーマスクック ヨーロッパ鉄道時刻表》
イタリアの国鉄は、立派な案内所があって、係員もわんさといるが、出発日時と行き先を告げなければ、情報が得られない。 後に人が並んでいるのに、あれもこれもと聞けない。
自分で色々と調べるから、時刻表が必要なのである。 時刻表をくれといってもないというから、そこの柱に貼ってある時刻表だ、と指差すが、ないという。 どこに売っているのかと聞けば、前のキオスクに売っているという。 ところが、キオスクに行っても、売っていないというのは、何べんも試して知っているのに、同じことをいう。
トーマスクック ヨーロッパ鉄道時刻表を探していたから、本屋さんからキオスクまで、あらゆる手を尽くして探したが、無かった。 それが、係員の手元をみると、そのトーマスクックが置いてある。 それだよそれ、と指差すが、キオスクにあるというから、もう、付き合ってられない。 諦めるしかなかった。 時刻表を置いておけば、彼らの職を奪うことは、間違いないだろう。
実際のところ、イタリアは例外的な存在かも知れない。 フランスでは、路線ごとに小冊子にまとめた時刻表が、棚に並べて置いてあり、自由に持って行ってよいようになっていた。
こういうことがあるから、下調べが肝要というものである。 これが当日のことであれば、慌てるだろう。
プリンシペ・ピオ駅の構内には、ショッピングセンタのような施設があった。 マクドなどのファーストフード店も沢山あり、若者たち、家族連れ、などで賑わっていた。 このあたりでは、かけがえのない、繁華街といった感じである。
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§ セゴビア Segovia
昨日、セゴビア行きのバスターミナルの下見をしていたし、乗車券も買っていたから余裕である。 ところが、残念ながら、雨模様だ。 スペインは暑いと思っていたが、マドリッド到着以来、天気が良くなくて、未だ、肌寒い。 だから、外出時には、必ず、薄手のコートを着て出かけていた。
今日は、それに加えて、傘を持てば万全である。 それでも、傘を使うことはないだろうと思っていた。 こちらの雨は、土砂降りということは、先ずないし、一日中降るということもない。 と思っていた。
ところが、バスがセゴビアに着く頃から雨が降り出した。 さらに、セゴビアに着いたときには、土砂降りの雨に変わったから驚いた。 こんな雨は、ヨーロッパでは滅多にない。 これでは歩けないと思って、しばらく様子を見たが、変化の兆しもない。 殺風景なバスターミナルで待つのも面白くないので、喫茶店にでも入って雨宿りをしようと思って傘をさして歩き出した。
その喫茶店が、満員で、入ろうにも入れない。 私たちと同じ考えの観光客が多いということになる。 仕方なく次を探して行くが、状況は同じで、終に、水道橋に着いてしまった。 ここは、世界遺産であるだけに、立派な
インフォメーションセンタ がある。 ここで、しばらく雨宿りすることにした。 市内地図など入手するのがお約束である。
世界遺産の名前 |
地区 |
種別 |
登録年 |
セゴビア旧市街とローマ水道 |
セゴビア スペイン |
文化遺産 |
1985年 |
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(注) 文化遺産は、普遍的な価値のある記念工作物、建造物、遺跡など。
cf. 《セゴビア》 by Wikipedia
§§ セゴビア見てある記
雨模様が影響したのか、観光客は少なかった。 しばらく休んでいると、小降りになり、終に晴れ間も見え出して来た。 何のことはない、一番雨のひどい時を選んで、ここに来たことになる。
《コウノトリが飛ぶ街セゴビア》
セゴビアで、コウノトリが一羽、飛んでいるのを観た。 スペインでは、初めてである。 昨年、フランスのカマルグで、巣の上にいた親子を観ただけである。
このときは、未だコウノトリとは思っていなかった。 ツルのような大型の鳥が、羽ばたくこともなく、風に流されるように、悠然と飛んでいた。 カメラを構えるが、旧市街の家並みの屋根に遮られて、直ぐに姿を消した。 それが、忘れた頃に、再び姿を現しては、また、消え去るから、かなり広い範囲を周回しているのだろう。 そして、この先、きっと、また逢えるだろうという予感がした。 実際に、その後、アビラで、予想を超えるコウノトリの姿を観ることになる。
cf. フランスのコウノトリ (シュバシコウ)
§§§ ローマ水道橋 Aqueducto Romano
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ローマ水道橋 セゴビア スペイン Photo by Kohyuh 2005/04/18
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セゴビアに来たのは、このローマ水道橋を見たかったからである。 世界遺産にもなっている。
水道橋は色々見てきたが、まるで城門のようにして街中にあるのは珍しい。
遠くから見れば、均整が取れた、堅固な構造物に見えた。
実際にも堅固なものであろうが、近付くと、風化のためか石の角が無くなっていて、丸っぽくさえ見える。
これで大丈夫かなと思うほど、単純に、積み木を積むように石を積んでいるだけだ。 接着剤とか、それぞれの石を繋ぐ構造をとるといったこともなく、固定するものは何もない。
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水道橋の石組み Segovia, Spain 2005/04/18 Photo by Kohyuh |
インフォメーションセンタ の直ぐ近くから、水道橋の上に到る階段があり、そこは展望台のようになっていて、街と水道橋の両方が見渡せる、絶好の場所だ。
アメリカ人のお年寄りが、私たちを日本人と見て、笑顔で声をかけてきた。 テキサスだったか、オクラホマだったか忘れたが、聞いたことのある州から来たと言っていた。 ファーマー farmer だという。
アメリカでは小さな農場と言っていたが、それは謙遜だろう。 わざわざ、何千エーカだか、何万エーカーだったか忘れたが、そのぐらいの広さの農場といっていたから。
アメリカ人は、概して、気軽に声を掛けてくれる。 旅をしているということ自体が、共感に値するものだから、何気ない会話でも、お互い楽しくなるというものだ。
一人旅をしたことがある方なら、分かると思うが、素晴らしい景観など、感動する場面に出会ったとき、誰かとそれを共有したいと思うことがある。
そして、それは、声を出さ無ければ、また、独り言でなしに、聞いてくれる人がいなければ、高ぶる心は満たされない。
§§§ アルカサル Alcazar
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車も通るセゴビア旧市街の道
Segovia, Spain 2005/04/18 Photo by Kohyuh |
水道橋から、細くて狭い道が、旧市街を貫いている。 車がやっと通れるほどの石畳の道である。
両側は壁であるが、中は、きっと、パティオになっているのだろう、ときおり花や木が顔を覗かせている。 車が来なければ美しい城下町の風情だ。
それが、車がよく通るので、その風情がぶち壊しだ。 といっても小型車ばかりで、トラックやダンプは通れるほど広くはない。 ここは近道か何かだろう。
車が来る度に、観光客は壁に張り付くようにしてやり過ごすが、それでも意外に車が通る。 一方通行になっていて、何台も連なって来ることもあるから、中々前に進めない。
かといって、脇道に入ると、直ぐに断崖いに出るところを見ると、この旧市街は高台の上に、街並みが連なるような形で作られていることが分かる。 旧市街自体が、一つの城塞のようである。
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アルカサル
セゴビア スペイン Photo by Kohyuh 2005/04/18
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急に視界が開けた。 眼の前にアルカサルがあった。 アルカサルは、「スペインのイスラム教王の城塞」 という意味である。 左右及び後方が断崖というところに位置しているから、まさに、城塞に相応しい。 ディズニーの 「白雪姫」 のお城のモデルになったという。
白雪姫は、私が子供の頃に観たアニメである。 確か、アニメという言葉は、未だなかったように思うが、漫画映画というのも、違うような気がする。 活動写真でもないし、長編漫画映画といったかも知れない。 忘れた。
スペインは、一度イスラム教徒に奪われた歴史があり、そのとき、城塞作りもイスラム風になったのであろう。 独特の文様が施された壁が随所に見られ、美しい。 また、キリスト教徒が奪い返した後も、増改築を重ねて、今の姿になった。
アルカサルの中は、博物館になっていて、当時の甲冑や武具が展示されている。 巨大なボウガンや、花火の尺球ほどの丸い石を飛ばす大砲などが展示されていた。
それはそれで、恐ろしくはあるが、今の兵器に比べれば、幼稚と言えば幼稚なもので、語弊があるかも知れないが、このアルカサルといえども、30分も持つまい。 そんな時代に我々はいる、ということが分かるだけでも、観る価値があるというものだ。
アルカサルの塔へ登るには、さらに別料金が要るが、例によって、高いところには、私は登る。 景色もすこぶるよい。
ラ・ベラ・クルス教会 Iglesia de la Vera Cruz
アルカサルから北方を望めば、そこから先は断崖になっていて、パステルカラーの絵のような風景が広がっていた。 遠くに小さな教会が見えるが、ラ・ベラ・クルス教会 Iglesia de la Vera Cruz であろう。 13世紀初頭に、聖堂騎士団によって建てられたもので、12角形をしているという珍しいものである。
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ラ・ベラ・クルス教会 Segovia, Spain 2005/04/18 Photo by Kohyuh
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アルカサルからセゴビア旧市街を望む Segovia, Spain 2005/04/18 Photo by Kohyuh
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サン・エステバン教会 Iglesia de San Esteban
帰り道に通った、サン・エステバン教会 Iglesia de San Esteban は、「塔の女王」と呼ばれているだけあって、六層の鐘楼が美しい。 12世紀頃に建てられたロマネスク様式の教会である。
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サン・エステバン教会 Segovia, Spain 2005/04/18 Photo by Kohyuh
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§§§ ベニハシガラス
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ベニハシガラス
アルカサル セゴビア スペイン
2005/04/18 Photo by Kohyuh |
ベニハシガラスのペア 前項のアルカサルの写真の正面の塔に、ベニハシガラスのペアがいた。 一緒に塔から飛び立っては、一緒に、また、帰ってくる。 実に仲がよい。 仲良しコンテストというものがあったら、優勝すること間違いなし、だろう。
それも、鳥だけでなく、全ての生きもので競っても、このベニハシガラスが総合優勝するに違いない。 私は、次はスズメに生まれ変わりたいと思ったものだが、ベニハシガラスもいいかも知れない。
それにしても、このアルカサルの塔は土壁で、日当たりは良いが、特に、塒 (ねぐら) に適しているようには思えない。 何しろ一等地であるから人の目には付き易い。 だから、そういちゃついても居られないと思うのだが・・・。
それでも、双眼鏡が無ければ、この中睦まじい光景は、窺い知ることはできないであろう。 現に、目を向ける人は、誰も居なかった。 そして、誰も気が付かないかも知れないが、それでも、我々の直ぐ傍にも、こうした幸せな営みがあるに違いない。 こんなものかも知れない。 幸せに基準はない。 もし、条件が、あるとすれば、武者小路実篤がいう 「仲良きことは美しき哉」 であろう。
このアルカサル周辺には、カササギ、コウノトリ (正確には、シュバシコウ)、コクマルガラス (正式には、ニシコクマルガラス)、シロハラゴジュウカラ、そして、このベニハシガラスがいた。
§§§ セゴビア名物 「仔豚の丸焼き」
セゴビアに来て、これを食べずに帰れまい。 仔豚の丸焼きのことである。 その中でも、世界に知れ渡っている、幸せなレストランがある。 メゾン・デ・カンティド
Meson de Candido という名のお店がそうだ。 水道橋の直ぐ傍にあるから、立地条件もよい。
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水道橋 Segovia, Spain 2005/04/18 Photo by Kohyuh
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私は、スペインに来る前に、バンコクに寄ってきたことは、既に、述べたとおりであるが、ここに来て、思い出したことがある。 ホテルで、何か美味しいものがありますか、と聞くと、このホテルの中国料理のお店の 「仔豚の丸焼き」 が最高だ、ということだった。
日本では高すぎて、とても紹介できるものではないが、ここは違うという。 早速、食べに行ったが、さすがに美味いし、贅沢なものであった。 この話は、後日、バンコクの項に追加する。
《参考》 バンコクの 「仔豚の丸焼き」 料理
ここセゴビアのお店は、満員であったが、見かけより内部は広く、2階席に案内された。 「仔豚の丸焼き Roasted suckling pig」 は、四五人で丸焼きが出て来るそうだが、少人数では、切り分けたものだ。 もちろん、それでよい。 それを注文した。
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仔豚の丸焼き
メゾン・デ・カンティド店
セゴビア スペイン
Photo by Kohyuh 2005/04/18 |
中には、グループで食事に来ている人も多くいる。 このお店の呼び物は、こうした丸焼きで出す時に、独特の儀式が執り行われることだ。
耳鼻付いた、仔豚の丸焼きが乗せられた大きなお皿を前にして、正装した店の主が、口上を述べ、お皿を手に持つと、それを仔豚に振り下ろし、ダン・ダンと、一気に二つ三つに切り分ける。 切り終わると、そのお皿を床に叩きつけて割る、というものだ。
それが珍しいと、カメラを持った人が席を立って写しに行くものだから、つられて、私も席を立つのは、人情というものだ。 そうこうしていると、次にも、大きな皿が運ばれてきた。 その横に正装したお客が立って居る。
すると、先ほどの主が現れて、口上を述べ始めた。 回りの人もカメラを構えたが、以前の様には、前には出ない。 殆どの人が席を立って遠囲みにしている。 気が付くと、私が一番前になった。 何か様子が違う。 厳かな雰囲気である。
悪い予感がしたが、主が私の方を見て、「そこの日本人」 といって手招きした。 周りを見渡すが、日本人は家内と私だけである。 前に出て来いという。 私、無作法にも席を立ってカメラを構えたから、怒られるかと思った。 主は、カメラを指差して、撮れといっているようだった。 私のカメラは外形上、Video に似ているからかも知れない。
《怖かった口上》
私がカメラを構えると、主は、口上を述べ始めた。 先ほどと違ってずいぶん長い。 だんだんと声が大きくなってくる。 その形相も、恐ろしくなって、目をむいてくるから、見るのが怖くなってくる。 それがクライマックスに達したかと思うと、ダンッ と大きな音がした。 と同時に、私はシャッタを切った。 仔豚は、頸のところで、見事に切断されていた。 次に、ガシャンという音がして、床の上に、お皿が粉々に砕け散っていた。
一瞬の間を置いて、大きな拍手が起こった。 私は、回りのお客の視線を感じた。 主は、くるりと背を向けて、黙って消えた。 料理を注文したお客が、私の方を見て微笑む。
いったい、何があったというのだろう。 主は、仔豚に向かって 「礼儀知らずの日本人が、はるばる此処にやってきた。 お客様の手前、止むを得ず、お前の頸を刎ねることになったが、それもこれも、この日本人のせいである。 許せ」 といったに違いない。 今でも、そのように思っている。
それにしても、Video であれば良かった。 良きにしろ、悪きにしろ、見事なパーフォーマンスであったから。
セゴビアの風景 (スライドショウ )
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