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鳥紀行 フランス編 (4)




【04】 2004/04/18 パリ 3日目 戻る次へ


 cf. 《行程図 フランス編》 参照



§ 2004/04/18 (日) パリ 3日目
 天気が日本の梅雨を思わせるほど、今日も、雨模様である。 雨で困るのは、カメラが濡れることであるが、降ったり止んだりの、しとしと雨であるから、コートに挟む程度でよい。 メトロでシテ島に向かう。 ここでも、カササギには、よく出会った。 むしろ、カラスの方が珍しい。 パリでは観たことがない。







§ カササギ
 フランスに来て、初めてカササギを観た。 シャンゼリゼでも、どこでも、いる。 それが、英国にも、ドイツにも、イタリアにも、いたはずなのに、気付いていない。 バードウォッチングを始める前のことだったから、見れども見えず状態であったのだろう。



Kasasagi
カササギ
サン・ジェルマン・アン・レー フランス
Photo by Kohyuh 2004/04/20
カササギ
分類       スズメ目カラス科
全長        L45 W57
学名       Pica pica sericea
英語名      Magpie

 参考 《カササギ












 日本のカササギの生息地は、1923年 (大正12) に国の天然記念物に指定されている。 カササギ自体が天然記念物に指定されているのではないので紛らわしい。



天然記念物 カササギ生息地
 名称   : カササギ生息地
 区分   : 天然記念物
 所在地 : 福岡県山門郡、三瀦郡、佐賀県佐賀市、佐賀郡、多久市、小城郡、武雄市、三養基郡、神埼郡、鳥栖市、杵島郡、鹿島市、藤津郡




 日本では、佐賀平野を中心とした、ごく限られたところにしかいないという。 ところがフランスでは到る所にいる。 パリでも何処でも、もちろん、シャンゼリゼにも、小さくても緑のあるところであれば、逢えるでしょう。 ところが、スズメほどにも、気にとめる人はいない。 カラスの存在ほどの関心事だ。

 不思議に、集団でいるのは見たことがない。 聞くところによると6月頃から若鳥が集団で暮らし始めるという。 なるほど、その時期ではなかった分けだ。 白黒だが、光の加減で黒色がコバルト色に輝くことがある。 とても目立つし、綺麗な鳥だ。

 これがカササギと知ったのは、日本に帰ってきてからだが、不思議なことに、「カササギ」 という名前はだけは、昔から聞いたことがある。

 色々と考えたが、どうも、カササギの七夕伝説というのが中国にあって、それを子供の頃に聞いていたようだ。 ところが、今、記憶として残っているのは、カササギという名前だけで、その物語の方は、すっかり忘れてしまっている、と推測される。 話を聞いたのが、逢瀬の人情の機微が分かる年齢ではなかったのかも知れない。





カササギ伝説
 牽牛と織姫が一年に一度、七夕の日に、天の川を渡って会うことを許されたが、そのときカササギの群れが飛んで来て、羽をを並べて、その架け橋になったという。


 昔は、群れると一つの橋に見えるほど、沢山いたということだろうし、それでも、カラスのように悪さもしないし、愛されていた、だからこその伝説だろうと思う。

 一度、この鳥が群れているところを見てみたいものだ。 きっと、一年に一度の逢瀬を祝福するに相応しい、それは綺麗な橋に見えるに違いない。


 


 なかなか、やるではないか。 伊達に国の天然記念物になってはいない。 幼心に、いつの間にか、その名を刻み込んでいたのだから。





追記 (2004/11/2)
 日根さんより情報をいただきましたので、ご紹介します。 京阪牧野駅を降りるとすぐ近くに川が流れています。 この川の名前が 『天の川』 で、架かっている橋が 『かささぎ橋』 だそうです。 また、近年、これにちなみ、枚方市は大々的に町興しの一つとして、七夕祭りを催しているそうです。




 カササギの橋
 広辞苑には、【鵲の橋】 として、「陰暦七月七日の夜、牽牛星と織女星とを会わせるため、鵲が翼を並べて天の河に渡すという想像上の橋」 とある。
>


 この辺りの昔を思えば、カササギ伝説に似つかわしい川だったろうことは、容易に想像がつきますね。 それに、七夕祭りは、昔は全国どこでも、それこそ一大行事でしたから、この中国の 「カササギ伝説」 も全国に広まり、恐らく、天の川やカササギ橋も、銀座ほどに、ありふれた名前になっていることでしょう。





§§ パリ見てある記(3)
 シテ島 Ile de la Cite は、丁度、セーヌ川にある、大阪の中之島、のようである。 そして、パリのど真ん中に位置して、しかも、パリ発祥の地でもあるらしい。

 ここには、ステンドグラスが綺麗というサント・シャペルと、魔除けであろうか、奇怪な彫像が立ち並び、下界を見降ろしている、あのノートルダム大聖堂がある。






§§§ 小鳥市
 日曜日には、メトロのシテ駅の近くに、小鳥市が立つということを家内は知っていて、わざわざ、今日の予定に組み込んでいた。 日本でもペットショップの小鳥のコーナーを見かけるが、その程度の小さな、テント掛けのお店が、数十軒ほど並んでいた。 文鳥とか十姉妹とかであろう、見たことのあるものから、見知らぬものまで、沢山の鳥篭が積まれていた。

 天気が良ければ、冷やかしも良いが、生憎の雨で、傘を差して細い通路を歩くことになり、ついつい、通り過ぎるだけのものとなってしまった。 花市も併設されており、観光客相手の商売ではないだけに、折角の日曜日というのに、この雨では、商売あがったりであろう。







§§§ サント・シャペル Sainte-Chapelle
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サント・シャペルのステンドグラス
2004/04/18 Photo by Kohyuh
(クリックで拡大する)

 サント・シャペルを目指すが、大きな建物に邪魔されて、教会らしき姿が見えない。 最高裁判所らしく、警備の人も立つ立派な庭の中を通りすぎて、裏側に回るように進むと、一見、土産物屋のような入り口にたどり着く。


 そのような印象であって、どのような外見の教会だったか思い出せない。 ところが、家内の目には、教会の尖塔が、建物越しに、はっきりと見えていたに違いない。 そんなものだ。


 中に入ると、薄暗くて、横に売店があり、正面に大きなステンドグラスがあった。 それなりに美しいものであったが、日曜日というのに礼拝をしているようでもなく、また、それができるほどの大きさでもない。

 小さな村で見かける礼拝堂並の大きさである。 大体、土産物屋に人が群がっているようでは、およそ礼拝堂らしくないであろう。








Stechapelle2
サント・シャペルのステンドグラス
2004/04/18 Photo by Kohyuh
(クリックで拡大する)




 まあ、有名といっても、観光地とは、こんなものかと、表に出ようとすると、入り口の横に、小さな階段が眼に入った。 やっと、一人か二人が上がれるほどの小さな階段である。

 2階に上がっていく人もいたから、何となくついて行った。 それが、2階に上がって、驚いた。 目を疑うばかりの、美しいステンドグラスに囲まれた、礼拝堂があった。

 ここには売店も何もない。 まさしく礼拝堂で、大きくはないが、また、それが良い。


 丁度、雨も上がったのであろう、外からの明るい日差しが、ステンドグラスの、その一つ一つに灯をともすがごとく輝いていた。 まさに、これは、《パリの宝石》 と呼ばれるにふさわしいと、納得がいくものであった。

 最初に見ていた1階の礼拝堂は、王宮の使用人のためのもので、この2階が王家と特権階級専用であったという。

 それにしても、危うく、見落とすところであった。 もし、これを見落としていたら、どれほど悔しい思いをすることか。 また、きっと、見落とした人もいることと思う、それ程小さな階段であった。







§§§ ノートルダム大聖堂

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ノートルダム大聖堂
2004/04/18 Photo by Kohyuh
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 ノートルダム大聖堂は、サント・シャペルを引き返して、シテ島のもう一方の端にある。

 大聖堂という格式のとおり、広い石畳の広場を前にして、二つの塔を構えた立派なものである。

 ノートルダムといえば、私は、美術か何かの教科書で見たのであろう、屋根の上から下界を見降ろす、奇怪な彫像の姿を思い出す。 ガーゴイル と言うらしい。

 そして、何故か、ノートルダム大聖堂という名前ではなくて、「ノートルダム寺院」 と記憶していたように思うが、定かではない。


















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ガーゴイル gargoyle ノートルダム大聖堂
Photo by Kohyuh 2004/04/18

 正面から眺めた印象と違って、中に入ってみると、奥行きがあり、予想以上に大きく、また、複雑な構造をしていた。

 中では、日曜礼拝が行われており、丁度、ソロで賛美歌を歌っているところに立ち会うことができた。

 声が響いて、耳に心地よい。 広い座席の空間が真ん中にあり、パリ市民で、満席の状態である。 そして、観光客は周囲の回廊を静かに巡っている。 もちろん、礼拝に参加する人もいた。



















 例によって、高いところを目指すが、一旦外に出て、行列しなければ、塔には登れない。 雨もようである上に、寒い。 それに、一度に、10人ほどしか、中に入れてくれない。 そして、また、10分ほど待たされるから、効率が悪い。 2時間ほどかかって中に入ったら、混雑も何もない。








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奇怪な彫像
2004/04/18 Photo by Kohyuh
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 私は、前を行く人を見失い、目くらめっぽうに進むが、何ヶ所か分かれ道があった。 全部を回れたかどうかも分からない。 ルート地図をくれるが、それを見ると、余計に迷うというものであった。

 工事中のところがあったのが原因かも知れない。 それでも高いところには到達した。 パリを見渡せる。 奇怪な彫像も目の前にあった。 やはり高いところはいい気分である。









ノートル・ダム Notre Dame Paris 
 ( 「我らの貴婦人」 の意、聖母マリアを指す)
12世紀に聖母マリア崇拝の気運が高まり、各地に建立された旧教寺院。 このパリのものが最も名高く、1163年起工、1245年頃完成。 ゴシック建築の代表作。
 《広辞苑 第四版 から引用》









§§§ ポンピドゥー芸術文化センタ Centre National d'Art et de Culture Georges Pompidou
 ポンピドゥー芸術文化センタは、その奇抜な設計コンセプトにより、世界的な名建築の一つとして数えられている。 その設計チームの一員として活躍した、建築家の岡部憲明が、関空 (関西国際空港旅客ターミナルビル) の設計競技に優勝し、その建築に携わってきたことは、知る人ぞ知る、ところである。
 (NHK人間講座 「可能性の建築」 岡部憲明より)

 ノートルダム大聖堂からセーヌ川にかかる橋を渡ると、いかにもヨーロッパの市庁舎らしい佇まいの、パリ市庁舎が現れる。 そのまま進めば、何処にでもある市街地の様相で、大きな建築物などありそうにないが、やがて、工事現場のような建物の一端が見えてくるから、道を間違えようがない。





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ポンピドゥーセンタ
2004/04/18 Photo by Kohyuh
(クリックで拡大する)


 ポンピドゥーセンタの外観は、まるで建築途中のようで、足場が組まれたままの姿に見える。

 芸術・文化の展示・企画の会場として使われることから、壁のない、自由なレイアウトができる空間を作り上げたことと、建物外での催し物にも利用可能な、イタリアのシエナのカンポ広場のような、広場の概念をも備えたという。


 私には、パリには異質な、目に触る建物として写るが、わざと奇をてらったものでも無さそうなので、機能美を狙ったつもりかも知れない。






 内部の大空間を支えるには、外壁構造が重要な役割をするであろう。 そして、その外壁構造物を、外に晒すか、内に隠すか、という問題を考えた場合、展示・企画の会場としては、内部空間を大切にしたい、という思いが込められているのかも知れない。

 ただ、私の持つ機能美のイメージとは、どんなに複雑な創造物であれ、釘一本、ネジ一本たりとて余分なものがない、というものである。

 ・・・ とは言っても、名建築と言われる条件は揃っている。 設計者のコンセプトが、意図が、明確で、独りよがりではない、新しい発想が伝わってくるものであった。






§§§ 国立近代美術館
 国立近代美術館は、ポンピドゥー芸術文化センタ内にあり、展示会場へは、外壁に沿う形で、透明のトンネル上のエスカレータで、最上階に上がっていくが、これは、面白い趣向であると思う。 趣向というより何より、内部空間を大切に考える場合、自ずと、外部にもってこざるを得ないものであろう。



 何とか絵画展という立て札があり、見ると行列ができていた。 聞いたことがない名前であったが、よほど有名な人なんだろうと、後ろに並んだ。 30分ほど並んで、やっと入り口に辿り着いたので、持っていた、カルト・ミュゼ  を見せると、これは使えないという。 そのときは、訳が分からなかったが、名前も知らない芸術家の作品を見るのに、金は出したくない。 時間を返せと言いたいところだが、大人気ないので止めて、引き揚げた。

 私たちの持っている、カルト・ミュゼ は、国立近代美術館のものであった。 ここは、がら空きであった。 私は、前衛芸術は、苦手である。 時間がもったいないだけなら、まだ、良いが、しまいに腹立たしくなってくるから、避けたいところだ。 それでも、料金は支払い済みであるからという、情けない根生で、覗いてみたら、これが、なかなか良かった。

 近代美術というのは、何も、前衛芸術だけではない。 モジリアニもある、シャガールもある、バルチュスもあった。 もちろん、ピカソや、ダリもあった。 私は、みんな好きである。 そうか、これらは近代の作品なんだ、と変な感心をしたものだった。







§§§ ルーヴル美術館再訪
 ルーヴル美術館で見残しているものがあることに気がついた。 ハムラビ法典、マグダラのマリア、メデューズ号の筏、瀕死の奴隷を見ていない。 どれも案内書に乗っているものであった。 旅行の後半に、もう一度パリに帰ってくるが、後でバタバタするのも嫌なので、急いで観に行くことにした。




§§§§ ハムラビ法典
 大英博物館で、ロゼッタストーンが、入り口付近にごろりと無造作に置いてあったのに、吃驚したことがある。 今では、もう少し大切に展示していると聞くが、人類の宝物である。

 それと、同じほど、ハムラビ法典も大切なものであろう。 これとて、地べたに、ごろり、ではないが、触ろうと思えば触れるものである。 触ってなったのかどうかは知らないが、そのように黒光りしていた。





ハムラビ法典
ハムラビ法典
ルーブル美術館 2004/04/18
Photo by Kohyuh


 例の 「目には目を、歯には歯を」 という、あの法典を石に刻み込んだものである。 法典といっても、法そのものを記録したものではなく、判例集であると聞く。

 そして、私は、等価罰を科すものと思っていた。 即ち、「やられた分は、やり返せ。 眼でも歯でも」 という考え方である。

 ところが、「目には目を、歯には歯を」 の判例は、実は、そうではなくて、むしろ、過剰な刑罰を戒めるものであると知って、その英知というか、法の奥深さに驚いたことがあった。



















 人の復讐心は、ともすれば、抑制が効かず、過剰になるのが普通であろう。 それを見越して、過剰な復讐を禁止しているものという。 目を傷つけられたとしたら、そして、復讐することにもなれば、命も奪いかねない気持ちになるであろう。

 ところが、『それは、許されないですよ』 と言っているのである。  なるほど、ハムラビ法典の奥深いところに触れた気持ちであった。

 cf. 映画 「眼には眼を」 衝撃のラストシーン




 BC1750年ごろ、バビロニアのハムラビ王 Hammurabi によって発布され、20世紀の初頭に、フランスの発掘隊により、イランのスサで発見された。










〔アンバサード Ambassade 泊 2004/04/18〕
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