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鳥紀行 スペイン編 (11) 




【11】 05/04/23 (土)  ドライブ旅行 (1) 4日目 戻る次へ


§ アビラの朝
 朝7時半に起きて旅支度をした。 今日の午前中はアビラ見物の続きをしたあと、午後からカセレス Caceres に向かう予定である。

 やっとその旅支度を整えたのが9時頃である。 朝食を済ませば直ぐチェックアウトしようと思っていた。 ところが食堂に下りていくと、何と、バル Bar が閉まっていたからびっくりした。 そんなこと聞いていない。

 昨晩、朝食を摂る場所を聞いておいたのに、どういう行き違いがあったのか分からない。 スペインでは聞かれたことしか答えないのであろうか。 場所は教えたが、閉店のことは聞かれなかったから黙っていた、と言うのであろうか。 それとも、明日は土曜日である、ということを知らなかったのであろうか。

 食堂といってもバル Bar のことだから、地元の人が休む土日は、商売にならないのかも知れない。 いまさら文句を言っても始まらない、先にチェックアウトを済ませて、荷物を車に運び込んだ。 荷物を預かって貰うことが出来たのかもしれないが、一流ホテルではないし、見るからにスペースが無そうであるから止めた。






§§ 城壁 Las Murallas の散策2

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《チョウゲンボウ》 アビラにて
05/04/23 Photo by Kohyuh


この分では開いているバル Bar はないかも知れないと思いつつ、城壁巡りの入り口を目指して歩いていった。

 バルは、オープンしている店もあり、そうでない店もあり、まちまちである。

 結局、どういう基準で店を開けるのか分からずじまいであった。 でも、そんなことはどうでも良かろう。

 色々理由は考えられる。 朝食にありつけただけでも幸いである。


 きのうも城壁巡りをしたが、その出入り口が、次の城壁巡りの出入り口になるであろう、そう考えた。 それが、そうではないらしい。 入り口は向こうの方だと指をさす。

 しかし、その向こうの方には、カテドラルの壁があるだけである。 ならば壁の向こう側、即ち、カテドラルの中に入り口がある、と私は考えた。 誰でもそう思うだろう。 それでも半信半疑の思いで行ってみると、案の定、それらしき出入り口の気配がまったくない。




 単に向こうの方と指差しするだけでは、距離感が掴めないではないか。 おかしいなと思いつつ、それを聞き返しもせず、言われたとおり、向こうの方へ歩いていく自分が情けない。


 また引き返してきて聞き直すと、カテドラル越えて、その向こう側ということであるらしい。 なるほど、その様に解釈するのが普通かもしれない。 何のことはない、私の早とちりであった。 二度手間になってしまったが、何とか出入り口を見つけることが出来た。

 いま地図を調べ直してみると、ちゃんと書いてある。 大きなカテドラルが城壁を分断した形である。 カテドラルの隣のアルカサル門 Puerta del Alcazar のところに出入り口があった。


 入場すると直ぐのところに、えらく急で、細くて、長い階段が現れた。 高さもあるから登りは良いとして、下りは後ろ向きに下りねば怖いほどである。 老婦人ではあったが、現にその様にして下りていた人がいた。


《城壁巡りの出入り口》
 城壁巡り(1) : 出入り口は両端の 2ヶ所にある
  カルメン門 Puerta del Carmen === ハリナ門 Puerta del Peso de la Harina
 城壁巡り(2) : 出入り口は 1ヵ所のみ
  アルカサル門 Puerta del Alcazar




 今回の城壁巡りは、昨日の半分ほどの長さであった。 それでも、カテドラルの屋根を住処とするコウノトリやチョウゲンボウなど、折りしも子育ての季節であり、鳥観 とりみ には絶好であった。 








§§ カテドラル Catedral
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《カテドラル》 アビラ Avila, Spain
2005/04/23 Photo by Kohyuh
 普通、カテドラル (大聖堂) といえば、城塞に護られた中心部に位置するものであろう。

 それが、ここアビラでは城塞の一部として組み込まれている。

 それも城塞の正面玄関に位置するから、私は直接見て確認しなかったが、大聖堂には見えないのではないか。

 横にアルカサル門もあるから、アルカサルそのものに見えるに違いない。

 cf. トレドのアルカサル
 cf. セゴビアのアルカサル


















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《カテドラルの内部》 アビラ Avila, Spain
2005/04/23 Photo by Kohyuh
 城塞内から見ると、当たり前のことではあるが、カテドラルは一目でカテドラルとして見える。

 そして、その内部にも自由に入れるようになっていた。

 ガイドブックには色々と説明が載っているが、どのカテドラルも私には同じように見えて、その違いが分からない。
























§ カセレス Caseres へ向けて出発
 スペインでの第1回目のドライブ旅行もいよいよ後半に入り、残りの予定のコースは、

アビラ Avila === カセレス Caseres === メリダ Merida === バタホス Badajoz

 である。 アビラから N110 の一般道を辿る。


 アビラを出たのが午後1時前で、ここからカセレスまで約250kmほどある。 だから、今日中に辿り着けるかどうかは分からない。 しかし、車を返却するのが、ポルトガルとの国境の町バタボス Badajoz で、4月26日 (~19:00) の予定であるから、例え辿り着けなくても調整は可能であろう。 








§§ 昼食はどこにする?
 ドライブ旅行の場合、ミネラルウォータとスナックや果物などを用意しているから、レストランが見つからなくても、ほとんど問題はない。

 アビラを出てからも民家や農家などがあるところ、必ずといっていいほど、屋根の上にコウノトリの巣があった。 丁度、子育ての季節であろう、雛が二羽ほど、親鳥の脚の横で、巣から頭を覗かせているのが見える。 その度に、車から降りて眺めたりするものだから悠長なものである。


 アビラを出て一時間半ほど走ったところで、見るからに立派なレストランが見つかった。 時間的にも丁度良い。 また、景色も良いし、車も多くさん止まっていたから人気のほどが伺える。




《アビラ近郊》 レストランからの眺め 
《アビラ近郊》 レストランからの眺め
2005/04/23 Photo by Kohyuh


 早速、立ち寄ってみると、後からも車が何台か入ってきた。 パーティでもあるのか、見ると皆さん正装している。 それにも構わず入り口に近づくと、中は超満員で、談笑したりして会場が開くのを待っている様子であった。 私たちが紛れ込んでいても、皆さんニコニコしていて、不審に思う人は誰もいなかった。

 人を掻き分けて更に奥へ進むと、大きなテーブル席の部屋があり、制服姿の人が数人で、グラスやナイフやフォーク等を忙しそうにして、セッティングの真最中であった。 また、他に一般客用の部屋はなさそうであったし、そのことを聞くに聞けない雰囲気であった。


 さすがの私も、このままパーティーに紛れ込むわけには行かず、早々に立ち去ったが、今思えば、何のためのパーティーだったかぐらいは聞いておけばよかったと思う。 外国人である私たちがいてもおかしくないパーティーって、いったい何なんだろう。 見た目は結婚披露宴のような雰囲気であった。








  §§ オスタルで昼食
 更に 1時間ほど進むとレストランがあった。 峠越えをして来て、その下りきったところにあった。 アビラを出て、もう 2時間半ほど経っている。 午後3時頃であるが空腹感はない。 それでもレストランを見つけると自然に足が向くというものである。 スペインでは、次を期待しない方がよい、ということでもある。 その間隔が長すぎるから。

 スペインでは民宿は確かに少なかったが、ここは、オスタル Hostal Puerto Tornavacas と看板に出ているから、泊まることも出来るようだ。 『トルナバカスの門』 というからには、トルナバカス Tornavacas の町の入り口であろう。 アビラからおよそ100数kmほど来たことになる。


 横に渓流があり、ミシュランの地図でも景勝ラインのマークがあり、キャンプも可能なようである。 ならば、魚料理が良かろうと、私はマスのムニエルを、何故か家内は豚ロースのステーキを、それとデザートにコーヒとプリンを注文した。 私は思い出せないのであるが、家内の日記では、薄味で美味かったと書いてあるから、美味かったと思う。

 不味かった記憶は消えないが、美味かった記憶はすぐ消えてしまうものだ。 よほど美味ければ別であるが、そう多くはない。


 近くの席で、幼稚園ぐらいの女の子を連れた家族連れが食事をしていた。 観光客ではなさそうである。 その子が興味深げにこちらを見たり、テーブル近くに来たり、遊びまわっていたから、例のごとく家内が折鶴を折って手渡すと喜んでくれた。 私も目で挨拶を交わした。

 彼らは早く食事が終わったのか、いつのまにか、どこかに消えた。 それが、母親の印象はないのであるが、父親の方は、私たちが何者なのか知りたがっている様子であった。


 何となく、話しかけるタイミングをなくしてしまったようである。 トイレに立ったときも、土産物屋に顔を出した時も、出発しようと玄関を出た時も、娘さんと一緒に姿を現した。

 私は、単に偶然と思っていて、こちらから声をかけられずにいた。 しかし、車に乗ってバックミラーに写る、見送ってくれているその姿を見つけて、そのことに気が付いた次第である。 こちらから声をかければよかった。 娘さんの写真を撮らせて貰えば良かった。 今も心残りである。


 というのは、言葉が通じないもどかしさから、私は、できるだけ余計な会話を避けようとしてしまう。 そして、このような経験が何度もあり、今回の旅こそはと、意識していたつもりだったのに、また、都合の良いように解釈してしまったようだ。







§§ 渓流の川辺で一休み
 綺麗な渓流沿いの道を進んでいると、どうしても川に降り立って見たいと思うようになった。 適当なところに車を停めて河原へ通じる小さな小道を下りていく。 綺麗な花をつけた野草を見つけては写真に撮ったりしながらである。

《渓流の眺め》 トルナバカス近郊
《渓流の眺め》 トルナバカス近郊
2005/04/23 Photo by Kohyuh


 大きな石がゴロゴロある渓流特有の景観である。 水も綺麗であった。 前方に馬がいた。 よく見ると男が独り馬を連れているようである。 馬を見に行きたかったが、大小の石が点在する畦道のような細い道で、我々でも足元がおぼつかない。 それを、ひづめ足であそこまで良く行けたものである。 渓流の水で、馬は身体を流してもらっていたのであろう。

 美しい川辺は、何もしなくても気持ちが良い。 10分ほど休んでいただろうか、気が付くと、私たちが下りてきた道を、馬も男も黙って通り過ぎて、帰って行った。 私たちのことが目に入らないようにして。 そこには、ここでの暮らしの日常があった。









§§ 渋滞の原因は?
 我に返って、再び先を急ぐことにした。 前方に見える小さな街並みは、トルナバカス Tornavacas であろう。 途端に数十台の車の列が待ち受けていた。 渋滞である。 大都会ならいざ知らず、ここで渋滞はないだろう、交通事故かもしれない、と思いながら流れに任せて、じわじわ進むと人だかりがしているのが見えた。

 十数人の男女の若者達が道路の真ん中で騒いでいた。 その声も聞こえてきた。 喧嘩ではなさそうである。 陽気な笑い声と大きな歓声が上がる。 車を通せんぼして面白がっている様子である。 その騒ぎの中を一台一台すり抜けて行かねばならないから渋滞していたのである。


 上手にすり抜けていく車もあれば、いつまでも解放されない車もある。 ついに、私たちにその順番が回ってきた。 車の前に二人の若者が立ちふさがり、手で制止の合図をするものだから止まらざるを得ない。 険悪なムードは決してない。 みなさん満面の笑みをたたえている。

 完全に停止すると、五六人の男女に、わっと取り囲まれた。 卒業式か成人式か、何かお祝い事があって、それが引けたあと街に繰り出したような感じである。


 家内がカメラを向けると、また、歓声があがる。 私たちが外国人だと分かったのか、なかなか解放してくれない。 車を叩いたりするような乱暴な様子は全くないから安心していられるし、出来ることなら車を下りて、話もして見たい気分である。

《若者たちの歓声》 トルナバカスにて
《若者たちの歓声》 トルナバカスにて
2005/04/23 Photo by Kohyuh


 これまでは、上手くすり抜けられないでいる車を眺めては、腹立たしい思いをしていた。 あのドジな車は何だ、あほちゃうか、と思ったものである。 それが自分の番になって見ると、なかなか思うようには行かないものである。 後に並ぶ車の人から見れば、私が一番ドジで、アホのようであったろう。

 それにしても気になるのは、人差し指を立てるゼスチャーである。 日本人なら 『一番』 を示すところであろうが、何か卑猥な意味がある、とか何とか、聞いたことがあるような気もする。 まぁ、いいか。 どの国でも若者とはそんなものだ。 何より、陽気なところがいい。









§§ カセレス到着
 適当な宿が見つからないまま、カセレス Caseres まで来てしまったという感じである。 もう午後7時前になっていた。 大きな街であるから宿の一つや二つあるであろうと、City Center の案内標識を見つけて進み、それと思しきところで駐車場を見つけて入った。

 スペイン語では、City = Centro で、似たようなものであるから案内標識は直ぐ分かる。 行き過ぎては、道に迷うこと請け合いである。 これが技術というものである。


 とにかく宿探しが優先である。 駐車場から旧市街の方に向かって歩きだした。 インフォーメーションは閉まっているだろう。 適当に目ぼしいホテルを見つけては空き部屋を聞くが全て満室である。

 旧市街に入っても同じで、パラドールも訪ねたが、お呼びではなかった。 最早歩きで探すのは諦め、車で先に行くことにした。 とにかくカセレスに到着するまで無かったのであるから、先に行くしかない。







§§§ モーテルで拭き掃除
 幹線道路をしばらく走っていると町外れにガソリンスタンドに併設するオスタル Hostal があった。 屋上にある看板にはホテルと書いて、一つ星のマークがある。 ところが正面の壁にはオスタルと書いて、レストランの文字もある。 いづれにしても、いわゆるモーテルと呼ばれるクラスである。 ことここに到っては最早選択の余地はない。

 オスタルの玄関はバー Bar が普通である。 中に入ると薄暗いバーにイカツイ男とカウンタ内に普段着姿の若者がいた。 映画に出てくる場末のバーの雰囲気であろうか。


 空き部屋があるか尋ねると早速案内してくれた。 自由に見てくれと言わんばかりに、若者は鍵を置いて足早に帰っていった。 何しろ彼は、これもコンスエグラの宿でもそうであったが、一人で何役もこなさなければならないからだ。

 部屋は意外に広く、調度品やベッドも洗面所も浴室も、それなりのものであった。 その様に見えた。 最早、他を探す気力も無かったから、ここに泊めて貰うことにした。



 荷物の運び入れも終わり、着替えを始めたのはよいが、クローゼットを開けてびっくりした。 薄っすらとホコリがかかっていたのである。 指でなぞるとホコリが着くから、もう一ヶ月は使われていない状態かも知れない。 それが不思議なことに他の調度品であるテーブルや椅子やベッドも含めて異常はない。

 クローゼットを使うような客は来ないということかも知れない。 もしいるのなら、文句の一つも耳に入るだろう。 とにかく宿で拭き掃除をしたのは初めてであった。


 部屋をチェックしてOKした後のことでもあるし、荷物も運び入れ、着替えも始めたことなので、わざわざ文句を付けてもろくなことがなかろう、知らぬ振りをした。







§§§ メニューのないレストラン
 レストランは 9時からというので、着替えを済ませたあとしばらく休んでから出かけた。 お客は我々だけであった。 若い娘さんが注文を聞きに来たが、全く英語が通じないし、メニューもないから、伝えようがない。

 メニューがないレストランというのも珍しい、というより私は初めてであった。 ガイドブックに載っている料理を見せて、いろいろ指差して確認していくと、メルルーサのムニエル、子牛の肉のステーキのフリット添え、そしてパンと玉子を落としたスープに辿り着いた。 やれやれ。



 このスープはスペインでは最もポピュラーなもので、ガイドブックにわざわざ印を付けて、機会あれば試そうと思っていた料理である。 それが、やけに塩辛くて、どう考えても塩加減を間違えたとしか思えなかった。 仕方なく、先ほどの娘さんを呼んで、塩辛いことを説明しようとするが、これがまた難しくて、往生したものであった。

 この話は 「海外ドライブ旅行のすすめ (11)」 の中の 『塩辛かったスープ 』 でもしているので、そちらも見ていただきたい。





  アビラからカセレス へ (スライドショウ )





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 Caceres

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Hostal Pasaron, S.L. 2005/04/23 (泊)
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